なぜ牧野城を去ったか?「懐旧」の長歌に見る今川氏真の平和主義
終戦記念日の今日は、『#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ』ベースで、#今川氏真 が牧野城(旧諏訪原城)を去った事情を切々と詠んだ「懐旧」の長歌を紹介したい。

「懐旧」の長歌(1―417)は「今川氏真詠草」(作品1)末尾近くに配置されている。本作は天正三年のものと考えられてきたが、サガラは末尾の一首が歳内立春に言及しているため、天正四年末までの詠である旨『評伝今川氏真』で論じた。

「懐旧」の長歌を前後の事情と突き合わせると、氏真の発心と牧野城退去の経緯が分かるので、原文と並べて意訳を示すことにする。

(原文)
(→→意訳)

  世中は 何をうつゝと 白露の            
→→夢まぼろしのような世の中は何が現実か、分からない。

  結ひもとめぬ 月日にて うつり過ぬる 秋の露   
→や白露のように留まることのない月日を過ごし秋が来た。

  をきては忍ひ むは玉の 夜はすからに 思ひねの 
→→あの人を思って涙をこぼし、眠れぬ夜を過ごしたが、

  夢にもあはぬ きし方の 程なく年は くれ竹の    
→→夢にも会えないまま年が暮れようとしており、

  同よなから あふ事の 境ことなる          
→→同じ「よ」(節(よ)=今川家、世=世界)であるのに敵味方として境を隔てている。

  うらみのみ ありその海の なみかけて 
  鳴や千鳥の あとをさへ つけぬ余に        
→→そのことをただ恨めしく思い、波が寄せるよう何度も呼びかけたが、返事はない。

  木からしの 森のこのはの 朽やらぬ 酬はつるに 
→→待ち焦がれていたが、朽ちることはないと信じていた累代の忠義と報恩も終わってしまったのか。

  そきぬには くりかへすなる 事もやと        
→→剃髪すれば私の心情があの人や御仏に通じて、もう一度やり直せるだろうか。

  問はんとすれは いなつまの            
→→そう問いかけようとするが、答えは否(いな)であった。

  光のうちに やとりつゝ 身を憑(たの)むなる はかなさの            
→→稲妻の光のような一瞬の世界にいる短命の存在ながら自力を頼み、消えてゆく。

  数は数にも こゆるきの              
→→そんなはかない運命をたどる人々の数が増えてゆく。

  いそかぬ齢 ふる雪の                
→→人はゆっくり年齢を重ねるように見えても、歳月は過ぎ、

  ふしの煙と きえかへる              
→→降る雪が富士の煙となって天に帰るように消えていく。

  思ひをいはゝ(ば) 中〱(なか)に あさはかならん あさましと            
→→しかしそんな思いを告げてもかえって浅はかで見苦しいと思われるだろう。

  心ひとつに うらみ侘 只つら〱(つら)と  さしむかふ 鏡にうつる 時の間の          
→→そう思い悩みながら鏡に向かい自分の姿をじっと見ると、流れた歳月を感じる。

  影をまことゝ したひつゝ              
→→それも影のようにはかないものなのに、人はこの世の影をまことと思って追い求める。

  我よ人よと いたつらに              
→→これは我がもの、他人(ひと)のものと空しく争っても、全てのものはいずれ消えゆく。

  あらそふ物を 誰とさためむ             
→→消えゆくものを争っても、誰のものと定めることなどできようか。

氏真は誰かと「敵味方として境を隔てている」状況を残念に思って呼びかけたが拒絶され、同胞相討つことに耐えられなくなったようだ。
氏真が呼びかけた相手は誰か。氏真が長歌の後に記した「返哥」と武田勝頼書状から推測できる。


  返哥 忘てはしたふもはかな世中のうつゝも夢の昔かたりを(1―418)

天正五年(一五七七)二月九日に岡部長教(元信)が「先方を慕わなかった」ことを賞して知行を約束する宛行状が、勝頼から出ている(『静岡県史資料編八』一〇三四=戦今二五九〇)。

「返哥」は氏真が長歌を贈って元信が返したかもしれないし、元信の返答を踏まえて氏真が歌に詠んだものかもしれない。いずれにせよ、年が変わる頃に何らかのやり取りがあり、元信は氏真を慕わなかったことを武田勝頼に注進したのであろう。

岡部元信は累代の今川家臣であり、小豆坂の戦いで今川勢の勝利に貢献したとされる。取り分け有名なのは、桶狭間合戦後の身の処し方である。
合戦当時鳴海城にいた元信は主君今川義元の討死を知ってなお城を堅守した。これに感銘した信長が開城を求めると、義元の首級を交換条件にして開城したが、帰途刈谷城を攻めて城主水野信近を討取り、気骨を見せた。
後に武田信玄が駿河に攻め込むと激しく抗戦したが、長年の知己信玄の説得を受けて降伏し、長教と改名したと見られる。
天正四年当時駿遠国境の小山城主であり、武田方の今川旧臣の中心人物だったようだ。

元信を調略できれば武田の駿河防衛線崩壊も期待できるが、武田方の今川旧臣を切り崩し、かつての同胞とのいらぬ相剋も避けられる。

氏真は桶狭間で戦死した井伊直盛の忠節を称えて「龍泰寺」が菩提寺として「龍潭寺」と改称することと各種特権を許可した。忠臣元信にも好意を抱いていたであろう。

それゆえ元信を翻意させられず戦う他なくなったため、今川旧臣が敵味方に別れて殺し合うことに耐えられなくなったと思われる。

氏真自身は惰弱ではなく、甲陽軍鑑でも心は剛と評価され、長篠合戦後も諏訪原城攻め前後もむしろ嬉々として七夕、八月十五夜、九月十三日の後の名月を楽しむ歌を遺している。

むしろ豪胆と言える氏真であったが、氏真は今川旧臣の再会を夢見ていたと思われ、岡部元信らとの相剋は本意ではなかったのだろう。仏教への帰依者として、現世の欲得を争うことにも虚しさを感じていたことが「懐旧」の長歌から読み取れる。

氏真は天正四年末に牧野城を離れる意思を示し、家康もそれを受け入れたと思われる。氏真詠草と一次史料からは、天正十年(1582)の武田討滅まで京都と浜松を往き来していたと分かる。
しかしその後も氏真は、現世において伝統ある今川家当主の責務として駿河国主復帰を目指した。それは今川家再興によって再仕官を願う旧臣たちのためでもあった。『家忠日記』はその後も「氏真衆」が牧野城にいた旨記録しており、家康も氏真の駿河復帰を見捨てていなかったと思われる。

天正十年(1582)三月五日酒井忠次書状によれば、氏真は武田討滅の際駿府以東に進軍し、忠次は氏真の駿河国主復帰を前提として、氏真側近岡部三郎兵衛に、自分の所に帰参してきた今川旧臣の再雇用を推奨している。


しかし信長は氏真の駿河国主復帰を認めず、駿河を家康に与えた。

『詠草中』からは天正九年に京都を離れた氏真は東下向途中伊勢白子の不断桜を見て、天正十年三月に西上する途中再度不断桜を見たと分かる。

その後氏真は不正な誰かへの憤懣や不遇を嘆く歌を詠みつつ京都に滞在して本能寺の変を迎え、晩年まで京都で過ごし、子孫を徳川家に仕えさせて吉良、品川、今川三家が高家となる基礎を固めた後、江戸に下向して同地で天寿を全うした。


「今川氏真詠草」(作品1)の構成は見事である。
天正三年(1575)正月初上洛から四月二十三日長篠「後詰」までの約三か月は京都観光を満喫し、コミカルな程に我が世の春を謳歌して見せる。
五月の長篠合戦から諏訪原城降参を経て九月十三日の後の名月十三首までは、夏の盛りと共に対武田戦の進展と駿河奪回の希望が高まる様子を示す。
これが「於諏訪原折〱書留之」から暗転して晩秋の衰えを示し、天正四年(1576)年末「懐旧」の長歌に至って冬のような厳しい現実に直面して挫折と諦観を吐露、牧野城を離れる意思を示している。

仏教的無常観をベースに、春夏秋冬に合わせて希望が挫折と諦観に至る自らの心境の変化を印象的に表現できている。

戦国時代に素朴な弱肉強食を夢想する人が多いが、実際の戦国人は避けられない争いを続けつつ争いの虚しさも知っていた人も多かった。
その認識が信長の目指す「天下静謐」や家康による「元和偃武」実現の原動力になったのではないだろうか。

