労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

たくさんのご意見をいただきたいと思っていますので基本的にいただいたコメントは全て公開しますが、公開をご希望でない方からのご意見や表現に問題があるコメントは公開しないという選択をする余地を残すため、コメントは承認後公開とさせていただいています。トラックバックも承認後の公開となっております。(※「表現に問題があるコメント」とは、特定の個人を攻撃したり名誉を傷つけたりする表現を含むコメントや、特定の集団に対する差別表現などを含むコメントのことです。単に言葉遣いが乱暴であるという程度でしたら、基本的に公開しております。また、個人情報を明らかにしてしまうようなコメントについても、公開を差し控える場合があります)

なお、今のところアメンバー限定記事を書く予定はありませんので、アメンバーの新規登録は受け付けておりません。全ての記事を全ての方に公開していきますので、ご理解のほどをよろしくお願い致します。



2009.1.15追記 コメントのお返事を書いた記事についてはトラックバックできないように設定することにしました。同時に、コメントのお返事を書いた記事の無断転載は固くお断り致します。



2009.3.31追記 非公開コメントの基準に、「本筋から外れたことを持ち出して議論を混乱させるコメント」、「嫌がらせ、からかいと思われる表現を含むコメント」、「警告を受けても改めない人からのコメント」を追加します。そういったコメントに対してはお返事も致しません。(2009.3.14の基準は曖昧だったので変更しました)

2009.3.31現在、「警告を受けても改めない人」としてコメントをしても非公開の扱いになっている人は1名です。


2011.10.20追記  トラブルがあり、一時コメント欄を閉めていましたが、本日から再開しています。なお、コメント非公開扱いの人が1名増え、2名となりました。


2011.12.25追記  非公開コメントの基準に、「人の不幸を楽しむためのコメント」、「人の不幸をあげつらうコメント」、「人の不幸を助長させるコメント」を追加します。


2012.3.19現在、「警告を受けても改めない人」としてコメントをしても非公開と扱う人が1名追加となりました。現在、完全コメント非公開扱いの人は3名です。

「警告を受けても改めない人」の基準として、非公開コメントが通算10個を超した時点で完全コメント非公開扱いとすることとします。


2012.4.15追記  「表現に問題があるコメント」には当然セクハラ表現も含みます。コメントの内容のみならず、投稿者名にセクハラ表現を含むコメントも、本日より非公開と致します。過去にセクハラ表現を含む投稿者名を許容していたことに関しましては、不快感を抱かれた方にお詫び致します。


2012.8.20現在、「警告を受けても改めない人」としてコメントを非公開扱いとする人が1名追加となりました。現在、完全コメント非公開扱いの人は4名です。


2013.10.30現在、「警告を受けても改めない人」としてコメントを非公開扱いとする人が1名追加となりました。現在、完全コメント非公開扱いの人は5名です。


2015.10.29追記 これまで誹謗中傷、セクハラ、商業的宣伝目的のトラックバックの削除についての注意がありましたが、トラックバックは廃止になって久しいのでそれを削除し、同様のコメントを非公開扱いにするということに変更いたします。


喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきます。

 

2026年は、正念場の年です。

医療・介護・福祉の制度改悪と負担増にストップをかけ、防衛費倍増をやめさせて庶民の生活を豊かにするために税金を使わせ、外国人や社会的弱者を敵視して真の闘うべき相手から目をそらさせる誤魔化しにだまされず、核抑止の矛盾を明らかにして核兵器禁止条約を批准させ、全産業平均よりも何万円も低い医療・介護従事者の賃金を改善し、最低賃金を大幅に引き上げ、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。

 

毎月恒例、今月の行動予定です。

 

1月15日は、間に合えばオンライン全国労働学校「学びの森」の第5講義にオンライン参加します。

 

1月18日は、埼玉医労連の春闘中央委員会に出席します。

 

1月19日は、働くもののいのちと健康を守る埼玉センターの理事会に出席します。

 

1月23日は、当組合と理事会との中央経営協議会に出席します。その後、四役会議も開催します。

 

1月29日は、春闘準備のための拡大中央執行委員会1回目を開催します。

 

1月30日は、春闘準備のための拡大中央執行委員会2回目の開催します。

 

こんな感じで今月も頑張ります。

 

 

