生きるのがツラかった私が抑制を取っ払ったらファッショニスタになっちゃった話 | 東大卒ママが美と子育てと自分探しについて語るブログ

東大卒ママが美と子育てと自分探しについて語るブログ

HSPで悩むのが趣味な30代女のブログ。
中学生からずっと憧れていた専業主婦になりましたが、思っていたのと違う!と自分の人生を模索し出し、ブランドを立ち上げたいと奔走中。
小1娘のママ。

こんにちは、東大卒専業ママのイチコです。

最近新たにこのブログを知ったという方が増えてきたので

改めて自己紹介させていただきます。

 

 

私は2年前、育児ノイローゼからの軽い鬱になりました。

 

なりたくてなったはずの専業主婦なのに、

夢を叶えたはずなのに、

現実はツラくて仕方がない子育て。

 

人が変わったように怒り狂う自分に絶望し、

この人生をどうやって終わりにしようと毎日考えていました。

 

ところがある事がきっかけで、人生が激変。

いつの間にかファッショニスタになり、

今やインスタを投稿すれば

「ステキ!」「美しい!」「ママに見えない!」と何十件も

コメントを頂くようになりました。 


↑入園式の時の写真と近影


今の私は

・週末は自分ファッション全開。『ゴシップガール』や『プラダを着た悪魔』のような、昔憧れていた格好ができるように。

・知らない人に「いつもインスタ見ています!」「更新楽しみにしています!」と言われる。

・週末の子守は基本夫、ママはショッピングや美活に明け暮れる。

・やりたいことは基本的に叶えてくれるor応援してもらえる。

・家事はやりたい事をやりたい時にやれる分だけやる。

・長年の不眠症が治り毎日7時間寝られるように。

・月の半分は体調不良で寝込む日々だったのが、数ヶ月間一度も寝込まず元気でいられるように。

・最優先事項は、自分が幸福感を感じる事を実行すること。

・とりあえず毎日生きているのが楽しくて仕方ない。

・ツラさゼロ、楽しい事だけして数十万円を稼ぐ。

 

今は自分の人生を生きられている、

幸せだと思えるようになりましたが

少し前までは生きているのがツラくて仕方がなかったです。

 

どうやってそんな人生を変えてきたのか、

私の人生の変遷を読んで参考にして頂けたら嬉しいです。

 

 

1.抑制を覚えた日〜母親との確執〜

 

厳しい母親に育てられた私は、

「これが欲しい」「これがやりたい」というのが言えない子供でした。

 

スーパーで売っている駄菓子やくだらないおもちゃは

欲しいとねだった記憶がありません。

 

母の険しい顔が浮かんで、口にする事さえできない。

空気を読んで自分を抑える事が当たり前でした。

 

2歳でバレエを始め、ピアノ、水泳、習字、塾などたくさんの習い事をしてきました。

バレエの先生がまた怖くて怖くて、

その佇まいはいまだにハッキリと覚えています。

 

最古の記憶はバレエの合宿です。

 

3歳か4歳くらいの時、

合宿というものが何だか分からず、

なぜ母親がいないのかも分からず、

出された夕食は喉を通らず、

気持ちを表現する事もできず、

当時のボキャブラリーでやっと言えたのは「お腹が痛い」のみ。

 

お姉さんたちがワイワイおしゃべりしている部屋の片隅で

取り置かれた夕食を前にうずくまっていました。

 

とりあえず言われた通りにしないと生き残れない。

そんな状況の中で、

自分の気持ちなんて考えた事もありませんでした。

 

 

小学校2年生の頃、一度だけクリスマスプレゼントにこれが欲しいと言った記憶があります。

 

チラシをちぎって糊と一緒に型に入れ、再生紙を作るオモチャでした。

 

珍しく欲しいと言ったものを買ってもらえた私は、

それが大好きで何度も作りたがりました。

 

しかし母親は大変だったのでしょう、(今ならその気持ちも分かります)

嫌がりあまりやらせてもらえませんでした。

 

押入れの高い所にしまわれたそのオモチャが出される事は

その後ありませんでした。

 

欲しい、やりたいと言っても母親が望まないことなら叶う事はない

という考えがすっかり身につき、

いつしか母親が険悪な顔をするような事は言っても仕方がないと

最初から諦めるようになりました。

 

諦めるか、隠れてやれる事は隠れてやる、

この二択になっていきました。

 

 

中学生になってGLAYにハマっていた私は、

バンドを組みたいと思うようになりました。

 

絶対に母親は反対すると分かっていたけれど

これだけはどうしてもやりたい!と思った私は

親に内緒でバンドを組みました。

 