なお、「懐旧」の長歌は『評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ』で詳述したが、なろう小説『マロの戦国III -今川氏真の発心-』でも取り上げた。
氏真が信玄の駿河侵攻以後岡部元信(五郎兵衛)と会ったという記録はないが、こんな別れだったかもしれない。

電子書籍『評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ』https://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%BC%9D%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E6%B0%8F%E7%9C%9F-%E3%81%BF%E3%81%AA%E6%9C%88%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%8D%E5%BD%B1%E3%82%92%E3%81%86%E3%82%89%E3%82%80%E3%81%AA%E3%82%88-SAGARASUN%E5%87%BA%E7%89%88-%E5%B5%AF%E5%B3%A8%E8%89%AF%E8%92%BC%E6%A8%B9-ebook/dp/B07D1YR9ZY



マロの戦国III -今川氏真の発心-https://ncode.syosetu.com/n9023fg/1/


(2024/08/15)
乃至政彦さんの記事を見て興味深く感じたので、天正九年六月二日
=本能寺の変の変のちょうど一年前!
に出された明智光秀(この頃は惟任日向守光秀)の家中軍法の後段を解釈してみました(^^)

この部分です。

右、軍役雖定置、猶至相嗜者寸志も不黙止、併不叶其分際者、相構而可加思慮、然而顕愚案条々雖顧外見、既被召出瓦礫沈淪之輩、剰莫太御人数被預下上者、未糺之法度、且武勇無功之族、且国家之費頗以掠 公務、云袷云拾存其嘲対面々重苦労訖、所詮於出群抜卒粉骨者、速可達 上聞者也、仍家中軍法如件、
天正九年六月二日/日向守光秀(花押)/宛所欠


高村不期さんが「定、条々」の原文と解釈案をブログで公開してますのでそこからお借りしました。
「八木書房刊明智光秀108「明智光秀家中軍法」(尊経閣文庫所蔵)同書107号御霊神社文書より一部補訂。」とのこと。

https://www.rek.jp/090

乃至さんの記事はこちら。
光秀が作った「織田家唯一の軍法」その狙いと他の大名の軍法との違いとは(JBpress)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e54c325fefdabbf4c26c864a266d975288ab5c34?page=2

さて前段では、

「備場」(配備中の)私語禁止、
先陣に関して旗本の下知に服従、
規定通りの兵員の動員、
 進軍時の「馬乗」(騎乗する指揮官)の後方退避禁止、
「足軽懸合」(戦闘開始時)の勝手な交戦禁止、
移動や陣替え時の勝手な陣取り禁止、
規定した「器物」の量は「京都」は三斗、「遼遠之夫役」は弐斗五升、「其糧」は一人一日八合を領主が支給

を規定し、動員兵数は百石あたり六人から始まって千石まで装備数も指定しています。
上記はその後に続きます。


それでは区切って解釈していきます。

【原文】右、軍役雖定置、
【意訳】右のように軍役(のルール)を定めておいたが、
【解釈】丹波攻略後、加増され雑多な軍勢を擁することになった翌年、上記軍法を定めたようです。指図に従わない、自分勝手な抜け駆け、その逆に後方に逃げ隠れ、負担を嫌って十分な兵力を連れてこないなどトホホな連中に困っていたようです。
光秀指揮下に入った者の多くが独立した地侍で、独立した武装集団として参戦することが多かったのかもしれません。


【原文】猶至相嗜者寸志も不黙止、併不叶其分際者、相構而可加思慮
【意訳】たしなみがある(レベル)に至る者もなお少しも黙止(おろそかに)せず、その分際がかなわない(そのレベルができない)者はしっかりと思慮を加えるべきである。
【解釈】軍法なんかなくても戦場での進退、上官の期待をわきまえている人は、「言われんでも分かっとるわ」と思うかもしれないが、完璧を求める。
期待される「分際」に応じたことができない者には考慮を求める。
本能寺の変当時一万三千人いたという家中は玉石混淆だったのでしょう。


【原文】然而顕愚案条々
【意訳】それで(自分の)愚案の条々を明らかにする(自分の見解を示すのである)。
【解釈】雑多な軍勢の統率のため、自分の考えを明文化したわけですね。


【原文】雖顧外見、
【意訳】外見(これを見る他者の目=規則を押し付けられる側の反発や不満)は顧みるが(考慮するが)、
【解釈】戦場での進退の自由を望む者、軍役の負担を嫌う者、指図を嫌う歴戦の勇士、新参者の光秀の指図を嫌う古参や織田家に渋々屈従した地侍など、光秀の統制への反発があろう、と光秀は意識していることを伝えたようです。


【原文】既被召出瓦礫沈淪之輩、剰莫太御人数被預下上者、
【意訳】瓦礫のようにおちぶれた輩(境遇)から既に召し出され(抜擢され)、あまつさえ莫大な御人数を預け下された以上、
【解釈】それでも自分は信長から抜擢されて大人数を預かったのだ、と虎の威を借りていますね。


【原文】未糺之法度、且武勇無功之族、且国家之費頗以掠
【意訳】いまだ法度(軍令)をはっきりしないままでは、武勇では武功のないやからにして、国家の予算をむやみにかすめ取るようでもあり、
【解釈】勇者の矜持や「国家」から与えられた俸禄にふさわしい貢献など、家中の人士の名誉心に訴えて軍法の必要性を理解させようとしていますね。


【原文】□(一文字空白=敬意を示す闕字)公務、云袷云拾存其嘲
【意訳】「公務」(公儀か、信長または信長政権)は「かれといいこれといい」(それもこれも、軍事的無能も国家予算浪費も)その嘲り(「公務」があざける)と存ずる。
【解釈】闕字はその後の人物への敬意を示すので、「公務」は信長あるいは信長政権を意味すると解釈しました。
武功がなく俸禄を貪るなら、信長や政権(側近や重臣)にバカにされるだろう。
これは信長の佐久間信盛への「折檻」を想起させますね。
軍法をしっかり定めて武功をたてないと、自分もお前たちもただでは済まないぞ、と危機感をあおりつつ、一体感を作り出したいようです。
織田家古参、旧幕臣、旧波多野家臣など雑多な家中ですから、「呉越同舟」の状況を作り出したいようです。


【原文】対面々重苦労訖、
【意訳】(そのため)面々(皆に)苦労させた(させることになったのである)。
【解釈】「苦労させてすまないね」と部下をねぎらう上司の姿勢を示していますね。今まで好き勝手にやっていた連中に軍法で規制をかけ、兵員数や装備数でも負担を増やしているという自覚があるようです。



【原文】所詮於出群抜卒粉骨者、速可達□(一文字空白=敬意を示す闕字)上聞者也、
【意訳】結局のところ粉骨(ぶり)が群をいで卒を抜く(抜群)なら速やかに上に聞かせる(信長に報告する)者である。
【解釈】軍法を定めて負担をかけるが、顕著な軍功を揚げれば信長様に報告するから、自分のことが気にくわなくてもがんばれば信長直臣になって自分の下から外れるキャリアパスもあるよ、と言いたいようです。
光秀自信への反発や不満でさえも功績を挙げるモチベーションにして、急拡張された明智家中を機能させようというわけです。
手を変え品を変えて雑多な人々に訴える光秀、なかなかの手練手管。世の辛酸をなめ、人心掌握にたけた知恵者という印象を受けました。



【原文】仍家中軍法如件、
【意訳】従って家中の軍法を以上の通りとする。
【解釈】定型文です。


天正九年六月二日/日向守光秀(花押)/宛所欠


上記意訳をまとめます。

右のように軍役(のルール)を定めておいたが、
たしなみがある(レベル)に至る者もなお少しも黙止(おろそかに)せず、その分際がかなわない(そのレベルができない)者はしっかりと思慮を加えるべきである。
それで(自分の)愚案の条々を明らかにする(自分の見解を示すのである)。
外見(これを見る他者の目=規則を押し付けられる側の反発や不満)は顧みるが(考慮するが)、
瓦礫のようにおちぶれた輩(境遇)から既に召し出され(抜擢され)、あまつさえ莫大な御人数を預け下された以上、
いまだ法度(軍令)をはっきりしないままでは、武勇では武功のないやからにして、国家の予算をむやみにかすめ取るようでもあり、
「公務」(公儀か、信長または信長政権)は「かれといいこれといい」(それもこれも、軍事的無能も国家予算浪費も)その嘲り(「公務」があざける)と存ずる。
(そのため)面々(皆に)苦労させた(させることになったのである)。
結局のところ粉骨(ぶり)が群をいで卒を抜く(抜群)なら速やかに上に聞かせる(信長に報告する)者である。
従って家中の軍法を以上の通りとする。