2025年は、転換の年です。

今度こそ立憲野党による政権交代を実現し、悪政によって痛めつけられた医療・介護・社会保障を立て直し、防衛費倍増をやめさせて国民生活を豊かにするために税金を使わせ、平和憲法を活かした積極外交を行ない、核兵器禁止条約を批准し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。

そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、災害の被災者のための真の復興が行なわれ、世界中の人々が安心して暮らせるようになることを願います。

 

 

12月20日、第34回埼玉県社会保障推進協議会総会に参加しました。

以下、そこで行なわれた記念講演の概要をまとめます。

 

記念講演のテーマは「大軍拡をストップさせ、社会保障の拡充を」で、講師は全日本民医連会長の増田剛医師でした。

増田先生は、現在の政治は一般に「悪い」という感覚を超えた悪政だと評しました。

SDGsのキャッチフレーズ、「No one will be left behind」は「誰一人取り残さない」という意味であり、SDGsの第一のターゲットは「貧困をなくそう」ですが、今の日本はそれにふさわしいかと問いかけました。

2019年にネイチャーに載った論文「Climete tipping points」は、「これ以上進むともう後戻りできないポイント」という意味であり、北極海の海氷の面積の縮小、サンゴ礁の広範囲の死滅、などが挙げられているそうです。そして、2021年にIPCC「気候変動に関する政府間パネル」は、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」という報告書を発表したそうです。

しかし、アメリカのトランプ大統領はパリ協定を「最大に詐欺」と主張し、分断を持ち込もうとしていると指摘しました。

このままでは、これから先の子どもたち、孫たちがひどい目に遭うと述べました。

貧富の格差は、2025年1月19日に発表されたオックスファム報告書によると、「Takers not Makers」と表現され、ビリオネアがどんどん増え、兆万長者が5人誕生すると予測されている一方、36億人が貧困に苦しんでいると指摘し、富裕層に課税せよ、解決方法はそれしかないと提起しているそうです。

グローバル資本主義の害悪は、気候変動と貧富の差の拡大として現れており、これをどうにかしないと世界がもたないと指摘しました。

 

その一方で、民主主義の危機が各地で起こっていると述べました。

政治学者の渡辺将人氏が朝日新聞のインタビューに応えた「米リベラル 失速のわけ」では、貧困層にリベラルの主張が届かなくなっていると指摘しているそうです。トランプ大統領の熱狂的支持者はラストベルトの労働者であり、少数者を擁護することで割を食っているのは自分たちだと考えているそうです。サンダース氏は、「労働者階級の人々を見捨てた民主党が当の労働者階級から見捨てられても、大して驚くには当たらないはずだ」と述べているそうです。マイケル・サンデル氏は、「中道左派が労働者の支持を失い権威主義的なポピュリストがそうした層へのアピールに成功しているのは英米仏など多くの民主主義国家に共通」と指摘しているそうです。

暮らしを見ていかなければリベラルの主張は響かず、労働者たちは自分で自分の穴を掘っていると指摘しました。

今日本で起きていることは、完全にタガがはずれていると述べました。防衛費対GDP比1%枠を壊して防衛費を5年で43兆円とすることや、武器輸出政策の転換など、重大なことが国会審議ではなく閣議決定のみで決められていると指摘しました。

高市政権は、女性が初の首相になったことは女性が政治家を目指すことを後押しする上で意味がありますが、ひどいことがたくさん行なわれていると指摘しました。トランプ大統領とも米軍の前ではしゃいで見せ、台湾有事発言で独自の判断をしたことが明らかになりました。日本もアメリカも中国は一つの政府と認めているにも関わらず起こったことなので、中国が怒るのは無理もないと述べました。

軍事費で世界1位なのはアメリカであり、中国は2位で、日本は10位くらいだそうです。日本の軍事費の増え方は、戦争当事者でもないのに異常だと指摘しました。しかし、中国の軍事費は日本の6倍であり、本当に中国と肩を並べる軍事力を持とうとしたら60兆円が必要だと指摘しました。中国と戦争できる訳なく、日本を滅ぼすのは簡単で、原発を2つ潰せばいいと述べました。なのに、大切な医療や介護を削って軍事費を増やすのかと問いかけました。