バンド仲間のお兄さんがエレキギターを貸してくれ、

ある日突然我が家にエレキギターが現れました。

 

母親はとてもとても嫌な顔をしましたが、

そこにあるものを捨てる事まではさすがにせず

「学校の中だけで活動すること

 ライブハウスには出入りしないこと」

これだけ約束させられて、応援はしないものの黙認してくれる事になりました。

 

文化祭くらいしかライブの場がないコピーバンドでしたが

かけがえのない経験をたくさん私にさせてくれました。

 

やがて活動の場を広げていきたくなります。

自分達の曲を作り、ライブハウスで活動したい。

当然のようにそう思うようになりました。

 

でも母親との約束があります。

様子を伺うように打診してみましたが

母親の険悪な顔に諦めるしかないと思いました。

 

夜間の外出、活動費の捻出、どう考えても

これ以上親の許可なしに続けるのは不可能に思われました。

 

 

あんなに情熱を注いできたバンド活動なのに

乗り越えられない壁がある。

 

満足いくまでやらせてもらえない。

 

そう不貞腐れた私に、突如面白そうな話が舞い込みました。

 

 

当時私は偏差値50くらいの学校に通っていました。

 

ところが学校で受けさせられた模試で良い成績が出たのを見て、

担任の先生が

「天下を目指してみないか?」「東大を受けないか?」と言ってくださったのです。

 

バンド活動が壁にぶつかり、むしゃくしゃしていました。

 

私のやりたい事なんか何もやらせてもらえないと拗ねていた私は、

その話を聞いてこう思いました。

 

勉強なら母に邪魔されずにとことん打ち込む事ができる。

東大まで行けば、さすがの母親も黙ってやりたい事をやらせてくれるようになるだろう。

道を踏み外すとか言わず、遊び放題になるはず。

 

しかも東大の中で未来の夫を捕まえれば

高学歴高収入の夫が私を専業主婦にしてくれて

将来設計もバッチリだわ。

 

こうして私は、偏差値50の学校から一人東大を目指す事にしたのです。

 

 

よき先生との出会いに恵まれ、たくさんの助けを得て、

なんとか東大に合格する事ができました。

 

ですが、東大に入っても母親は変わりませんでした。

 

 

あれはダメ、これはダメ、門限は11時。

予備校のバイトも家庭教師のバイトもダメ、

ミニスカを履けばスカートが短すぎるとグチグチ言われ、

ヒールを履けば足が悪くなるよとネチネチ言われ。

 

面倒なので何事も、親に悪く言われない選択肢から決める事がクセになっていきました。

 

あんなに頑張って東大まで行ったのに、

結局何も変わらなかった。

自分の思い通りには生きられない。

人生に無力感がありました。

 

 

 

2.自由を手に入れる

 

そんな私の最後の望みは、結婚でした。

東大卒の彼氏と結婚して家を出る。

それが私のゴールでした。

 

仕事に興味が持てず専業主婦になるつもりだった私は、

大学卒業後、とりあえず名の知れた大企業に就職。

 

入社して3年経ち、結婚費用も貯まった26歳の時、

結婚して家を離れました。

 

「家から嫁に出す」と言われ、

一人暮らしも許さなかった母親の束縛時代が終わりました。

 

 

ヒールの高い靴を履いたり、クラブでオールしたり、

そんなたわいもない、でも今まで出来なかった事が

結婚した事で自由に出来るようになりました。

(普通は逆だと思うのですが…懐の深い夫に感謝です。)

 

夫と暮らすようになり、好きな事を仕事にしている彼を見ていると、

私はなんてつまらない毎日を送っているんだろうと思うようになります。

 

そして結婚3ヶ月で新卒で入った会社を退職。

退職した事を母に事後報告すると

「あんなにいい会社を辞めるなんてもったいない!」と怒られましたが

家を出た私はもう自由です。

 

「私はもう好きに生きるの」と言って帰りました。

 

自分の人生を生きていると思えた瞬間でした。

 

 

そしてずっと憧れていながらなんとなく逃げていた

建築の仕事をやってみる事にします。

 

転職したのは、カフェやレストランの内装デザインを手掛ける設計事務所。

 

イタリアンレストランの設計では大好きなレンガに囲まれて選べる事に心が躍り、

海外の寿司屋の案件では日本の伝統美を海外に伝えられる事を誇らしく思っていました。

 

1mmにこだわる世界は私に合っていて、

デザインとたわむれる毎日は充実感がありました。

 

ですが、設計の仕事は「自分がいいと思うもの」ではなく

「クライアントがいいと思うもの」を提示する仕事です。

 