こんな感じになりました。
それがし明智光秀研究も戦国軍事史も門外漢ですので正確だと保証はできませんが、好奇心の赴くまま解釈してみました(^^)
光秀、かなりの傑物のようですね(^^)

『どうする家康』第四回で今川氏真が瀬名(築山殿)を押し倒してましたがもちろんフィクション。
手を傷つけて「たすけて せな」と血文字の手紙を清洲城訪問中の家康に送りつけるのもあり得ないです。
『どうする家康』では氏真がコンプレックスの塊で闇落ちするようですが、史料で見る今川氏真は自信家でとても倫理的です。

【氏真が築山殿を襲えない理由】
まず、氏真が瀬名(築山殿)を襲えない理由を列挙します。

1築山殿は松平屋敷で守られていたはず

築山殿は家康(元康)の子どもたちと共に松平屋敷に守られていたはずなので、氏真さんが乗り込もうとしたら、松平家臣と流血沙汰になったはずです。

2寿桂尼と正室早川殿の監視
祖母寿桂尼は隠居していたはずですが、未だ寺院に文書発給できる位には健在。
氏真の正室早川殿も寿桂尼にならって自分で文書発給するようになりますので、氏真が築山殿を襲うのを容認しないでしょう。
早川殿は同盟国北条家の娘ですから、それも考慮したことでしょう。

3三条西実澄ら駿府の公家たちの監視

駿府には公家たちが戦乱を避けて滞在していましたが、特に三条西実澄が大物(正親町天皇のはとこで和歌の師で朝廷歌壇の権威で信長のブレイン)で、実澄は在原業平は好色ではない、あれは憐憫だ、などという好色否定の古典解釈をする人でした。


4古今伝授の言魂と男女和合の思想

実澄は後に細川藤孝に古今伝授をした人。
氏真も冷泉為益から古今伝授を受けていますが、強い倫理性を帯びていました。
まず、和歌を詠むという行為自体が自身の清浄な魂から発する言葉でなければなりませんでした。
また、古今伝授では、イザナキイザナミ男女二神が結婚の時に交わした言葉も和歌の源泉として扱われており、三条西実澄ら古今伝授の継承者は二神の「男女和合」を大変重視していました。

和歌を心から大事にしていた氏真は、邪念を持って女性を襲うことはできなかったと思われます。

5義元も氏真も、女性の権利を重視

寿桂尼の影響か、父義元も氏真も、井出家の「惣領娘」たちの相続権を保護しています。
井出松千代と伊勢千代には兄弟がいなかったらしく、それぞれ親戚から婿養子を取る許可を義元と氏真から得ました。
義元も氏真も離婚した場合、借金を返した残りの惣領娘側の財産は惣領娘が所有するよう命じました。
婿養子側の乗っ取りを防ぐ意図です。
特に氏真さんは、離婚の場合には、惣領娘は家臣や使用人をみんな解雇してもよい、とまで明記しており、婿養子側が家臣や使用人を送り込んで惣領娘を不当に支配することも警戒し、予防しようとしたことが分かります。


6懸川開城後の家康との良好な関係

『松平記』では、氏真が籠城した懸川城を攻め落とせなかった家康は氏真に低姿勢で開城交渉を始めます。
自分は義元に引き立てられたが、讒言する者がいて、氏真と対立することになった。
しかしこのままだと、駿河も遠江も信玄に取られてしまう。
もし自分を「赦免」して遠江をくれるなら、氏真たちを北条側に送り届け、信玄から駿河を取り返す手伝いをする。
氏真は家康のこんな申し出を受け入れて、懸川開城したとのことです。

一次史料でも、ほぼこの方向で家康も氏真も動いています。
天正三年氏真詠草からは、家康の支援を受けた氏真が気ままに振る舞っている事がうかがえます。
天正七年に徳川と北条の同盟交渉を成立させた氏真家臣朝比奈泰勝への家康書状に「氏真御約束」の通り知行を与えるとあり、氏真と緊密に協議していたこともうかがえます。

天正十年、武田家を討滅した時の酒井忠次書状は、氏真側近に今川旧臣が投降してきたことを伝え、以前のように召し抱えるよう「 氏真様」に伝えてほしい、というものです。
これから二つのことが分かります。

酒井忠次は昔陪臣(氏真の家来の家来)だった事もあるせいか、氏真に直接ではなく、側近岡部三郎兵衛に手紙を書き、その中で「 氏真様」と書き、氏真の名前の前に空白(闕字)を置いて、敬意を示している。
もう一つは、『松平記』にあるように、忠次は氏真が駿河国主に復帰する前提で帰参した今川旧臣を取り立てるよう斡旋していること。
家康も約束を守るつもりだったと考えられます。

その後も氏真は家康の征夷大将軍就任後、清和源氏の世を言祝ぐ祝言歌を詠んでおり(島田市博物館所蔵)、妹で武田義信正室だった嶺松院「今川テイ春」が秀忠正室お江の取次だったことが山科言緒の日記から分かるなど、一般に知られている以上に両者の関係が密接だったことご分かりました。

7和歌から分かる氏真の倫理

氏真詠草からは、氏真は自分が倫理的に生きてきたという自負がうかがえます。

まず、氏真は、『源氏物語』でも言及がある下賀茂神社の「糺の神」が大好きで、自分は正しいことをしてきた側だという認識が分かります。
さらに、伊勢国神戸での歌でも、「とが」ある者が赦されるのに、「犯しなき」自分は立身できないのか、と嘆いています。

【『どうする家康』、『おんな城主直虎』みたいな「型破り」でも『西郷どん』みたいな「形無し」にならないで!】

以上、史実の今川氏真は『どうする家康』のように築山殿を襲うことはまずないことを検証しました。

しかし、それがしは『どうする家康』を結構楽しんで見ていますし、これからも生暖かく見守りたいと思います。

『どうする家康』はナレーションで語られる「神の君」あるいは英傑家康の物語に人間家康、凡人家康のドラマを対置し、家康の実像について考えさせる構造になっています。

家康は最後に神君、英傑とされるに至ったわけですが、人生の中で様々な決断を迫られ、生身の人間ならば感じたであろう苦悩や葛藤を乗り越えてきた、そこに光を当てたい、という意気込みを感じます。

家康は言わば自分の中の「弱虫泣き虫」凡人をねじ伏せて「神君」と称揚されるに至った。
そこを一緒に見ていけるなら、面白い。

信長、信玄、氏真いずれも荒唐無稽な人物造形で、義元の首を槍につけて投げたり、ファイトクラブだったり突っ込みどころ満載ですが、新規ファン層獲得や、あくまでフィクションだというアピールでもあるようです。

氏真さんについては闇落ちから後年の家康との和解にうまくつなげられればよし、とします(^^)

別な言い方をすれば、『おんな城主直虎』みたいな史実を丁寧に検討した上でクリエイティブな「型破り」になればよし!
でも『西郷どん』みたいな奇をてらって変なことをやるだけの「形無し」にならないで!という思いです。

これからも大河ドラマを生暖かく見守ります(^^)

うーん、プライベートで思い出というほどの出来事がなかった のが思い出、かな?

世界の激変に振り回された一年でした。

来年は創造的でありたい。(^^)

 

 

 

 

 

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【拡散&議論希望】オリジナル切手販売は稼げる!?【クリエイター支援】
 
【お断り】この記事はあくまでコンセプトレベル(思いつき)なので、実際の製作販売は自己責任でお願いします。また、自分が販売権を有するコンテンツでなければ違法になります。他者のコンテンツ販売や転売は不可です。
 
ツイッターを見ていたら、こんなツイートを発見。
 
 
中沢梓 大和絵師
@azusanakazawa
◎イラストレーションの日記念フレーム切手 発売のお知らせです。
 
今年1月11日、JILLA(@jilla_or_jp )主催「イラストレーションの日記念 オリジナルフレーム切手」図案募集のキャンペーンにて、中沢作品「扇の的」が採用されました。
 
詳細は下記よりご覧ください。
午前9:14 · 2022年10月1日
 
おめでとうございます!👐
 
リンクを拝見。
 
中沢梓さんの「扇の的」は那須与一とおぼしき美麗な騎馬武者が弓をつがえる美麗な大和絵です。
JILLA(日本イラストレーター協会)主宰の「イラストレーションの日記念 オリジナルフレーム切手」図案募集のTwitterキャンペーンで10作品に選ばれ、他の9作品とともにフレーム切手となりました。
84円切手10枚、上半分がある作品の画像で単価1,380円、送料370円、合計1,750円。
 
いいアイデアだけど、「扇の的」切手だけ沢山ほしい。
 
他の作家さんのファンも同じことを思っているのでは?
特に「扇の的」切手の場合、那須与一ファン、弓道関係者、サムライファンなら喜んで使うのでは?
さらに、大願成就、合格祈願の縁起物にもいい!
受験シーズンの出願書類や手紙にも貼るのもよい!
受験生を励ましたり!
「封筒の切手、タイトル「扇の的」です。あなたの大願成就祈ってます」とか!
 