国民民主党は、昨年の選挙公約に尊厳死の法制化を入れました。2024年10月18日付の「素粒子」はそれを批判し、「時間がなかろうが、説明が雑になろうが。政治家が保険料負担軽減の文脈で「尊厳死」を口にする。それ自体の背筋が凍る」と書かれていますが、若い層がこの主張を支持していると指摘しました。社会的弱者を逆に国の保護を受ける強者として描くことが支持されているということです。

参政党は、終末期医療の全額自己負担化を公約に入れており、医療・介護に携わる人の中にもそれを支持している人もいるそうです。

議員定数の削減については、なぜかいいことかのように受け取られていますが、日本の国会議員の数は国際的に見て少ないと指摘しました。福山大学客員教授の田中秀征氏は、2025年12月13日付の朝日新聞で、「いま気がかりなのは、衆院議員の定数削減です。「身を切る改革」を掲げる維新から急に出てきましたが、何のためにやるのかが見えない。歳出削減が狙いなら、政党交付金の廃止や減額などほかにいくらでも方法があるはずです」と主張しているそうです。

2025年11月28日の出された「結婚の自由をすべての人に」裁判の東京高裁判決は、これまでの5件の高裁判決が全て違憲判決でしたが、6件目のこの判決のみ合憲としたそうです。判決文では、憲法前文を持ちだし、「われらとわれらの子孫のために」とあることから、「男女の性的結合関係による子の生殖が、今なお世代を超えて国民社会を維持する上で社会的承認を受けた通常の方法である」とし、同性婚を認めないことを合憲だとしたそうです。しかし、判決文で略された部分に憲法制定の目的が書かれているのであり、それは「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とあります。この部分を省略することは憲法の悪用だと指摘しました。

この判決を受けて、当事者は尊厳を傷つけられ、その傷をないものだと見なされたうえに、「大した傷じゃないから治療する必要がない」と突き放されたような気持ちになったと述べ、「制度から排除され、社会から存在しないものと扱われ続けることが、どれほど自分の人生をじわじわ蝕んでいくのか、どれほど人の尊厳を削り取っていくのは、私をそれを身をもって知っている」と訴え、この裁判は「私自身の尊厳を取り戻すために戦い」だと述べたそうです。

2025年12月1日付の「素粒子」は、「時計の針が逆に回っている」、「国家よりも個人が尊重される国をつくろうと謳った憲法。その前文の「われらとわれらの子孫のために」を「利用」して、結婚と生殖を結び付けた判決文の異様さ」と書いたそうです。

 

医療・介護が危ないということについては、まず、病院がつぶれる時代になったことを指摘しました。

2025年1月10日の賀詞交歓会で、日本医師会の相澤会長は「ついに耐え切れなくなった。謀反を起こすか、一揆を起こすか、それぐらいの強い気持ちを持たなければ」と述べたそうです。2025年3月12日は、6病院団体と日医が合同記者会見を行ない、「ある日、突然、病院をはじめとした医療機関が地域からなくなってしまう」と訴えたそうです。診療報酬改定は0.88%のプラス改定でしたが、賃上げには不足し、消費税にも対処できないものでした。そこで、2025年9月10日に6病院団体が厚生労働相に、「2025年度補正予算で1病棟あたり50~100%の緊急支援を行なうこと、2026年診療報酬改定でプラス10%超の引き上げを実施することを求めているそうです。

介護については、2025年5月9日のしんぶん赤旗で介護崩壊の危機を訴えたように、多くの自治体が介護保険サービスの提供体制の持続に危機感があると答えているそうです。

介護従事者の給与は一般産業の労働者の平均賃金よりも8.3万円も低く、需要は増えているのに人員不足でサービス量は減少し、介護保険料はどんどん引き上げられる悪循環に陥っていると指摘しました。

2025年10月に実施した全日本民医連のアンケートでは、赤字の病院が7割で、ギリギリで資金繰りが厳しい病院が74%、、数年以内に資金繰りが困難になると58%が答えているそうです。

