2025年は、転換の年です。
今度こそ立憲野党による政権交代を実現し、悪政によって痛めつけられた医療・介護・社会保障を立て直し、防衛費倍増をやめさせて国民生活を豊かにするために税金を使わせ、平和憲法を活かした積極外交を行ない、核兵器禁止条約を批准し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。
そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、災害の被災者のための真の復興が行なわれ、世界中の人々が安心して暮らせるようになることを願います。
12月7日、埼玉医労連の秋冬のナースウェーブ行動に参加しました。
以下、その概要をまとめます。
まず、主催者あいさつを小林執行委員長が行ないました。
秋闘での奮闘、お疲れ様でしたと述べました。特に埼玉民医労は、30年ぶりに4回目までの交渉を行ない、回答引き上げを勝ち取ったと報告しました。
慢性的な人員不足、他産業と比較しての低賃金など、医療・介護は厳しい状況にあります。そのような状況に対して、高市政権が医療・介護支援のパッケージを打ち出したのは、私たちが声を上げた成果だと指摘しました。しかし、病院の懐には入らないのではないかという懸念や、均等に配分されないのではないかという心配があると述べました。
韓国の友人から教えてもらった言葉に「テウム」という言葉があり、これは「灰になるまで燃やす」という意味のある言葉で、看護師間のいじめを意味するそうです。韓国では看護師の自殺が多発し、社会問題になっているそうです。原因は、人員不足、徴兵経験による上下関係の強調などにあり、余裕がなくなるとハラスメントが起こってしまうと指摘しました。
日本でもそうした言葉ができないように、今頑張らなければならないと述べました。
仲間と手を取り合って頑張っていきましょうと呼びかけました。
次に、基調報告を小貫書記長が行ないました。
12月4日、NHKが「看護師不足で病床休止 学校閉校 いったい何が…」という番組を放映したそうです。全国98の看護学校が募集を停止しており、人材が他産業へ流れているとのことでした。問題は低賃金であり、20代は比較的高いが、30代で逆転し、40代では他産業と10万円ほどの差がつくと指摘しました。
低賃金になるのは診療報酬が低く抑えられているためであり、深刻な状況だと述べました。
2025年秋闘では、20代で数年経験して美容に移る看護師や、医療機器メーカーへ転職するMEがいることが話題になりました。「つらくて」、「燃え尽きて」と言われると引き留められないとのことでした。現時点で、年末一時金は2019年対比で平均0.2ヵ月の引き下げですが、埼玉民医労では12月5日に非正規労働者の季節手当引き上げのための団体交渉を行ない、特別手当500円の支給を勝ち取りました。
群馬県の国立病院では、年度末までの閉鎖を判断したそうです。全国へ波及する恐れがあり、働く場所が奪われ、地域の方の受療権が守れないと指摘しました。
本日は学習会後に駅前宣伝行動を行なうので、ぜひ協力をと呼びかけました。
学習会では、岡山県学習協の長久啓太さんの「ケアしあえる職場・組織づくり」の録画を視聴しました。
はじめに、ケア、助け合う関係は、そもそも職場・組織に埋め込まれていると述べました。
しかし、現代社会では自分で抱え込んだり、自己責任論、能力主義が浸透したりし、助け合う関係がつくりにくくなっていると指摘しました。職場の余裕のなさもあり、放っておくと傷つけあう関係性になってしまい、意識的に「ケアの連鎖」をつくっていく必要があると述べました。
第一に、ケアの考え方や意味が取り上げられました。
英語の「Care」は、世話、配慮、関心、心配、注意などの意味があります。第一義は子どもの世話、子育てであり、第二に高齢者介護、病人の看護、第三に心のケアなど、たくさんの場で使われるようになっています。
人間にとってケアとは、存在の在り方そのものだと指摘しました。誰もが脆弱性を持っており、生まれてから死ぬまで、「他者の助け」、誰かのサポートが必要だということです。
自分自身では満たせないニーズに応えてくれる他者がいるから生活でき、相互依存し、支え合うことで生活を維持していると指摘しました。
強い意味での「ケア」は、生存や尊厳にかかわるようなニーズへの応答であり、弱い意味での「ケア」は誰もが日常で受けている気遣い、手助けである述べました。
日常がなめらかにまわっているのは、普段あまり意識しないところで依存関係、ケアがうまく埋め込まれているからであり、私たちは他者の労働に依存して生活していると指摘しました。例えば、水道、電気、食料、ゴミ収集など、すべて他者の労働によって成り立っているものです。そして、資本主義社会では、それらが商品として売買されているため、ケアとして意識しにくいと指摘しました。