このフレーム切手は10枚入りだが、切手を使っても、上半分の絵の部分だけフォトスタンドに入れたりして飾ることも可能。
 
 
そこでひらめいた!!!!!
絵描きさんの作品をフレーム切手にして売ったらどうよ!?
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そこで調査&ビジネスモデル検討開始!
 
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ただし、JILLAのはオリジナルデザイン専用シートと判明。
大量発注、法人だと選択できるものが増えるらしい。
 
オリジナルデザイン専用シートは1,000部以上の申し込みが必須。
84円切手10枚で、費用は1,260円×1,000部=126万円プラス払込費用らしい!
 
これは個人にはハードルが高いですね(^^;)
 
そもそも、自分が作ったオリジナル切手を販売していいのか?
OKとのこと!
ただし、作成した本人(企業)のみ可能、転売は禁止(かなりの重罪)!
販売の権利のない者が勝手に作っても著作権法などに違反します!
 
«以下「日本郵便」ホームページより引用»
トップ フレーム切手 よくある質問 作成したフレーム切手は、転売してもいいのですか?
 
よくある質問
作成したフレーム切手は、転売してもいいのですか?
はい、結構です。
但し、申込者ご本人(または申込み企業等)が販売するのは問題ございませんが、一度、第三者へ販売後、その第三者の方が販売することは、古物営業法上認められておりません。
«引用ここまで»
 
 
 
となると
絵描きさん本人か、その許諾を得た人や企業の直販でしか入手できない!
転売ヤー禁止のお宝グッズになります!
 
ちなみにもうやってるかツイッターで「フレーム切手」で検索してみたら、アニメ作品、あの超有名スケーター、サッカーチームなどがやってました。
結構ぼったくってますwwwwww
 
 
【オリジナル切手ビジネスモデル】
 
そこで、絵描きさん向け低コストのオリジナル切手ビジネスモデルを考えてみました!
まずはオリジナル切手販売イベントから始めるのがよいと思います!
SNSなどでオリジナル切手製作販売を告知、希望者に予約販売すれば低リスクで試せます。
以下プロセスを説明。
 
 
«サンプル製作»
まず、サンプル製作が必要。
お手持ちの画像データが不適切だと日本郵便が判断すると、オリジナル切手製作を拒否するリスクがありますので。
凶器、ワイセツ、その他公序良俗に反する画像の切手化はお断りのようです。
オリジナル切手を製作できるか、試作しましょう。
6シート以上発注だと送料無料のようです。
 
作れたら、絵描きさんご自分の郵送や、キーパーソンへの贈答に使うとよいセルフプロモーションになりそうですね(^^)
 
お手紙の追伸に、
 
「PS 封筒にはった切手は拙作タイトル「○○」です。お気に召していただけたら幸甚です」
 
とか書いたら盛り上がるかも(^^)
 
コミケみたいなイベントでの販売、懸賞、おまけとしても使えそうですね(^^)
 
 
«価格設定»
 
サンプルをつつがなくゲットできたら価格設定が大事。
 
切手製作コスト+梱包資材費+郵送料+作業費用+利潤かな?
 
資材は厚紙封筒または封筒プラス厚紙2枚、テープなど120円以下。
郵送料はA4で250円以下。
作業費用は受付、発注、ラベル+礼状印刷、梱包、郵便局などでの発送、連絡などで1件10分、時給1,200円として200円と試算。
作業費はバイトさんに頼まないといけなくなるかもしれないのでこの設定です。
バイトさんを雇うなら、利潤は1件200円くらいないと、作家さんはやってられないでしょう。
 
以上120+250+200+200=870円くらい乗せないと、作家さんにはメリットはないでしょう。
オリジナル切手84円10枚組1,260円だと、1件で2,130円。
コストをおさえられたらきりのいい2,000円もありかな。
 
これで100枚売れたら利潤2万円、作業(1,000分=17時間弱)も自分でやれればさらに2万円の収入です。
 
自信作、人気作品があったらやってみてはいかが?
 
 
«サンプル公表、予約販売»
 
価格設定したら、SNSなどで公表して予約販売。
 
支払い方法は代金前払いにすべきですよ!
代金は前払いにしないと、冷やかし勢にだまされて過剰発注して赤字在庫を抱えるリスクがあります!!!
予約販売は何月何日まで予約、いついつ発送と期限を切るのがよいと思います。
 
ちなみに日本郵便のサイトではデータ入力、発注から3週間で発送のようなので、決定&発注、製品受領、梱包、予約者への発送で4~5週間のリードタイムをお客さんに伝えておいた方が良さそうです。
リードタイム5週間で音沙汰なしだと購入者が心配になるかもしれないので、データ入力&発注、製品受領、発送などの節目でSNSやネットショップで公表すると安心できると思います。
 
 
«量産発注、梱包、送付»
予約販売数量を確定したら、速やかにデータ入力&発注、受領。
発注は不具合リスク(切手シート汚損とか)を考えてちょっと多めにするのが無難。
価格設定も不具合率も考慮しましょう。
不具合の補充にサンプル発注分を流用できるならそれもよし。
 
発送ラベル印刷、梱包資材購入、梱包、発送。
 
梱包は厚紙封筒に製品プラス送り状=お礼状封入がいいかな。
問題発生(不良品とか)時の連絡先は必要。
生活を乱す電話の記載は避けて、メールやホームページリンクがおすすめ。
梱包資材は100円ショップ、Amazon、アスクルでもそれなりのものが手に入る。
大量受注した人気作家さんの場合、作業に人を雇う必要があるかも。
 
 
«ルーティーン化»
以上のプロセスを1回こなせたら、おおよそのビジネス規模が分かるでしょう。
教訓を踏まえて同じようなイベント販売がもっとうまくできるはずです。
ネットショップを持ってる人気作家さんなら、在庫を持ってもよくなるかも。
イベントでの直販も面白そう。
 
 
«上級者オプション=クラファンで「オリジナルデザイン専用シート」にチャレンジ»
人気作家さんなら、クラウドファンドやネットショップで、オリジナルデザイン専用シートにチャレンジできるようになるかも。
 
予約販売で日本郵便の条件(おそらく1,000部以上、日本郵便に要確認)を満たせたら、オリジナルデザイン専用シート、ダメだったら同じ価格で通常デザイン、という条件で予約を募るのはいかがでしょうか?
 
作家さんにとってはご自分の人気度確認、ファンにとっては作家さん支援イベント。盛り上がるのでは?
 
 
【ビジネスモデル向上のインプット歓迎します!】
以上、絵描きさんのオリジナル切手ビジネスを妄想してみました。
何か抜けがあるとか、こうしたらもっといいかも、といったご意見があったらお願いします(^^)
 
 
【無料のアイデアなので、自己責任でよろしく!】
サガラはこのオリジナル切手ビジネスモデルを妄想しただけで稼ぐ気はございません。
そもそも絵描きの才能ないし、売れそうな画像コンテンツも持ってない(爆!)
たまたま中沢さんのツイートを見て思い付いただけ、絵描きさんのビジネスチャンスに思えたので書いてみただけです。
 
というわけで、
 
お代はいらねえ、このアイデア持っていきな!!!(^^)
 
ただし、あくまで自己責任で、うまくいかなくてもサガラのせいにしてはいけませんよ(^^)
 
多分大丈夫だけど。
 
それがしは、クリエイターさんの成功を願うものとしてこの記事を書いたので、これで稼ごうとは思いません。
 
が、もしこのビジネスモデルで大もうけしたり、お礼したくなったら、それがしの野良研究や野良創作を見たり宣伝していただけたらうれしい(^^)
 
«以下それがしの主要作品&メディア»
 
『評伝今川氏真』(Amazon電子書籍、1,200円)
『評伝三条西実澄草稿』(Amazon電子書籍、500円、ただしグーグルで無料PDF配布中)
『マロの戦国三部作』(「小説家になろう」HPで無料配信)
 