2022年12月16日に出された「全世代型社会保障構築会議 報告書」を見ると、社会保障の定義づけの中から「国家責任」が抜け落ちていると指摘しました。1950年10月16日に出された「社会保障制度審議会社会保障制度に関する勧告」では、社会保障は国家扶助であり、社会保障の責任は国にあるとしているそうです。そして、2013年8月6日に出された「社会保障制度改革国民会議報告書」では、「自助、共助、公助」という考え方が示され、社会保障は「自助」を基本とし、「共助」が自助を支え、自助や共助では対応できない困窮などの状況については「公助」が補完するとしました。

このような巻かえ方が浸透してしまったため、若い人たちは社会保障は「助け合い」だと誤解してしまいますが、本来は国家責任であると指摘しました。

医療費の動向をみると、2019年から2024年の間に1.9%増加しているそうです。増加の原因は「高齢化」が+0.6%、「医療の高度化」が1.6%などで、「医療の高度化」の影響が一番大きいそうです。また、受診行動の変化が影響しますが、政府は医療を受けさせないようにしていると指摘しました。例として、OTC類似薬の保険外しがあげられました。

日本の医療費は高いのか国際比較してみると、OECD加盟国で総医療費の対GDP比は11.4%で5位、一人当たり医療費は5,424ドルで19位だそうです。

しかし、医療費削減の主張をする政党は多く、立憲民主党の議員も受診抑制のために医療費低額自己負担の導入を主張したそうです。それに対して、日医は医療に国のお金を入れて雇用を増やして好循環をと主張したそうです。

 

日本の劣化は、一人当たり実質賃金が横ばいであることに表れており、これは「失われた30年」の間ずっと続いてきたと指摘しました。

「Personal is Polotical」という言葉がありますが、これは「個人的なことは政治的なこと」という意味だそうです。

医療経済学者のデビッド・スタックラー氏は、『経済政策で人は死ぬか?』という著書で、コロナ禍の際に緊縮財政の国ほど死者が多かったことを指摘しているそうです。

日本では保健所の破綻が起こりましたが、保健所数は1992年は852カ所だったのが、2020年には469カ所まで減らされていたそうです、

全日本民医連では、コロナ禍を起因とした困窮事例調査を行ない、大学生がバイトを失って授業料が払えなくなり、大学を退学することを余儀なくされたことや、子連れの若い夫婦がフードパントリーに並ぶことが珍しくなくなったことなどがあげられました。失政が人間の尊厳を棄損していると指摘しました。

同じく全日本民医連では、『歯科酷書』を第5弾まで発行しており、2022年8月18日付の沖縄タイムズで「口腔崩壊は自己責任ですか」という問いかけが取り上げられたそうです。

全日本民医連ではキューバ視察を行なっていますが、キューバの人たちは皆歯がきれいで、写真を撮らせてもらったそうです。なぜかというと、憲法で医療が無償化されており、それが政策によって実現されているからだと指摘しました。

日本では、最低時給1,500円を目指して活動しているエキタスという団体があり、「最賃1,500円を実現したら歯医者に行く!」がスローガンの一つになっているそうです。

 

2017年11月23日から24日にフランス・パリで行なわれた国際シンポジウムで、イタリア人に「日本人はあれだけ社会保障を犠牲にした替わりに一体何を得たのですか」と尋ねられたそうです。あとになって、この言葉は抵抗しない日本人への皮肉だと気付いたそうです。

韓国では、市民の行動によって非常戒厳が撤回されましたが、韓国の人たちは日本の安保法制反対の国会前行動に励まされたと言っているそうです。

元レジスタンス闘士、ステファンエセル氏は、『若者よ、怒れ! これがきみたちの希望の道だ』という著書の中で、「人権の侵害は、相手が誰であれ、怒りの対象となるべきだ。この権利にかんする限り、妥協の余地はない」と書いているそうです。

医療界でも大同団結して闘うことを呼びかけているそうです。

自民党の自見はなこ議員は5月9日のインタビューで、「『社会保障予算を高齢化の伸びの範囲内に抑制する』という取り組みを改め、物価・賃金の上昇を踏まえた仕組みを内在させることが必要」、「保険料負担は配慮すべきだが、医療機関だけに負担を押し付けるのは筋が違う」、「いったん崩壊した地域医療・介護を立て直すのは容易ではない」と述べているそうです。

高市総理は、10月4日の総裁選当日記者会見で、「病院に関しては7割が深刻な赤字。介護施設の倒産も過去最高になった。診療報酬改定まで待っていられない」、「補正予算を使わせていただいて支援できる形を検討してもらいたい」と述べたそうです。

