乃至政彦さんの記事を見て興味深く感じたので、天正九年六月二日
=本能寺の変の変のちょうど一年前!
に出された明智光秀(この頃は惟任日向守光秀)の家中軍法の後段を解釈してみました(^^)

この部分です。

右、軍役雖定置、猶至相嗜者寸志も不黙止、併不叶其分際者、相構而可加思慮、然而顕愚案条々雖顧外見、既被召出瓦礫沈淪之輩、剰莫太御人数被預下上者、未糺之法度、且武勇無功之族、且国家之費頗以掠 公務、云袷云拾存其嘲対面々重苦労訖、所詮於出群抜卒粉骨者、速可達 上聞者也、仍家中軍法如件、
天正九年六月二日/日向守光秀(花押)/宛所欠


高村不期さんが「定、条々」の原文と解釈案をブログで公開してますのでそこからお借りしました。
「八木書房刊明智光秀108「明智光秀家中軍法」(尊経閣文庫所蔵)同書107号御霊神社文書より一部補訂。」とのこと。

https://www.rek.jp/090

乃至さんの記事はこちら。
光秀が作った「織田家唯一の軍法」その狙いと他の大名の軍法との違いとは(JBpress)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e54c325fefdabbf4c26c864a266d975288ab5c34?page=2

さて前段では、

「備場」(配備中の)私語禁止、
先陣に関して旗本の下知に服従、
規定通りの兵員の動員、
 進軍時の「馬乗」(騎乗する指揮官)の後方退避禁止、
「足軽懸合」(戦闘開始時)の勝手な交戦禁止、
移動や陣替え時の勝手な陣取り禁止、
規定した「器物」の量は「京都」は三斗、「遼遠之夫役」は弐斗五升、「其糧」は一人一日八合を領主が支給

を規定し、動員兵数は百石あたり六人から始まって千石まで装備数も指定しています。
上記はその後に続きます。


それでは区切って解釈していきます。

【原文】右、軍役雖定置、
【意訳】右のように軍役(のルール)を定めておいたが、
【解釈】丹波攻略後、加増され雑多な軍勢を擁することになった翌年、上記軍法を定めたようです。指図に従わない、自分勝手な抜け駆け、その逆に後方に逃げ隠れ、負担を嫌って十分な兵力を連れてこないなどトホホな連中に困っていたようです。
光秀指揮下に入った者の多くが独立した地侍で、独立した武装集団として参戦することが多かったのかもしれません。


【原文】猶至相嗜者寸志も不黙止、併不叶其分際者、相構而可加思慮
【意訳】たしなみがある(レベル)に至る者もなお少しも黙止(おろそかに)せず、その分際がかなわない(そのレベルができない)者はしっかりと思慮を加えるべきである。
【解釈】軍法なんかなくても戦場での進退、上官の期待をわきまえている人は、「言われんでも分かっとるわ」と思うかもしれないが、完璧を求める。
期待される「分際」に応じたことができない者には考慮を求める。
本能寺の変当時一万三千人いたという家中は玉石混淆だったのでしょう。


【原文】然而顕愚案条々
【意訳】それで(自分の)愚案の条々を明らかにする(自分の見解を示すのである)。
【解釈】雑多な軍勢の統率のため、自分の考えを明文化したわけですね。


【原文】雖顧外見、
【意訳】外見(これを見る他者の目=規則を押し付けられる側の反発や不満)は顧みるが(考慮するが)、
【解釈】戦場での進退の自由を望む者、軍役の負担を嫌う者、指図を嫌う歴戦の勇士、新参者の光秀の指図を嫌う古参や織田家に渋々屈従した地侍など、光秀の統制への反発があろう、と光秀は意識していることを伝えたようです。


【原文】既被召出瓦礫沈淪之輩、剰莫太御人数被預下上者、
【意訳】瓦礫のようにおちぶれた輩(境遇)から既に召し出され(抜擢され)、あまつさえ莫大な御人数を預け下された以上、
【解釈】それでも自分は信長から抜擢されて大人数を預かったのだ、と虎の威を借りていますね。


