昨日は天気のせいか、落ち込んでしまった( ̄▽ ̄;)
ボソッボソッ😐💭と呟いてすみません🙇♀️
でわ・・・・題名のお話しを。
最近の出来事。
甲状腺癌摘出手術の日
付き添ってくれていた彼氏と
ゆっくり話す機会があった。
こんなに落ち着いて話す事
こうなってから初めてだと思う程
長い間、
会話をして来なかった。
4年前の5月
前日に入院した私の元に
朝8時頃には顔を見に彼は来てくれた。
朝9時
元気に笑って手を振って
歩いて手術室に入る。
ここから彼曰く
夜6時になっても手術は終わらない。
気の長い彼が
「まだですか?」聞きに行ったらしい。
夜9時か10時やっと終わったそうだ。
ICUに入っていく私の顔を見たら
その顔は…ヤバいと感じた。
今まで亡くなる前の人の顔を見る時も
あったが
それよりも、酷い表情をしていたそうだ
そこからICUに入り何日か経って
病室に移される。
顔は見れるが、動かないままの私を見るのは辛かったそうだ。
鼻から栄養入れてるし
管が何本か刺さったままだし
これで本当に元に戻るのかと
思っていた。
1ヶ月後
放射線治療を受けると言う
こんな酷い手術をして
放射線治療なんて身体がもつのか
と思った。
だから、先生に念を押して聞いた。
「本当に、それでこいつは大丈夫なんでしょうねあんなキツい手術した後で身体持つんでしょうね」
先生は「大丈夫ですよ!」と、
はっきりこたえた。
・・・・
だから、アイツの事は一生許さない!
と彼は今でも言う。
そう私側に立ってくれるだけでも
有り難い
その後、放射線治療を受け
数週間後、異変が起き出した。
12月頃には
「大丈夫ですよ」と言った先生から
「覚悟してください」と彼は聞くのだ
個室に移され
起き上がれないまま
何故こんな事になっているのかも
全くわからないまま
私はベッドの上に寝そべっていた時
彼は最後を覚悟して
私の看病に来ていた。
分からないよう笑いながら
何も無かったかのように普通に振る舞うのはとても辛かった。
少し油断すると、涙が流れだすからー
と、振り返えって話す。
年が明け
数ヶ月
山は越した。
だけど、私は体力が無くなり
ベッドに横になったまま
吸引を繰り返し
栄養を流し入れ
この頃には鼻も口も癒着して使えない事が分かる。
天井を見ているだけの日々
生きる気力を亡くす
首は壊死した跡が残り
酷い有様だ。
私は死ぬ事しか頭になかった。
歩けるようになれば病院を抜け出して
死のうー
そう思いながら時間を重ねていった
手術から1年後
リハビリを始める。
まだ治るかもしれない
と希望を与える治療を教えられたから。
そこから
紆余曲折ありながら今に至る。
結局
治ることはなかったがー
あの時に比べたら
本当にここまで、元気になって
良かったな!と、言われ
本当に。
「うん」と、頷く。
ここまで長く
話を
落ち着いて
した事がなかったから
何故か…嬉しかった。
私のほんの4年分の話しだ。