日本医師会は4月23日の定例記者会で、「あたかも社会保障支出の膨張によってバランスが悪化し続けているような主張をしているのは卑劣であると言わざるを得ない。医療費削減ありきで議論を進める姿勢は改めるべきだ」、「国民皆保険制度の理念を今後も堅持すべきであり、給付範囲を縮小すべきではない。所得などによって必要な医療を利用できる患者と利用できない患者の間での分断を生み出してはならない」と述べたそうです。

日本が守るべきは医療の非営利性であり、阻止すべきは市場化・営利化であると指摘しました。

アメリカでは、「NO KINGS」デモに700万人が参加し、ニューヨーク市長に民主社会主義者のマムダニ氏が当選したそうです。ニューヨークでできたことが、東京で、埼玉でできない訳がないと述べました。

 

続いて、質疑応答が行なわれました。

イギリスのレジデントのストライキの記事が出ていたが、韓国の医師はなぜ医師を増やす政策に対してストをしたのかという質問に対しては、日本と韓国は医療の成り立ちが違い、日本では民間病院が多いが医療は公共のものという意識がある一方、多くの韓国人は医師を尊敬しておらず、特権階級と見ているのだと答えました。限られたパイを奪い合う相手を増やしたくないという意識や、教育体制が整備されていないのに数を増やしても仕方がない意識もあると述べました。

マイナ保険証でずっと反対運動をしているが、医師会はどう考えているのかという質問に対しては、日本医師会は基本的に政権党と足並みをそろえると答えました。国が決めたのだから仕方がないというスタンスで、現場は困っていると述べました。これだけ時間をかけても不満が残る制度はうまくいかないと指摘しました。変わる可能性もあり、憲法違反ではないかという動きもあるとのことでした。

埼玉県の医療資源の問題について、北部は特に医師が少なく、秩父のベッドは35%しか稼働しておらず、町の医者も継承できなくなってきているという指摘に対しては、深刻な状況であり、働き手の確保に苦労していると述べました。人口が減っているのでベッドが空くので転換が必要だが、需要にちゃんとあっているのかと疑問を提示しました。日本はOECD平均よりも医師数が少なく、特に埼玉県は公立大学に医学部がないと指摘しました。埼玉県は高齢化の進みが最も早く、医療ニーズが爆発的に増える見込みであり、このままでは対応できなくなると指摘しました。病院の在り方を変えていく必要があると述べました。

国はベッド数は足りているというがどうかという質問に対しては、国は机上で計算しているだけなので、実際を見ないとわからないと答えました。

昨日の新聞報道では診療報酬改定は1%、今日の報道では3%のアップとあったが、現在の危機を立て直すには10%は必要なのではないかという質問に対しては、情報筋では財務省が1%、厚労省は3%と主張していたが、昨日急に3%という報道が出たと答えました。それくらいはしないと医療がもたないという判断をしたのだろうが、医療団体は10%アップを主張していると述べました。しかし、おそらくは病院の機能分化が進み、急性期に傾斜することになり、薬価は下げる動きがあると述べました。

 

以上で報告を終わります。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

2025年は、転換の年です。

今度こそ立憲野党による政権交代を実現し、悪政によって痛めつけられた医療・介護・社会保障を立て直し、防衛費倍増をやめさせて国民生活を豊かにするために税金を使わせ、平和憲法を活かした積極外交を行ない、核兵器禁止条約を批准し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。

そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、災害の被災者のための真の復興が行なわれ、世界中の人々が安心して暮らせるようになることを願います。

 

 

12月7日、埼玉医労連の秋冬のナースウェーブ行動に参加しました。

以下、その概要をまとめます。

 

まず、主催者あいさつを小林執行委員長が行ないました。

秋闘での奮闘、お疲れ様でしたと述べました。特に埼玉民医労は、30年ぶりに4回目までの交渉を行ない、回答引き上げを勝ち取ったと報告しました。

慢性的な人員不足、他産業と比較しての低賃金など、医療・介護は厳しい状況にあります。そのような状況に対して、高市政権が医療・介護支援のパッケージを打ち出したのは、私たちが声を上げた成果だと指摘しました。しかし、病院の懐には入らないのではないかという懸念や、均等に配分されないのではないかという心配があると述べました。