このブログ
嵯峨良蒼樹ツイッター
 
もしこのビジネスで絵描きさんたちが年商合計5億円稼ぐようになり、それがしに1%だけ稼ぎを分けてくれたら、それがしには年間500万円の不労所得が発生します(爆www)
 
・・・なんて妄想をしつつ、クリエイターさんの成功を願っております(^^)
 
 
 
 

織田信長が好んだ幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年、下天の内をくらふれば、夢幻の如く也」の読みや意味、気になってましたがこの記事を目にしたので、検証してみます。

 

 

乃至政彦「織田信長は「人間五十年」を本能寺で歌っていない!?『信長公記』「天理本」とほかの写本を比べてわかる真相」

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70835

 

この記事にあるように、最近「人間五十年」の「人間」の読みは「にんげん」ではなく「じんかん」、「五十年」の意味は人の一生とか人生とかではなく人の世、という見解を目にするようになりました。

ウィキペディアにも同様の見解が示されています。

 

敦盛 (幸若舞)(ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%9B%9B_(%E5%B9%B8%E8%8B%A5%E8%88%9E)

 

「「人間(じんかん、又は、にんげん)五十年」は、人の世の意。 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」という意味になる。」

 

なお、ウィキペディアによれば、「一昼夜は人間界の50年」という「下天」は「六欲天の第1天、四大王衆天(四王天)」だそうです。

 

四天王(ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B

 

 

 

しかし、『敦盛』について「じんかん」や「人の世」とする典拠が見当たりませんので疑問でした。

 

そこでこれを機会にググって見ると、「人間」の読みについて、Yaho知恵袋に「人間(げん)五十年」とするコメントがありました。

 

nak********さん

2009/3/19 20:31(編集あり)

『敦盛』の件: 謡曲の本、寛永版「舞の本」(国立国会図書館

の蔵整版より)によれば、以下の如くルビ仮名がついて居ます。

 

織田信長が好んでいたといわれる『敦盛』ですが、【人間五十年化天(下天... - Yahoo!知恵袋

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1424310734

 

 

それで早速国立国会図書館デジタルコレクションに飛んで、ブツを調べました。

 

タイトル『あつもり』 出版年月日 [寛永年間](国立国会図書館デジタルコレクション)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541845

 

幸若舞『敦盛』のさし絵付きテキストで、33コマ目、「人」で始まる行以下に「人間五十年」のフレーズが変体仮名で書いてあります。

 

 

 

 

これは「人けん」ですね。「遣」を崩した変体仮名の「け」です。

 

こちらは変体仮名参考ホームページ。

 

変体仮名を覚えよう

https://web.archive.org/web/20170823023827/http://www.toride.com:80/~yuga/moji/kana.html

 

…というわけで、信長死後50年程度の寛永年間(1624年から1644年まで)には「人間五十年」は「にんげん」と読まれていたのは確実です。

ただし、「じんかん」と読まなかった証拠にはならないので、両方の読みがあった、という主張は可能です。

ただ、幸若舞『敦盛』のテキストで「じんかん」という読みがなければ「じんかん」派はやや不利ですね。

 

さて、「五十年」が人の一生とか人生とかではなく人の世、という主張については幸若舞『敦盛』そのものに関わる証拠は見つけられませんが、それがしの今川氏真詠草「野良」研究から興味深い検討材料をご紹介しましょう。

 

歳暮

老の浪あはれことしもこゆるきのいそちといはん限をそ思(幽71)

定をく命のきはの年の暮明日より後はさもあれはあれ(紹770)

何を待住居なるらん石上ふるかひとては年をかそえて(4―70)

 

それぞれ細川幽斎、里村紹巴、今川氏真の歌です。

本能寺の変があった天正十年(一五八二)の暮、一五三四年生まれの幽斎は来年数え年で五十歳か、と感慨にふけりました。

紹巴は幽斎の歌を見て、定命を迎える明日からはなるようになれ、と助言しています。

ということで、二人は「五十年」を寿命と考えていると見てよいでしょう。

氏真さんは、その数年後に二人の百首を書写して、同じ題で百首を詠みました。この歌も「いそ」=五十の上の年齢をどんなかいがあって「ふる」=年を取るのか、と問う歌で、五十歳が節目だと見ています。

 

 

幽斎は信長に仕え、紹巴も連歌師として、氏真も上洛して一緒に蹴鞠した時から信長と面識がありますので、信長も五十年を人の一生とか人生の節目と考えた可能性は大いにあります。

 

以上から、信長が「人間五十年」を「にんげん」と読み、五十年が人の一生や人生と、従来の解釈と同じ理解をしていた可能性も十分あると思われます。

 

一方、「じんかん」は仏教用語のの読みを、人の世は「下天」に関する知識をあてはめてみたもので、幸若舞『敦盛』や信長の同時代人の理解を示す史料はないのではないでしょうか?

 

以前このブログで取り上げた「天下布武」の解釈で、『礼記』にある「堂上接武、堂下布武」に着目する新説を取り上げましたが、それと同様偶然の見かけの類似にとらわれ過ぎかも知れません。

そういえば、『評伝今川氏真』や『評伝三条西実澄』(どちらもAmazon電子書籍販売中!)でも書きましたが、「天下布武」の「武」は、『春秋』の楚の荘王が「戈を止める武」や「武(武王)の七徳」を語って京観を作らなかったエピソードとの関連の方が強いと思われます。

(なお、立花京子氏は「七徳の武」としましたが、それがしは「武の七徳」としたのがミソです)

 

というわけで、「じんかん」派や「人の世」派の皆さんから、幸若舞『敦盛』や信長の同時代人の記録を用いた反論を期待し、それまでサガラは「にんげん五十年」で、五十年の人の一生は短い、という見解を維持することにします。

 

 

【おまけ】

ちょっと長いですが以下は歌の解説。

 一番目は細川幽斎の一首。『衆妙衆』所収。『正親町天皇御製百首と同じ題で詠んだ百首の一。この歌は一五三四年生まれの幽斎が数え年で五十歳を迎えた天正十一年(一五八三)前後の詠歌。

浅田徹氏が「衆妙集冒頭の百首歌について--成立・異伝・表現」(森正人、鈴木元編『細川幽斎 戦塵の中の学芸』笠間書院)で詳説。

 

二番目は幽斎の親友連歌師里村紹巴が、天正十一年(一五八三)初冬に幽斎の百首に和して詠んだ歌。日下幸男『中院通勝の研究―年譜稿篇・歌集歌論篇』勉誠出版所収。

聖護院道澄(近衛前久の弟)、紹巴の師匠の息子で弟子で娘婿でもある里村昌叱、幽斎の婿で弟子でもある中院道勝と一緒に四吟百首を行っているとされる。

弟子の沙弥貞徳(松永貞徳)も同じ題で百首詠んでいる。

 

三番目が今川氏真の「百首」。『観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館)所収の「附 今川氏真全歌集」や和歌史研究会編『私家集大成7上 中世5上』(明治書院、一九七六年)に収録。

井上宗雄氏が『今川氏と観泉寺』所収の「今川氏とその学芸」で、天正十年代に氏真が幽斎と紹巴の百首を書写し、伊勢国神戸で綴り終わったと言及。

サガラが『評伝今川氏真』で氏真「百首」(作品4)の題が幽斎、紹巴の百首と同じと確認、三人の歌を比較しつつ解釈しました。

【拡散希望】ビスマルクは「賢者は歴史に学ぶ」とは言っていない!【ご注意を!】

 

一年ほど前のこと、

 

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 

 

という言葉がドイツのビスマルクの名言としてしばしば引き合いに出されますが、

 

「ほんまかいな!?」

 

と気になっていたので調べました。

 

結論から言うと、確かな典拠は見当たらず、

 

英語のウィキクオートの「Discussion」から、『Le Dernier des Napoléon(最後のナポレオン)』という

フランス語(!)のナポレオン3世評伝

にたどりつきましたが、最も古いバージョンは「歴史に学ぶ」とは相違がありました。

 

ドイツ語のウィキクオートでは、「誤った帰属(Fälschlich zugeschrieben)」とされ、出典は英語ビジネス本のドイツ語版とされていました。

 

 

以下詳細。

 

 

【英語版ウィキクオートから】

まずは英語版ウィキクオートの「Discussion」はこちら。

 

Talk:Otto von Bismarck

https://en.wikiquote.org/wiki/Talk:Otto_von_Bismarck#Only_a_fool_learns_from_his_own_mistakes._The_wise_man_learns_from_the_mistakes_of_others.