何ヶ月もかけて作ってきたお店が完成直前に「好きじゃない」と言われ、

工事をやり直しになったこともありました。

 

2年設計事務所で働いた頃、

お客様に合わせる事に疲れ、

長時間労働にも疲労が溜まり、

もうこの仕事も十分だと思うようになりました。

 

そして父の他界がきっかけとなり退職。

 

28歳で念願の専業主婦になりました。

 

子供がいない時の専業主婦は「ラク」そのものでした。

前に進んでいる感じもないけれど、

私を煩わせるものも何もない。

 

1年間遊び呆けて、もう未練はない!と思えた29歳で妊娠。

 

30歳で女の子を出産しました。

 

 

 

3.夢と思っていたものは夢じゃなかった

 

今思えば、私は赤ちゃんにまるで興味がありませんでした。

姉が里帰り出産をした時も、特に可愛いがりもせず

外で遊び呆けていました。

 

そんな訳で赤ちゃんについて何も知らぬまま

全ては育児書とネットで接し方を勉強し、育児に突入しました。

 

早期教育の本も買い、この子を頭のいい子に育てるぞ!と意気込んでいました。

 

ところが、早期教育は早期に断念する事に。

 

赤ちゃんの時から自我が強かった娘。

こっちの意図なぞどこ吹く風、

どんなに辛抱強く頑張っても、

育児書通りの反応が返ってこない事にうんざりしてしまいます。

 

ここで一つ、努力する人と結果を出す人が一致しないのは

不健全な事だと思うようになり、

早期教育は辞める事にしました。

 

子供を思い通りにする事が間違っているなら

思いを描く事自体間違っているの?と思うようになり

この頃から急速に子育ての意欲も失われ始めます。

 

 

育児には興味が持てない。

でも、子供からの要求は絶えず24時間振り回されている。

 

子供のために自分の時間も労力も思考も全て差し出している。

自分のやりたい事をする時間などなく、

興味のないやりたくもない事に私が奪われていく。

 

 

そしてイヤイヤ期が始まると

我慢に我慢を重ねて壊れていきました。

 

子供をぶっ叩きたくなる気持ちを抑えて

でも爆発した怒りをどこにもぶつけられなかった時、

気がついたら叫びながら地団駄を踏んでいる自分がいました。

人は怒ると本当に地団駄を踏むんだなと知った瞬間でした。

 

人が変わったと思う日々でした。

どちらかと言うと冷静で知的だと思っていた自分。

こんなに怒り狂うのは初めてで、

罵詈雑言を吐ける自分が信じられませんでした。

 

汚い言葉を小さな子供に投げつけられる自分に絶望して

生きるのがどんどんつらくなっていきました。

 

 

やがて、

・焦点が合わなくなり、近くの文字も遠くの景色もよく見えない。

・常に頭にモヤがかかっていて、自分の脳じゃないみたい。

・ダルくて立つのがしんどい、出かけたくない。

・下腹部が常に痛いか重い。

・疲れ切っているのに寝付けなくて、朝の5時にようやく眠る。それでも8時には子供に起こされる。

 

そんな日々が続きましたが、それでも同じような境遇の人のブログを読んでは

「ママだからそんなもん、みんな頑張れているんだから私もやらなきゃ」

と自分に鞭を打っていました。

 

そして自分でも気づかないうちに少しずつ症状が進行していきました。

 

いつしか、「ここから飛び降りても死ねないかな」

「屋上は鍵がかかっているな」

「あの車はゆっくり過ぎて、今飛び出してもブレーキが間に合うな」

そんな事を常に考えるようになりました。

 

元々希死念慮がある方でしたが、

一歩進んだと感じていました。

 

私は過去に、そこそこ仲がいいと思っていた隣の席の子が

顔色が悪いなと思って話しかけた翌日

死を選んだという事がありました。

 

その子の事を思い出しては、

こうやって少しずつ死に近づいていったんだなと感じました。

 

まだ猶予はあると思いつつも、これ以上進んだら

いつか本気で実行すると思った私は、

夫に今の気持ちを打ち明ける事にしました。

 

自覚はありながらも自信はなかったので

笑い話のように軽く、廊下で立ったまま、

「最近死ぬ方法を考えちゃうんだよね、ヤバいよねぇ、あはは。」

と笑いながら話しました。

 

そしたら夫は「それはマズいんじゃない?」と察してくれて、

そこから我が家の非常事態宣言が始まりました。

 

ベビーシッターサービスを利用して、

夫の育児参加の時間も増やしてもらいました。

 