韓国の友人から教えてもらった言葉に「テウム」という言葉があり、これは「灰になるまで燃やす」という意味のある言葉で、看護師間のいじめを意味するそうです。韓国では看護師の自殺が多発し、社会問題になっているそうです。原因は、人員不足、徴兵経験による上下関係の強調などにあり、余裕がなくなるとハラスメントが起こってしまうと指摘しました。

日本でもそうした言葉ができないように、今頑張らなければならないと述べました。

仲間と手を取り合って頑張っていきましょうと呼びかけました。

 

次に、基調報告を小貫書記長が行ないました。

12月4日、NHKが「看護師不足で病床休止 学校閉校 いったい何が…」という番組を放映したそうです。全国98の看護学校が募集を停止しており、人材が他産業へ流れているとのことでした。問題は低賃金であり、20代は比較的高いが、30代で逆転し、40代では他産業と10万円ほどの差がつくと指摘しました。

低賃金になるのは診療報酬が低く抑えられているためであり、深刻な状況だと述べました。

2025年秋闘では、20代で数年経験して美容に移る看護師や、医療機器メーカーへ転職するMEがいることが話題になりました。「つらくて」、「燃え尽きて」と言われると引き留められないとのことでした。現時点で、年末一時金は2019年対比で平均0.2ヵ月の引き下げですが、埼玉民医労では12月5日に非正規労働者の季節手当引き上げのための団体交渉を行ない、特別手当500円の支給を勝ち取りました。

群馬県の国立病院では、年度末までの閉鎖を判断したそうです。全国へ波及する恐れがあり、働く場所が奪われ、地域の方の受療権が守れないと指摘しました。

本日は学習会後に駅前宣伝行動を行なうので、ぜひ協力をと呼びかけました。

 

学習会では、岡山県学習協の長久啓太さんの「ケアしあえる職場・組織づくり」の録画を視聴しました。

はじめに、ケア、助け合う関係は、そもそも職場・組織に埋め込まれていると述べました。

しかし、現代社会では自分で抱え込んだり、自己責任論、能力主義が浸透したりし、助け合う関係がつくりにくくなっていると指摘しました。職場の余裕のなさもあり、放っておくと傷つけあう関係性になってしまい、意識的に「ケアの連鎖」をつくっていく必要があると述べました。

第一に、ケアの考え方や意味が取り上げられました。

英語の「Care」は、世話、配慮、関心、心配、注意などの意味があります。第一義は子どもの世話、子育てであり、第二に高齢者介護、病人の看護、第三に心のケアなど、たくさんの場で使われるようになっています。

人間にとってケアとは、存在の在り方そのものだと指摘しました。誰もが脆弱性を持っており、生まれてから死ぬまで、「他者の助け」、誰かのサポートが必要だということです。

自分自身では満たせないニーズに応えてくれる他者がいるから生活でき、相互依存し、支え合うことで生活を維持していると指摘しました。

強い意味での「ケア」は、生存や尊厳にかかわるようなニーズへの応答であり、弱い意味での「ケア」は誰もが日常で受けている気遣い、手助けである述べました。

日常がなめらかにまわっているのは、普段あまり意識しないところで依存関係、ケアがうまく埋め込まれているからであり、私たちは他者の労働に依存して生活していると指摘しました。例えば、水道、電気、食料、ゴミ収集など、すべて他者の労働によって成り立っているものです。そして、資本主義社会では、それらが商品として売買されているため、ケアとして意識しにくいと指摘しました。

職場を成り立たせているにも相互依存、ケアであり、それは相手のことをよく知っているとうまくいきやすいと述べました。何をすれば職場が円滑になるか、相手のニーズがつかめている時、自然とケアができるのであり、だからコミュニケーションが大事だと指摘しました。

アメリカの政治学者、ジョアン・C・トロント氏のケアの定義は、「ケアは人類的活動であり、わたしたちがこの世界で、できるだけ善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる」というものだそうです。

つまり、職場を維持するための活動もケアであるということになります。

ケアの人間観は、自己責任論や能力主義の人間観とは対極にあるものです。

自己責任論、能力主義の人間観は、人に頼らないのが一人前であり、依存するのは劣る人であるというものです。

ケアの人間観は、誰もが脆弱性を持ち、自分の脆弱性やニーズに誰かが応答してくれる時、私たちは「自分が大事にされている」と感じ、人権の核となる「尊厳」につながる感覚を持つことができるというものです。