職場を成り立たせているにも相互依存、ケアであり、それは相手のことをよく知っているとうまくいきやすいと述べました。何をすれば職場が円滑になるか、相手のニーズがつかめている時、自然とケアができるのであり、だからコミュニケーションが大事だと指摘しました。
アメリカの政治学者、ジョアン・C・トロント氏のケアの定義は、「ケアは人類的活動であり、わたしたちがこの世界で、できるだけ善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる」というものだそうです。
つまり、職場を維持するための活動もケアであるということになります。
ケアの人間観は、自己責任論や能力主義の人間観とは対極にあるものです。
自己責任論、能力主義の人間観は、人に頼らないのが一人前であり、依存するのは劣る人であるというものです。
ケアの人間観は、誰もが脆弱性を持ち、自分の脆弱性やニーズに誰かが応答してくれる時、私たちは「自分が大事にされている」と感じ、人権の核となる「尊厳」につながる感覚を持つことができるというものです。
人間観の見直しが必要であり、誰にも頼らないことが一人前、「自立」であると考えると、自分をケアしてくれる人の存在を認められないが、自他のニーズをケアし合えることを「自立」と考える必要があると指摘しました。
また、依存や頼り合いも過剰では傷になり、自分の思い込みでケアをしないことも大事だと述べました。対話関係、相互コミュニケーションが必要だということです。
岡野八代先生は、『世界』に掲載された「ケア/ジェンダー/民主主義」の中で、「ケアは、ケアを受ける人がいま何を必要としているのか、あるいはその人の動きや息遣いはどうかを注視するなど、ケア活動している瞬間を超える、その人の生の在り方全体を配慮するといった、特定の他者に強く関心を向ける”営み”を含んでいる」と書いているそうです。
山根純佳氏と平山亮氏の『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』の中には、「ケアする人の責任とは、単に食事をあげたり、寝かせたりすることだけではなく、相手がよりよい状態で人生を過ごすことができるように適切に『考えること』にあります」と書かれているそうです。
相手のニーズは把握しにくく、相手が言葉を発せない場合もあります。たとえば乳児、認知症患者などの場合です。社会的マイノリティなど、SOSを出すことができない立場にある場合もあります。これは関係性によって異なり、複数人でのニーズの気付きや把握を共有することが欠かせないと述べました。
自己責任、能力主義では、互いに関心を持たず、自己防衛のために攻撃的に相手を見てしまうということがあるそうです。
第二に、ケアしあえる職場づくりとコミュニケーションについて取り上げられました。
職場は、傷つき、傷つけやすい場所であると指摘しました。体力的にも、精神的にも消耗するのが仕事であり、効率を求められることも多くあり、職場の人間関係はそもそも傷つけやすいそうです。力関係、年齢差、経験や知識もバラバラであり、考え方、価値観も違い、メンバーの入れ替わり、得て不得手も違います。
能力主義では、傷つき、傷つけやすさが増すと指摘しました。他者から見えやすい「数字」、「成果」、「効率」で人を判断する、人間観の単純化が行なわれているからです。
村上晴彦氏の『客観性の落とし穴』では、「経済的に役に立つかどうか、それは生産性という言葉に置き換えることができる。(中略)そして、その比較を誰がするのかというと、人ではなく組織や国家である」と書かれているそうです。
そのように数字で比較されると、感受性や笑顔など、数字では評価されにくい「能力」が見えにくくなると指摘しました。
常に他者から評価される職場は、傷つき、傷つけやすい場所になると指摘しました。
勅使河原真衣氏の『働くということ~「能力主義」を超えて』では、「私たちの社会は、『自立』を目指すばかりに、本来組み合わさってなんぼの人間を『個人』に分断し、序列をつけて『競争』させる-これを学校で、職場で、こと現代はしこたまやりすぎました。そこから生まれたものは、(中略)大多数の方々の『生きづらさ』に他ならない」と書かれているそうです。
なぜ言葉は人を傷つけるのかというと、自分と他者は違うのに、私たちはそれを忘れてしまうからだと指摘しました。
たとえば、「私が若い時はもっと大変だった」、「奥さんの方が休めないの」といったことを言ってしまうことなどです。後者はジェンダーの問題もあると指摘しました。
相手に対する偏見、思い込み、決めつけに注意すべきだと述べました。チーム内のコミュニケーションのなかで、バイアス、偏見、思い込みを減らしていこうと呼びかけました。そして、そのためには学び続けることが必要だと述べました。
マイノリティや属性に関わる無意識の偏見を、「アンコンシャス・バイアス」というそうです。