心療内科にも行き、軽いうつと診断されました。

精神安定剤と入眠剤をもらい、飲むようになりました。

 

素晴らしいシッターさんに巡り会え、夫の助けと薬も効いた事で、

少しずつ精神的には回復していきました。

 

でも、毎日だるくてしんどいのは変わらないし

週に一回くらいは寝込むし

相変わらず子供といるのはつらいし

幸せとは思えない日々でした。

 

毎日の望みは相変わらず、

今日という日が一刻も早く過ぎ去る事でした。

 

ただただ耐えている。

やり過ごす事だけを考えている。

だから、今が幸せとは思えない。

 

夫と話していてふと口から出た言葉は

「自分を取り戻したい」でした。

その言葉が出た途端、私は自分の求めている事に気付いて

涙が止まらなくなりました。

 

でももう何をどうしたらいいのか、分かりませんでした。

 

 

 

4.本当の自分を知る

 

そんな時、以前からファンだった小田桐あさぎさんという方が

新刊を出し講座を開くと知ります。

 

あさぎさんのセミナーを通して

短所こそ自分の長所である、と知った私。

 

短所というネガティブなワードで言ってもなお

正面から受け止められている、

それくらい自分の特徴に腹を括りたいと

思うようになりました。

 

「自分にしかない魅力」を自覚して

魅力を開花させて生きたい。

そう感じた私は、その講座が気になり始めます。

 

「幸せになる方法はここにある。

本もブログも熟読しているのに、私は変わっていないし幸せになれていない。

もう、この講座に参加するしかない。」

そう思いました。

 

がしかし、値段が高い…!

払ったことがないような値段でした。

 

全く手をつけずにいた退職金の記帳をしに行き、

お金がある事を確認。

 

いやでも…いやでも…と悶々を繰り返した結果。

 

「自分を開花させるために大金を払う。

無駄な浪費だったな、大金失ったなって思ったっていいんだ。

自分に失敗させてあげてもいいじゃないか。

新しい経験をして、新しい自分を手に入れるんだ。」

とようやく覚悟を決め、

震える手で魅力覚醒講座に申し込みをしました。

 

 

講座を受けた効果はすぐに出ました。

夫を信頼すること、

家事を手放す方法を知り

やらなきゃと思い込んでいた事をやらないと決めた事で

まず自分と向き合う時間を取れるようになりました。

 

狭いベランダに椅子を作り日向ぼっこをしてみたり、

スタバで自分と向き合うワークをしたり。

 

その結果。

蓄積された疲れが少しずつ解け、

自分の頭が自分のものであり、

東大を目指していた頃のようにキレッキレに回転する感覚が戻ってきたのです。

こんなに幸せな事はありませんでした。

 

一人で自分の思考に浸れる時間がある。

それだけで私は私を取り戻す第一段階をあがる事ができました。

 

 

そして自分が何者かを知る瞬間が訪れます。

 

その日は暑くて他に誰もいないスタバのテラス席で、

私は自分の「好き」について分析をしていました。

 

ネットで靴を買ったんだけど、サイズが小さくて歩けなかった。

なのに、そのデザインが好き過ぎて

「こんな写真が撮りたい」というイメージが思い浮かんでしまったので

写真を撮るためだけに返品せず取っておこうと思った事。

 

「こういうものが欲しいのに世の中にないから自分で作っちゃおう」と

CADでアクセサリーをデザインしている事。

 

インスタを利用する事で、自分のステキだと思うファッションを表現できる事。

だけどそのステキさに賛同してくれる人がいない事を不満に思っていること。

 

そんな事を一個一個書き出していたら、

「私は私の中にある美的世界観を具現化して発信したいんだ」という事に気付きました。

 

これは「私が」というよりも「私の奥底にある魂がそれを渇望している」という感覚で

私はその瞬間「ようやく気づいてくれた!」「よくぞ気づいてくれた!」という

魂の歓喜を感じました。

 

私はそのような感覚、体験は初めての事でした。

そしてスタバのテラス席で1人、湧き上がる感情が抑えられず、嗚咽をあげて泣きました。

 

それ以来、私の魂はこれを望んでいるんだからもう叶えてあげるしかない、

私はもうこの生き方しかできないと

ある種の諦めとも言える覚悟がつくようになりました。

 

 

そしてあさぎさんが提唱している魅力タイプ診断により

「私は普通の人としては生きられない。

 特別な存在を目指して生きるしかない」

と知ります。

 

自分の魂は何を求めてしまうのか、

自分は他人と比較してどういう存在なのか、

どうやって生きていけば私らしく幸せでいられるのか。

 