人間観の見直しが必要であり、誰にも頼らないことが一人前、「自立」であると考えると、自分をケアしてくれる人の存在を認められないが、自他のニーズをケアし合えることを「自立」と考える必要があると指摘しました。

また、依存や頼り合いも過剰では傷になり、自分の思い込みでケアをしないことも大事だと述べました。対話関係、相互コミュニケーションが必要だということです。

岡野八代先生は、『世界』に掲載された「ケア/ジェンダー/民主主義」の中で、「ケアは、ケアを受ける人がいま何を必要としているのか、あるいはその人の動きや息遣いはどうかを注視するなど、ケア活動している瞬間を超える、その人の生の在り方全体を配慮するといった、特定の他者に強く関心を向ける”営み”を含んでいる」と書いているそうです。

山根純佳氏と平山亮氏の『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』の中には、「ケアする人の責任とは、単に食事をあげたり、寝かせたりすることだけではなく、相手がよりよい状態で人生を過ごすことができるように適切に『考えること』にあります」と書かれているそうです。

相手のニーズは把握しにくく、相手が言葉を発せない場合もあります。たとえば乳児、認知症患者などの場合です。社会的マイノリティなど、SOSを出すことができない立場にある場合もあります。これは関係性によって異なり、複数人でのニーズの気付きや把握を共有することが欠かせないと述べました。

自己責任、能力主義では、互いに関心を持たず、自己防衛のために攻撃的に相手を見てしまうということがあるそうです。

第二に、ケアしあえる職場づくりとコミュニケーションについて取り上げられました。

職場は、傷つき、傷つけやすい場所であると指摘しました。体力的にも、精神的にも消耗するのが仕事であり、効率を求められることも多くあり、職場の人間関係はそもそも傷つけやすいそうです。力関係、年齢差、経験や知識もバラバラであり、考え方、価値観も違い、メンバーの入れ替わり、得て不得手も違います。

能力主義では、傷つき、傷つけやすさが増すと指摘しました。他者から見えやすい「数字」、「成果」、「効率」で人を判断する、人間観の単純化が行なわれているからです。

村上晴彦氏の『客観性の落とし穴』では、「経済的に役に立つかどうか、それは生産性という言葉に置き換えることができる。(中略)そして、その比較を誰がするのかというと、人ではなく組織や国家である」と書かれているそうです。

そのように数字で比較されると、感受性や笑顔など、数字では評価されにくい「能力」が見えにくくなると指摘しました。

常に他者から評価される職場は、傷つき、傷つけやすい場所になると指摘しました。

勅使河原真衣氏の『働くということ~「能力主義」を超えて』では、「私たちの社会は、『自立』を目指すばかりに、本来組み合わさってなんぼの人間を『個人』に分断し、序列をつけて『競争』させる-これを学校で、職場で、こと現代はしこたまやりすぎました。そこから生まれたものは、(中略)大多数の方々の『生きづらさ』に他ならない」と書かれているそうです。

なぜ言葉は人を傷つけるのかというと、自分と他者は違うのに、私たちはそれを忘れてしまうからだと指摘しました。

たとえば、「私が若い時はもっと大変だった」、「奥さんの方が休めないの」といったことを言ってしまうことなどです。後者はジェンダーの問題もあると指摘しました。

相手に対する偏見、思い込み、決めつけに注意すべきだと述べました。チーム内のコミュニケーションのなかで、バイアス、偏見、思い込みを減らしていこうと呼びかけました。そして、そのためには学び続けることが必要だと述べました。

マイノリティや属性に関わる無意識の偏見を、「アンコンシャス・バイアス」というそうです。

これが自分では気づかずに人を傷つけたり黙らせたりすると指摘しました。

たとえば、「女性は気がきくね」や「男らしくしろ」といったジェンダーバイアス、「〇〇人はこうだ」といった排外主義、「早くいい人見つけなよ」や「彼女(彼氏)いるの?」といったセクシャリティ、「パートなのに頼りになる」といった見下しなどがあるそうです。