 

 


 

 

「Bastetswarrior」さんが探索結果として3冊の本と翻訳をリンク付きで挙げ、「KHirsch」さんがいくつかのドイツ語バリエーションに言及し、「古いストア派の格言」「小セネカ」との関連を推測しています。

 

 

【ビスマルクの「愚者は~、賢者は~」に近い警句の最古の本はフランスの本!】

 

そこで最古の本に飛んでみると、フランス語のナポレオン3世評伝らしきものに到達。

 

Emile Kératry著『Le Dernier des Napoléon(最後のナポレオン)』(Paris、A. Lacoroix, Verboeckoven & Cie、1872年刊)240ページ

https://books.google.co.jp/books?id=MchWAAAAMAAJ&pg=PA240&dq=%22Les+sots+pr%C3%A9tendent%22&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false

 

 


 

 

"Les sots prétendent qu'on n'apprend qu'à ses dépens.... J'ai toujours tâché d'apprendre aux dépens des autres."

 

とあります。

 

大昔に勉強したおフランス語は忘れちゃったので、グーグル翻訳先生にお助け願うと、

 

 

「愚か者はあなたがあなたの費用でしか学ばないと主張します。....私はいつも他の人を犠牲にして学ぼうとしました。」

 

 

となりました。「dépens」は「苦い経験」という意味の方がよさそうです。

 

とりあえず、「賢者は歴史に」云々ではありませんでした!!!

 

なお、この部分には注はありません。また、このフレーズの上にある他の国民への評言もドイツ語のウィキクオートではヒットしませんでした。

 

 

これには英語の抄訳もあります。

『Brownson's Quarterly Review』1875年刊、39ページ。

https://books.google.co.jp/books?id=j8vPAAAAMAAJ&pg=PA39&dq=%22Fools+pretend%22&redir_esc=y#v=onepage&q=%22Fools%20pretend%22&f=false

 

 

"Fools pretend that one learns only at his own expense; I have always striven to learn at the expense of others."

 

 

フランス原著の忠実な英訳ですね。

ちなみに、この本はブラウンソンさんが色々面白そうな文章を抄訳してまとめたもののようです。

そしてブラウンソンさんは最後に「Valedirctory(告別の辞)」を書いていて、

 

「疲れたんでこういうのやめる」

 

みたいなことを書いているようです。(爆!www)

 

肝心のドイツ語版ですが、ドイツのアマゾンで著者名Emile Kératryで検索すると、下記が見つかりましたが、1872年のドイツ語版古書そのものの画像しか出ず、現在入手不能なようです。

 

Der letzte Napoleon. Autorisierte Ausgabe Leather Bound – 1 Jan. 1872

https://www.amazon.de/-/en/%C3%89mile-Anonymus-K%C3%A9ratry/dp/B0B13S6T3K/ref=sr_1_22?crid=11UOJD9RUOZ7H&keywords=Emile+K%C3%A9ratry&qid=1654250838&rnid=1703609031&s=books&sprefix=emile+k%C3%A9ratry%2Caps%2C999&sr=1-22

 

 

しかし!ドイツの検証サイトをつたってグーグルブックスにたどりつきました。

 

Anonymus著『Der letzte Napoleon [III.]』(‎Teschen, Wien, Berlin und Leipzig、Verlag von Karl Prochaska、1872年刊)236ページ

https://books.google.at/books?id=X7JSAAAAcAAJ&pg=PA236&dq=%22Thoren+Behaupten%22&hl=de&sa=X&ved=0ahUKEwj_irjlz6jZAhWCUlAKHfF7CbIQ6AEITDAH#v=onepage&q=Thoren&f=false

 

 

著者が「Anonymus」となっていますが、同じモノです。

 

 

そして、こちらが236ページ掲載のフレーズ。

 

"Die Thoren behaupten, daß man nur immer auf seine eigenen Unkosten lernt .... ich habe immer gesucht auf Kosten anderer zu lernen."

 

 

グーグル翻訳先生によると、

 

 

「愚か者は、人は常に自分の費用で学ぶと言います。....私は常に他人の費用で学ぶことを目指してきました。」

 

 

フランス語とほぼ同じですね。

 

 

『Der letzte Napoleon』には「Verlag von des Originals」としてパリの「A. Lacoroix, Verboeckoven & Cie」が挙げられているので、フランス語版がオリジナルです。

 

 

なお、ドイツ語版にはこちらからたどりつきました。

 

ZITATFORSCHUNG(引用研究)

Donnerstag, 15. Februar 2018

"Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vornherein eigene Fehler zu vermeiden.“ Otto von Bismarck (angeblich)

https://falschzitate.blogspot.com/2018/02/nur-ein-idiot-glaubt-aus-den-eigenen.html

 

 

なお、この本は英訳とスペイン語訳もあります。

 

 

【二番目に古い本は英語の本!】

「Bastetswarrior」さんが見つけた二番目に古い本がこちら。

 

A Fellow Student著、Henry Hayward訳『Bismarck Intime: The Iron Chancellor in Private Life』New York、D. Appleton and Company、1890年刊、180ページ。

https://books.google.co.jp/books?id=kxg_AAAAYAAJ&pg=PA180&dq=%22Fools+pretend%22&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false

 

 

 

ビスマルクの伝記のようです。

 

"Fools pretend that you can only gain experience at your own expense, but I have always managed to learn at the expense of others."

 

とあります。

 

 

グーグル翻訳先生によると、

 

「愚か者はあなたが自分の費用でしか経験を積むことができないふりをします、しかし私はいつも他の人を犠牲にして学ぶことができました。」

 

こちらも「expense」は苦い経験あるいは失敗と訳すべきでしょう。

 

そして、こちらも「経験に学ぶ」とか「歴史に学ぶ」とか言っていません!!!

 

なお、著者名「A Fellow Student」は「一同級生」くらいの意味しかありません。

 

匿名のドイツ人の書いたものをヘンリー・ヘイワードさんが英訳した体裁ですが、ドイツのアマゾンで検索しても、英語の原著と仏語訳しか見つかりません。

 

https://www.amazon.de/s?k=Bismarck+Intime&i=stripbooks&crid=1510SHPJVFHTJ&sprefix=bismarck+intime%2Cstripbooks%2C668&ref=nb_sb_noss

 

アメリカ人(?)ヘンリーさんが英語で自分が書いたのをビスマルクの同級生(?)のドイツ人原著者がいる風を装って出版したんじゃないの???

 

という疑惑を感じます。

 

怪しい(爆2!www)

 

ちなみに学生時代のビスマルクの逸話を一つだけチロッと読んだのですが、

ブーツを注文して大きな飼い犬(マスチフ)を連れて靴屋に行ったら納期通りに作っていないのに腹を立てて

 

「明日できてなかったらお前をこの犬にむさぼり食わせてやる!」

 

とおどして去り、翌日

 

「ビスマルク様(Herr von Bismarck)のブーツはできたか!?」

 

と「オレ様」口調で上から目線で聞くとブーツは既にできていた、その後ビスマルクが何も言わなくても靴屋は必ず納期前に注文の品を仕上げるようになった、というお話でした。

 

https://books.google.co.jp/books?id=kxg_AAAAYAAJ&pg=PA180&dq=%22Fools+pretend%22&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false

 

「ビスマルクいい話、悪い話」みたいなノリですね!!!

 

 

 

【3番目に古い本も英語!】

 

「Bastetswarrior」さんは3番目に古い本としてF. Maurice著『War: To which is Added an Essay on Military Literature and a List of Books , With Brief Comments』(London, McMiran and Co. and New York、1891年刊)を挙げていますが、巻頭言として使っているだけで、出典はないようです。

https://books.google.co.jp/books?id=YHADAAAAYAAJ&pg=PR2&dq=%22Fools+say%22&redir_esc=y#v=onepage&q=%22Fools%20say%22&f=false

 

 


 

 

"Fools say that you can only gain experience at your own expense, but I have always contrived to gain my experience at the expense of others."