それらが全て一つの道として明示され、

自覚できるようになりました。

 

今まで自分の事を勘違いして、

全く違う方向に頑張ろうと無駄な事をしていたのです。

 

その事に気づいて、今まで「普通であろうとするブレーキ」を自分にかけてきたのを

辞める事にしました。

 

それ以来、家事と育児を頑張らない事に罪悪感を感じなくなりました。

家事育児を頑張らない事が私にとっては正しい生き方だと自信を持って思えるので、

普通のママがこなしている事が出来なくても気にならなくなりました。

 

 

自分の魂が満足する事に時間とお金を使う。

持って生まれた特性をきちんと活かす生き方をする。

そう心がけるうちに、毎日が愛おしい幸福感のあふれる時間になるようになりました。

 

 

 

 

5.ファッショニスタになる

 

講座卒業後にまずやったのは、

「大好きなファッションをとことん楽しんでいい

 インスタを楽しんでいい」

と自分に許可することでした。

 

好きなのに自分でブレーキをかけていたファッション。

 

「ファッションにうつつを抜かすなんてダメ」と

母に言われてきた言葉を

自由になったと思っていた今でも忠実に守っていたことに

ようやく気づいたのです。

 

何かをやりたいとふと思った時に、

いつも「普通は」とか「世間の正解」とか

染み付いてしまった「母親の思想」を判断基準にして

やらない方に舵を切ってしまっていました。

 

でも本当の私は

・ロックが好きで、世間なんてクソくらえと思っていた

・母親から低俗的と言われていたファッションが大好きだった

・美しくすることや、可愛いものに全霊を捧げたい

・ただただ、世界の美しさに酔いしれたい

そんな風に思っていました。

 

本当の私の希望とは裏腹に

親や世間の価値観で自分を抑え込んでいたのです。

 

この自己抑制こそが、私の不幸の原因でした。

 

やりたい気持ちを無意識のうちに否定するのをやめ、

やりたいと感じた気持ちを丁寧に掬うようにしました。

 

今や納得がいくまでコーディネートを取っ替え引っ替えし

出かけるまで3時間かかることもざらにあります。

 

土日は公園に行くのではなく、

ママのショッピングに連れ回しています。

 

コーデ写真を撮るために子供を待たせて

子供が不機嫌になることもあります。

 

写真をインスタに上げるために、子供にテレビを見せて

ママは必死にスマホをいじっている時もあります。

 

でもそれはママが、私が生きていくために必要な時間であり

それがないと私らしくは生きられないと腹に落ちているので

そこに迷いはありません。

 

こうして私は私らしさを取り戻し、

肺の奥から呼吸ができるようになり

生きているのが楽しいと思えるようになりました。

 

 

それだけでも十分幸せなのに、

それだけでは終わりませんでした。

 

こんな私の姿とインスタを見て、

「イチコさんのファンです」

「イチコちゃんのようなインスタを作りたいです」

と言ってくれる方々が現れ、

講座を開くようになりました。

 

そこで頂いたお金でまた服を買い、

インスタに投稿し、みんなにワクワクした気分になってもらう。

 

そんな素敵な循環が回るようになってきました。

 

楽しいだけでお金は稼げる、

そんな風に私の人生観はまた変わりました。

 

それもこれも、自分の本心ややりたい気持ちを

「普通は」という考えに惑わされず叶えてきたからです。

 

 

今、私の髪はピンクになりました。

 

こんなママは幼稚園に他にいませんし

人目が全く気にならないかと言われたら

やっぱりまだちょっと気になります。

 

でもこれも、「世間の普通に惑わされず自分のやりたいを実現する」

ちょうどいい練習になっています。

 

いつでも自分の本心に素直になれるように。

自分が本当にやりたい事を実現できるように。

 

 

 

自分がやりたいと思った事を実現する、

これこそ生きている醍醐味であり、

自分らしく生きる方法だと思っています。

 

私のように自分迷子になってしまった人、

無意識のうちにイイコちゃんであろうとしてしまう人に、

参考になったら嬉しいです。

 

インスタもフォローして頂けたらとっても喜びます。

https://www.instagram.com/ichiko_fashiongram/

 

 

P.S.

もし今子育てがとても辛くて自分を追い詰めている方がいたら、

過去の「ベビーシッターを利用して号泣した話」なども読んで頂き

ぜひそうじゃないやり方もあるという事を知ってもらいたいと思います。

日本社会の普通に飲み込まれず、

幸せなママが増える事を心から願っています。


2021年5月23日


【2024年追記】

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もっと違う生き方があるはずと思っている方、

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