言葉や表情など、他者の反応に敏感になると述べました。

中川瑛氏の『ハラスメントがおきない職場のつくり方~ケアリング・ワークプレイス入門』では、「私は、ケアとはためらいだと思っています。『本当にこの言葉を選んでいいんだろうか』『相手はどんなふうに受け取るだろうか』『自分の思い込みや勝手な正しさを押し付けようとしていないだろうか』『自分は今何を伝えようとしていて、それは誰のニーズに基づいているのだろうか』、そんなふうに考えることが大切なのです」と書かれているそうです。

協働が仕事の本質だからこそ、「ケアをしあう」という考えを職場へ入れることが必要であり、一人一人のニーズを知ろうとして、それをケアする、サポートし合える関係づくりが必要であると指摘しました。

当たり前のことができているか、当たり前の中に本質があると指摘しました。たとえばあいさつは、コミュニケーションの入り口であり、表情や声の大きさなどで状態を知る手掛かりになり、名前を添えると心理的に近く感じると述べました。

徳永進氏の『話ことばの看護論』では、「名を呼ぶというだけでも、ひとつの大きなケアというか、人が人に対する大切な態度なんですね。その人を認めるという意味です」と書かれているそうです。

雑談も大事であると述べました。天気の話は、誰でもしやすく、相手を気遣う言葉につなげやすいと指摘しました。コロナ禍で雑談が減ったことにより、チーム力が下がるということも起こっているそうです。雑談で相手のことを知ることができると指摘しました。

「気遣い」、「感謝」の言葉を添えることも大事だそうです。私たちの仕事・活動は頼り、頼られながら「協働」で行なわれ、日常になっているからこそ、言葉にして伝えることが大切だということです。

職場やチームの協力関係を耕す日々の営み、普段の生活の中でも習慣づけることが大事だと述べました。

ケアの難しさには、さじ加減が難しいということがあるそうです。ケアは相手の領域に無断で立ち入ることになり、かえって傷つけてしまうということです。常に調整にし、対話的関係を持ち、ニーズをつかむことが大切だと指摘しました。コミュニケーションが大事だということです。

「相談を受ける」、「話を聴く」ということは内面のサポートであり、「言葉が出てくるのを待つ」姿勢も大事だと述べました。まわりの環境を整えてあげることもサポートになるそうです。

また、「余裕」、「ゆとり」がないとケアし合う関係をつくるのは難しいと指摘しました。余裕がなくなると「聞く」は停滞し、相手に注意を向ける余裕がなくなればサインを見落とすことも増えてしまうということでした。

前述の『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』では、「『察し、気を回し、手を回』せるようになるためには、相手への理解を深めるための観察や、そのためのやりとりを行う余裕と、その場その時の相手のサインに気づくための余裕、さらにはその両方をあわせて『これで良さそう』と思われることを実際に試してみる余裕という、いくつかの余裕が必要となってきます。その意味で、これらの余裕をもたらす時間やスケジュールは、『察し、気を回し、手を回す』ための資源と言えるでしょう」と書かれているそうです。

しかし、今、ケア労働現場は余裕がなくなっており、スタッフ間のケアも不足すると指摘しました。資本主義の在り方をケアの視点から構築し直す取り組みは急務だと述べました。

職場の「ケア文化」は、制度や仕組みにも表れると指摘しました。組織文化の力により、ケアされる力、ケアする力が育つと述べました。職員どうしの学び合いはケアになり、「職場の共有言語」、「共通の実践」により、連携の質も高まると述べました。

定期的な相談や面談の機会をつくることは、自分の話をじっくり聞いてくれるという安心感を与えると述べました。また、「相談を必ず聞く」というメッセージを常に出すこと、ニーズの把握を仕組み化すること、「遊び」や「イベント」を意識的に行なうことがあげられました。

労働組合の存在は大事なケア資源であり、「職場以外」の場があることが大事で、人間的な関係構築の場になると述べました。

さいごに、「ケアの連鎖」のなかにいられるような職場や組織を目指していきたいと述べました。

 

学習会後、浦和駅前で署名行動を行ないました。

小1時間の行動で、医療・介護従事者の増員を求める署名が34筆、地域医療の存続のための医療機関支援を求める署名が15筆集まりました。

 

以上で報告を終わります。