【原文】未糺之法度、且武勇無功之族、且国家之費頗以掠
【意訳】いまだ法度(軍令)をはっきりしないままでは、武勇では武功のないやからにして、国家の予算をむやみにかすめ取るようでもあり、
【解釈】勇者の矜持や「国家」から与えられた俸禄にふさわしい貢献など、家中の人士の名誉心に訴えて軍法の必要性を理解させようとしていますね。


【原文】□(一文字空白=敬意を示す闕字)公務、云袷云拾存其嘲
【意訳】「公務」(公儀か、信長または信長政権)は「かれといいこれといい」(それもこれも、軍事的無能も国家予算浪費も)その嘲り(「公務」があざける)と存ずる。
【解釈】闕字はその後の人物への敬意を示すので、「公務」は信長あるいは信長政権を意味すると解釈しました。
武功がなく俸禄を貪るなら、信長や政権(側近や重臣)にバカにされるだろう。
これは信長の佐久間信盛への「折檻」を想起させますね。
軍法をしっかり定めて武功をたてないと、自分もお前たちもただでは済まないぞ、と危機感をあおりつつ、一体感を作り出したいようです。
織田家古参、旧幕臣、旧波多野家臣など雑多な家中ですから、「呉越同舟」の状況を作り出したいようです。


【原文】対面々重苦労訖、
【意訳】(そのため)面々(皆に)苦労させた(させることになったのである)。
【解釈】「苦労させてすまないね」と部下をねぎらう上司の姿勢を示していますね。今まで好き勝手にやっていた連中に軍法で規制をかけ、兵員数や装備数でも負担を増やしているという自覚があるようです。



【原文】所詮於出群抜卒粉骨者、速可達□(一文字空白=敬意を示す闕字)上聞者也、
【意訳】結局のところ粉骨(ぶり)が群をいで卒を抜く(抜群)なら速やかに上に聞かせる(信長に報告する)者である。
【解釈】軍法を定めて負担をかけるが、顕著な軍功を揚げれば信長様に報告するから、自分のことが気にくわなくてもがんばれば信長直臣になって自分の下から外れるキャリアパスもあるよ、と言いたいようです。
光秀自信への反発や不満でさえも功績を挙げるモチベーションにして、急拡張された明智家中を機能させようというわけです。
手を変え品を変えて雑多な人々に訴える光秀、なかなかの手練手管。世の辛酸をなめ、人心掌握にたけた知恵者という印象を受けました。



【原文】仍家中軍法如件、
【意訳】従って家中の軍法を以上の通りとする。
【解釈】定型文です。


天正九年六月二日/日向守光秀(花押)/宛所欠


上記意訳をまとめます。

右のように軍役(のルール)を定めておいたが、
たしなみがある(レベル)に至る者もなお少しも黙止(おろそかに)せず、その分際がかなわない(そのレベルができない)者はしっかりと思慮を加えるべきである。
それで(自分の)愚案の条々を明らかにする(自分の見解を示すのである)。
外見(これを見る他者の目=規則を押し付けられる側の反発や不満)は顧みるが(考慮するが)、
瓦礫のようにおちぶれた輩(境遇)から既に召し出され(抜擢され)、あまつさえ莫大な御人数を預け下された以上、
いまだ法度(軍令)をはっきりしないままでは、武勇では武功のないやからにして、国家の予算をむやみにかすめ取るようでもあり、
「公務」(公儀か、信長または信長政権)は「かれといいこれといい」(それもこれも、軍事的無能も国家予算浪費も)その嘲り(「公務」があざける)と存ずる。
(そのため)面々(皆に)苦労させた(させることになったのである)。
結局のところ粉骨(ぶり)が群をいで卒を抜く(抜群)なら速やかに上に聞かせる(信長に報告する)者である。
従って家中の軍法を以上の通りとする。


こんな感じになりました。
それがし明智光秀研究も戦国軍事史も門外漢ですので正確だと保証はできませんが、好奇心の赴くまま解釈してみました(^^)
光秀、かなりの傑物のようですね(^^)