 

こちらは「一同級生」さん著、ヘンリーさん訳とほぼ同じですね。

 

 

こちらもアマゾンドイツでドイツ語版は見当たりません。

 

https://www.amazon.de/s?k=F.+Maurice+War&dm=true&language=en&crid=3UM9O8PYGYQXP&sprefix=f.+maurice+war%2Caps%2C803&ref=sr_moz_back

 

 

ただし、Max Roediger?編『Deutsche Litteraturzeitung, 第 13 巻、第 1~13 号』の311ページ、「Nr.9」にはモーリスさんの『War』の紹介があり、ドイツ語訳もあります。

 

 

 

 

Narren behaupten, dass man nur auf eigene Kosten Erfahrung sammeln könne; aber ich habe immer versucht, meine Erfahrungen auf Anderer Kosten zu gewinnen.

 

 

グーグル翻訳先生によれば、

 

「愚か者はあなたが自分の費用でしか経験を積むことができないふりをします、しかし私はいつも他の人を犠牲にして学ぶことができました。」

 

とのことです。

 

「versuchen」が「試みる、努力する」という意味です。

 

 

……というわけで、英語版ウィキクオートにあるビスマルクの名言の最古のソース3冊は

 

フランス語または英語。

ドイツ語でさえなく、

「賢者は歴史に~」という類の言葉はなく、

 

愚者は自分の苦い経験(または失敗)だけから学ぼう(経験を積もう)とするが、自分は他人の苦い経験(または失敗)に学ぼう(経験を積もう)としてきた、

 

というような内容でした。

 

 

フランス語や英語の本がドイツ語に翻訳された時、このフレーズもドイツに入り込んできた可能性があります。

 

 

【ドイツ語ウィキクオートは一蹴、元ネタは英語原著!?ではない】

 

さてこちらがドイツ語版ウィキクオート。

 

 

https://de.wikiquote.org/wiki/Otto_von_Bismarck

 

 


 

 

シンプルに「Fälschlich zugeschrieben(誤った帰属)」として、

 

 

"Ihr seid alle Idioten zu glauben, aus Eurer Erfahrung etwas lernen zu können, ich ziehe es vor, aus den Fehlern anderer zu lernen, um eigene Fehler zu vermeiden."

 

 

グーグル翻訳先生によると、

 

 

「あなたは皆、自分の経験から学ぶことができると考える馬鹿です。私は自分の過ちを避けるために、他人の過ちから学ぶことを好みます。」

 

出典は

Robert D. Buzzell, Bradley T. Gale著『Das PIMS-Programm: Strategien und Unternehmenserfolg』1989年刊

https://www.amazon.co.jp/Das-PIMS-Programm-Unternehmenserfolg-Robert-Buzzell/dp/3409133437

 

 

さらに調べると、こんなページが出てきました。

https://docplayer.org/132407316-Robert-d-buzzell-bradley-t-gale-das-pims-programm.html

 

 


 

 

これによると同署の「Geleitwort(序文)」のVページの見出しに

 

,,Lernen aus den Erfahrungen anderer, um eigene Fehler zu vermeiden"1

 

とあり、注1が

 

1 Getreu dem Leitmotiv, we1ches unserem Eisernen Kanzler (Bismarck) zugesprochen wird: "Ihr seid alle Idioten zu glauben, aus Eurer Erfahrung etwas lernen zu können, ich ziehe es vor, aus den Feh-lern anderer zu lernen, um eigene Fehler zu vermeiden!'

"Ihr seid alle Idioten zu glauben, aus Eurer Erfahrung etwas lernen zu können, ich ziehe es vor, aus den Fehlern anderer zu lernen, um eigene Fehler zu vermeiden."

 

とあります。

 

グーグル翻訳先生によると、

 

「自分の過ちを避けるために他人の経験から学ぶ」1

 

1私たちの鉄首相(ビスマルク)に起因するライトモティーフに忠実です:「あなたはあなたがあなたの経験から何かを学ぶことができると信じるすべての馬鹿です、私は自分の過ちを避けるために他の人の過ちから学ぶことを好みます!」

 

とのことです。

 

 

それはともかく、PIMSなんとかの英語の原著が大元なのか???

確認してみました。

 

 

こちらが英語の原著。

Robert D Buzzell, Bradley T Gale 『The PIMS principles : linking strategy to performance』1987年刊

https://www.google.co.jp/books/edition/The_PIMS_Principles/i49zb983FfMC?hl=ja&gbpv=1

 

 

 

 

ちなみに著者Robert D. Buzzellは出版当時ハーバード大学のビジネススクールの教授とのこと。

 

 

まさかアメリカの先生がビスマルクの言葉を語った???

 

 

ここで大事なのが英独両版の目次の比較です。

 

 

ドイツ語版の目次はこちら。

https://www.google.co.jp/books/edition/Das_PIMS_Programm/4WzzBgAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1

 

 

 

 

ドイツ語版には「Vorwort」の前に「Geleitwort von Jurgen Meyer」などがあるのに、英語版には「Preface」しかありません。

 

 

また、英語版では「Bismarck」で検索してもヒットせず、ドイツ語版でも上記ページVの注1の1ヶ所しかヒットしません。

 

 

つまり、ドイツ語版ウィキクオートで『PIMS』が出典とされるビスマルクの言葉はJurgen Meyerというドイツの経済学者が書いたドイツ語版序文にしかないと思われます。

 

 

ちなみにユルゲン・マイヤーさん情報も探したら見つかりました。

 

JURGEN MEYER - 5064 KLEINEICHEN

http://www.checkcompany.co.uk/director/6489710/JURGEN-MEYER

 

 

このページによると、ユルゲン・マイヤーさんは1953年4月生まれで(無駄に詳しいwww)、「PIMS EUROPE LIMITED」にいたが、会社は今は解散しているとのこと。

ご本人のリタイヤとともに廃業したのでしょうか?

 

 

 

ちなみにPIMSの本、日本語訳もあります。

 

『新PIMSの戦略原則―業績に結びつく戦略要素の解明』1988年刊

バゼル,ロバート.D.〈Buzzell,Robert D.〉/ゲイル,ブラドレイ.T.〈Gale,Bradley T.〉【著】/和田 充夫/八七戦略研究会【訳】

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784478370353

 

 

ちなみにフランス語版のウィキクオートもドイツ語版と同じでPIMSのドイツ語版を典拠としていますが、真偽については言及がありません。

https://fr.wikiquote.org/wiki/Otto_von_Bismarck

 

 

さて、『PIMS』ドイツ語版からは、ビスマルクに仮託された「愚者は~自分は~」という言葉には、「自分の過ちを避けるために他の人の過ちから学ぶ」という趣旨が一層明らかになったと思います。

 

 

言い換えれば、この言葉は日本のことわざで「他山の石」に近いニュアンスだと言っていいでしょう。

 

 

そしてこのフレーズは歴史には、まして歴史学には言及していません。

 

 

「賢者は歴史に学ぶ」をビスマルクの言葉として引用するのは、一次史料が見つからない限り避けた方がよさそうです。

 

 

 

【日本での調査は?】

 

なお、日本では島根県図書館が調べてますが、さかのぼれたのはリデル・ハート(1895*1970)の著作にあるほぼ同様のフレーズまでで、

 

「(3) これ以上の情報がないため、国会図書館へレファレンス調査依頼。」

 

で終わっています。

 

ドイツのビスマルクの「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉が載っている本がみたい(この言葉... _ レファレンス協同データベース.html

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000072088

 

 

しかし、続報らしきものは見つからず。国会図書館、どうした???

 

 

しかしもっと肉薄している人々がいました。

 

 

まずは「とぉ~く」さんの「ある格言の話……」という記事。

 

 

日本西洋古典学会のQ&Aコーナーで「愚者は自分の間違いから学ぶが、賢者は他人の間違いを見て学ぶ」といった西洋の格言についてQ&Aが見つかりました。

 

日本西洋古典学会「Q&Aコーナー 2016_06_06」

https://clsoc.jp/QA/2016/20160606.html

 

 

質問者はビスマルクの

 

「Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.」

 

を例に挙げて質問しています。

 

 

しかし、回答者である京都大学文学研究科准教授河島思朗氏(https://researchmap.jp/skawashima)によると、

 

この類の格言を「古代まではさかのぼることは」できず、

下記ホームページをリンクしつつ、

イギリスの出版業界の人らしいH. G. Bohn(1796-1884)という人の言葉で

 

Wise men learn by other men's mistakes, fools by their own.

