母が歩けなくなってしまいました | 音楽でよろこびの風を

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世間を騒がす夫婦音楽ユニット 相模の風THEめをと風雲録

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相模の風THEめをと ダンナ 

いしはらとしひろです。

 

このところ二週間以上

ブログを書けませんでしたが。


年が明けてこっち、いろいろ有り過ぎ、

というか もはや激動と言っていいっす。

冬休みが終わったと同時に、かみさんインフルエンザ。
オットはかいがいしくツマが良くなるよう、

いろいろがんばったさ。

看病オットです。

そして、ようやくツマが真人間に戻ってきたら

(それまでは「保菌者」と呼ばれていた)

実家の母が歩けなくなってしまった。

1週間前の1月11日の夜にそれがわかりました。
実際には前日からそういう状態だったのかもしれない。
前々日の9日までは大丈夫だったので。

ちょうど3連休に当たってしまい、

その3日間は自宅で寝たきりになってしまったので

自宅介護。

火曜にすぐ医者に連れて行き、

また、いつもお世話になっている支援センターの

ケアマネージャーさんにも連絡。

ケアマネさんの判断は速かった。
今までもしょっちゅう家に来てくださって、

様子は大体把握していたからだと思うけれど、

すぐにあちこちの老人ホームに連絡を取ってくれて、

空きがあるところを見つけ出してくれて

「仮入居」という形をとってくれました。

(厳密に言うと体験入居)

その日の夜には、ホームの方が迎えに来てくださり、

一時避難のような形で、老人ホームに入居。

その間に、こちらは迎え入れる体制を整える。

現状、まだ、いろいろなことが宙ぶらりん。
足が良くなって再び歩けるようになるのか。
それとも寝たきりになってしまうのか。

とりあえずは来週もう一度医者に行っての、

診断待ちなところもあるし。

介護認定の変更の手続きも必要だし。

やることも対処しなければいけないことも山積み。

今のところ、老人ホームでしばらく預かっていただき、

足の経過も見つつ、ケアマネさんにも相談しつつ、

自宅介護なのか、老人ホームなのか、

というところを考えます。

とはいえ2週間以内くらいに、

はっきりさせなければいけないのですが。

僕自身、

かみさんの看病が終わったと同時に

この事態なので、びっくりもしたし、

うわぁぁ、という感じでした。

思い返せば去年の年末くらいから、

サインは出ていたんですよね。

いろいろと。
でも、自分の都合のいいようにしか

見ていなかったんだな。

今までも、僕らにできるだけのことはしてきたつもりだったけど、

今度のことがあって良く見直すと、

やはりいたらないところもたくさん。

確かに高齢なので(87歳)

何があってもおかしくないのだけれど、

でも、こういうことになると、

今までの自分たちの見通しの甘さが

浮き彫りになるようで。

いろいろと落ち着くまで、道筋が見えるまで、

もう少しかかるでしょうが、

こうなってしまったことは仕方ないので、

母が少しでもここから気持ちよく過ごせる道を

探していきます。

しかしなんだな。
歩けなくなって三日目。
病院に連れて行く直前に、

介護パンツを履き替えさせているときに、

「もう人生を放棄したい」と言われたのは、

さすがにこたえたな。


僕も説得にかかる余裕もなかったので(時間も気持ちも)、
「はいはい、わかったから、とにかく病院行こう」

と言って、無理矢理車に乗せてしまったけれど。

父はもう17年前に亡くなっているのだけれど、

その晩年は半寝たきりでした。

その時に僕も少しでもおむつの取り替えとか

やっておいて良かった。

今回はそういうところでは慌てなかったもの。
車椅子もこの数年でだいぶ使い慣れていたので、

そういう現実的な対処では、

迷ったりびびったりすることがなかったので助かりました。

ホームに入って、現在状態は落ち着いております。
向こうの方の介護もしっかりやっていただいているし。
暖かい部屋でゆっくり休んでおります。
足の状態は相変わらずなのですが、

もう少し状態が良くなったら、歩けるようになるように

全面的にバックアップしていきます。

今日は、かみさんと一緒に実家を片付けに行きました。
家に戻れるようになったとしても、

今までとは同じように行かないわけですから、

どうなっても対応できるように。
かなり散らかってもいたのでがっつりと片付けました。
これも何日かかかるでしょうから、じっくりと行きます。

それからめをと、ライブはやりますよ!
そこは僕らの生命線なので。
いろいろな意味で無理はしないので、ご心配なく~~。

そして、母のこともちょびちょび書いていくので、よろしく~~。