これが自分では気づかずに人を傷つけたり黙らせたりすると指摘しました。
たとえば、「女性は気がきくね」や「男らしくしろ」といったジェンダーバイアス、「〇〇人はこうだ」といった排外主義、「早くいい人見つけなよ」や「彼女(彼氏)いるの?」といったセクシャリティ、「パートなのに頼りになる」といった見下しなどがあるそうです。
言葉や表情など、他者の反応に敏感になると述べました。
中川瑛氏の『ハラスメントがおきない職場のつくり方~ケアリング・ワークプレイス入門』では、「私は、ケアとはためらいだと思っています。『本当にこの言葉を選んでいいんだろうか』『相手はどんなふうに受け取るだろうか』『自分の思い込みや勝手な正しさを押し付けようとしていないだろうか』『自分は今何を伝えようとしていて、それは誰のニーズに基づいているのだろうか』、そんなふうに考えることが大切なのです」と書かれているそうです。
協働が仕事の本質だからこそ、「ケアをしあう」という考えを職場へ入れることが必要であり、一人一人のニーズを知ろうとして、それをケアする、サポートし合える関係づくりが必要であると指摘しました。
当たり前のことができているか、当たり前の中に本質があると指摘しました。たとえばあいさつは、コミュニケーションの入り口であり、表情や声の大きさなどで状態を知る手掛かりになり、名前を添えると心理的に近く感じると述べました。
徳永進氏の『話ことばの看護論』では、「名を呼ぶというだけでも、ひとつの大きなケアというか、人が人に対する大切な態度なんですね。その人を認めるという意味です」と書かれているそうです。
雑談も大事であると述べました。天気の話は、誰でもしやすく、相手を気遣う言葉につなげやすいと指摘しました。コロナ禍で雑談が減ったことにより、チーム力が下がるということも起こっているそうです。雑談で相手のことを知ることができると指摘しました。
「気遣い」、「感謝」の言葉を添えることも大事だそうです。私たちの仕事・活動は頼り、頼られながら「協働」で行なわれ、日常になっているからこそ、言葉にして伝えることが大切だということです。
職場やチームの協力関係を耕す日々の営み、普段の生活の中でも習慣づけることが大事だと述べました。
ケアの難しさには、さじ加減が難しいということがあるそうです。ケアは相手の領域に無断で立ち入ることになり、かえって傷つけてしまうということです。常に調整にし、対話的関係を持ち、ニーズをつかむことが大切だと指摘しました。コミュニケーションが大事だということです。
「相談を受ける」、「話を聴く」ということは内面のサポートであり、「言葉が出てくるのを待つ」姿勢も大事だと述べました。まわりの環境を整えてあげることもサポートになるそうです。
また、「余裕」、「ゆとり」がないとケアし合う関係をつくるのは難しいと指摘しました。余裕がなくなると「聞く」は停滞し、相手に注意を向ける余裕がなくなればサインを見落とすことも増えてしまうということでした。
前述の『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』では、「『察し、気を回し、手を回』せるようになるためには、相手への理解を深めるための観察や、そのためのやりとりを行う余裕と、その場その時の相手のサインに気づくための余裕、さらにはその両方をあわせて『これで良さそう』と思われることを実際に試してみる余裕という、いくつかの余裕が必要となってきます。その意味で、これらの余裕をもたらす時間やスケジュールは、『察し、気を回し、手を回す』ための資源と言えるでしょう」と書かれているそうです。
しかし、今、ケア労働現場は余裕がなくなっており、スタッフ間のケアも不足すると指摘しました。資本主義の在り方をケアの視点から構築し直す取り組みは急務だと述べました。
職場の「ケア文化」は、制度や仕組みにも表れると指摘しました。組織文化の力により、ケアされる力、ケアする力が育つと述べました。職員どうしの学び合いはケアになり、「職場の共有言語」、「共通の実践」により、連携の質も高まると述べました。
定期的な相談や面談の機会をつくることは、自分の話をじっくり聞いてくれるという安心感を与えると述べました。また、「相談を必ず聞く」というメッセージを常に出すこと、ニーズの把握を仕組み化すること、「遊び」や「イベント」を意識的に行なうことがあげられました。
労働組合の存在は大事なケア資源であり、「職場以外」の場があることが大事で、人間的な関係構築の場になると述べました。
さいごに、「ケアの連鎖」のなかにいられるような職場や組織を目指していきたいと述べました。
学習会後、浦和駅前で署名行動を行ないました。
小1時間の行動で、医療・介護従事者の増員を求める署名が34筆、地域医療の存続のための医療機関支援を求める署名が15筆集まりました。
以上で報告を終わります。