 

があるそうです。

 

 

The Wise and the Fools

https://creativequotations.com/tqs/tq-wisdom.htm

 

 

この回答ではビスマルクについては言及はありません。

 

 

以上は「とぉ~く」さんの記事から。

ある格言の話…… |とぉ~く

https://note.com/tooku_lj/n/n833dce2aada0

 

 

さらに、ビスマルクと歴史について、一番肉薄しているのがこちら。

 

 

IKAEBITAKOSUIKA 傳談喋話喩咄申誥紀 烏賊蝦八爪魚西瓜

「◆故事・名言・ことわざ…”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ” オットー・フォン・ビスマルク◆」

http://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-f053.html

 

「とぉ~く」さんも言及していますが、国会図書館のビスマルク本から、ビスマルクの歴史に関する警句を見つけています。

 

よく見つけたなあ(感心)

 

 

蜷川新著『ビスマルク 全 英傑伝叢書 第2編』(実業之日本社、大正6年(1917年)刊263ページ(150コマ目)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951601/150

 

「歴史研究の必要」として、

 

「余には、歴史は何ものかを學ばしむる爲に存在す」

云々と記していますが、出典不明です。

 


 

 

また、「愚者」「賢者」にも言及していません。

 

 

従って、「ビスマルクの言葉を、他者が超訳・魔改造を経て格言化された事が推察される。」という「とぉ~く」さんの見解が一番妥当と思われます。

 

 

つまり、

 

フランス語または英語起源?の「苦い経験」に関する「愚者」と、

ビスマルク自身に関する格言を日本起源?の上記「歴史研究の必要」とを、

 

日本の誰かが悪魔合体させたのではないでしょうか。

 

 

やはり誰か強者が見つけてくれるまでは、ビスマルクに仮託された「賢者は歴史に学ぶ」を歴史語りでドヤ顔で引き合いに出すのは慎重にした方がよいでしょう。

 

(あえて言及するなら「ビスマルクの言葉と言われている」とか「出典は不明だが」とか断っておくべき)

 

 

【史実のビスマルクは自分の経験を語りまくっていた!?】

 

さてビスマルクはおそらく「賢者は歴史に学ぶ」とは言っていないことは分かりましたが、「経験」についてはどう言っているのか、

調べてみたら、ビスマルクは結構自分の「経験」について語っていましたwww

 

英語ウィキクオートで「experience」で検索すると以下3件ヒット。

 

●「経験」その1 「予防戦争は死を恐れて自殺するようなもの」

(Preventive war is like committing suicide for fear of death.)

 

という趣旨の、1876年2月9日のドイツ帝国議会での発言があります。

 

 

https://en.wikiquote.org/wiki/Otto_von_Bismarck

 

フランス国会が陸軍増強を決めた後、予防戦争をすべきか議論があったらしく、ビスマルクは以下発言します。

 

„Würden Sie da nicht sehr geneigt gewesen sein, zunächst nach dem Arzte zu schicken (Heiterkeit), um untersuchen zu lassen,

 

グーグル翻訳先生のお力を借りつつ訳してみると、

「医者に診てもらいたいと思いませんか(笑)」

 

意訳「あんたバカぁ!?(笑)」と言いたいようですwww

 

続いて

wie ich dazu käme, dass ich nach meiner langen politischen Erfahrung die kolossale Dummheit begehen könnte, so vor Sie zu treten und zu sagen:

 

グーグル翻訳先生いわく、

「長い政治的経験を経て、どうして私はあなたの前に足を踏み入れてこう言うという巨大な愚かさを犯すことができるようになったのですか。」

 

はい、ここで「経験」登場!

 

どう見ても経験に学んでいます。ありがとうございましたwwwwww

 

「こう言う」って何を言うのか?

 Es ist möglich, dass wir in einigen Jahren einmal angegriffen werden, damit wir dem nun zuvorkommen, fallen wir rasch über unsere Nachbarn her und hauen sie zusammen, ehe sie sich vollständig erholen

 

グーグル翻訳先生いわく、

「数年以内に攻撃される可能性があるので、今それを先取りするために、私たちはすぐに隣人を襲い、完全に回復する前に彼らを殴ります」

 

すなわち予防戦争ですね。

 

で、ビスマルクの見解は、

 

– gewissermaßen Selbstmord aus Besorgniß vor dem Tode"

 

「死を恐れて自殺するようなもの」というわけです。

 

どこかのロシアのあの人に聞かせたい名言と言えましょう。

 

 

ちなみにウィキクオートのリンクをたどるとこのページに行き着きます。

 

ドイツ帝国議会の議事録のようで、1329~1330ページにこの発言があります。

赤字のハイライトは「Selbstmord」(自殺)という単語です。

 

Reichstagsprotokolle,  1875/76,2

 

https://www.reichstag-abgeordnetendatenbank.de/volltext.html?recherche=ja&sammlung=1243922979&suchbegriff=Selbstmord&anfang=1875&ende=1876&sortierung=asc

 

 

●経験その2 「私は我々の経験に基づいて判断する」

(In this respect the abstract doctrines of science do not influence me: I judge according to the experience which we have.)

 

英語版ウィキクオートによると、これは1879年5月2日ドイツ帝国議会での演説の一部で、経済に関する発言です。

 

https://en.wikiquote.org/wiki/Otto_von_Bismarck

 

ドイツ語の発言を先ほどのサイトから根性で、「Wissenschaft」(科学)と「Erfahrung」(経験)をキーワードにして見つけましたwww

 

 

Unsere Chirurgie hat seit 2000 Jahren glänzende Fortschritte gemacht; die ärztliche Wissenschaft in Bezug auf die inneren Verhältnisse des Körpers, in die das menschliche Auge nicht hineinsehen kann, hat keine gemacht, wir stehen demselben Räthsel heute gegenüber wie früher. So ist es auch mit der organischen Bildung der Staaten. Die abstrakten Lehren der Wissenschaft lassen mich in dieser Beziehung vollständig kalt, ich urtheile nach der Erfahrung, die wir erleben.

 

こちらの932ページです。

 

 

Verhandlungen des Reichstages, Bd.: 53. 1879, Berlin, 1879

https://daten.digitale-sammlungen.de/~db/0001//bsb00018400/images/index.html?id=00018400&groesser=&fip=eayayztsewqeayaxssdasyztsqrseayaxs&no=&seite=00110&koordinaten=x1:44x2:48y1:52y2:49---x1:16x2:50y1:24y2:51---x1:9x2:39y1:17y2:40---x1:15x2:43y1:23y2:44

 

グーグル翻訳先生いわく、

「私たちの手術は2000年にわたって目覚ましい進歩を遂げてきました。人間の目では見えない身体の内部の働きに関する医学は、何もしていません。私たちは今日、以前と同じパズルに直面しています。それは国家の有機的な形成と同じです。科学の抽象的な教えは、この点で私を完全に冷たくします、私は私たちが持っている経験によって判断します。」

 

というわけで、「経験によって判断」だそうです。

 

なお、こちらが「experience」で英語版ウィキクオート検索した3件目ですが、上記と同じ出典と思われます。

 

In the domain of political economy the abstract doctrines of science leave me perfectly cold, my only standard of judgment being experience.

As quoted in W. H. Dawson, Bismarck and State Socialism: An Exposition of the Social and Economic Legislation of Germany since 1870 (1891), p. 54

 

というわけで、実際のビスマルクは予防戦争の是非について自身の「長い政治的経験」をふまえた見解を述べ、経済や「国家の有機的形成」については「科学」ではなく「我々」の「経験」で判断する、とのことです。

 

 

【逸話も名言も、研究者もみんな疑ってかかろう!―裸の王様にならないために―】

 

以上、ず~いぶん長くなりましたが(書き始めは5月(^^;))、

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」が本当にビスマルクの言葉か調べてみました。

 

【まとめ】

★それらしいフレーズはドイツ語では見つからず、おフランス語のナポレオン3世についての本などで見つかった。

★それも「自分」は「他人の苦い経験」から学びたい、という「他山の石」に近い内容だった。

★「賢者は歴史に学ぶ」の部分は日本語の本でしか見つからない。「愚者は~」と「賢者は歴史に~」は日本人による悪魔合体の可能性が高い。

★「経験」については、ビスマルクは帝国議会で思いっきり「経験」に基づいて判断するといっている!

 

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というフレーズをビスマルクの言葉として引用しつつ、オレ様は歴史学を学んだとドヤるのはやめましょう!

 

歴史学は出典を確認し、定かでないものをうのみにしてはいけない学問ですから!

 

新たな史料が登場しない限り、歴史学を学ぶポーズをとりつつ、このフレーズをビスマルクの真なる発言として扱うのは自己矛盾もはなはだしいと言えましょう。

 

歴史研究者は特に要注意です。

 

特に、誰かが経験を語るとき、「ばーかばーか!」みたいにののしるのにこのフレーズを使うのはやめましょう!www