短く合掌した | 音楽でよろこびの風を

音楽でよろこびの風を

世間を騒がす夫婦音楽ユニット 相模の風THEめをと風雲録

毎年8月15日になると、戦争のことを書くいしはらです。
今日は終戦記念日。
本当は正午に合掌、と思っていたのだが、コロッと忘れていて、仕事の合間に短い祈りをささげた。

僕の父は終戦ぎりぎりに応召して(学徒出陣)、旧満州でソ連との戦いに参戦。
銃を一発も打つことなく捕虜になり、シベリア抑留。
母は昭和20年の横浜大空襲を、辛くも生き延びてきた(母は横浜育ち)。

父も母も、僕が小学生くらいの頃から、その当時のことをわりとよく話してくれた。
だからそのころの自分は、まわりの友達のお父さんもお母さんも、戦争を経験していて、そういう話を家で聞かされているもんだ、と思っていた。

でも、親が戦争に兵隊として行っていた、などというのは、僕の世代ではもう少数派だったのだ。
そういうのがわかってきたのは、中学生くらいになってからだ。
僕の父は大正14年生まれだけれど、まわりの友人たちの父親は、もう一世代~二世代下の人が多かった。終戦時で中学生くらいだろうか。

考えてみたら、うちの両親とも、そういう話をするとき「だから戦争はダメなんだよ。」とか「平和を守り続けなきゃ。」という、ご立派なことは言わなかったような気がする。
ただ、とにかく戦争は大変だ。あんな思いは二度としたくない。と

そりゃそうだ。
空襲の中を命からがら逃げまわったり、仲間がどんどん死んでいく酷寒のシベリアで重労働したりすれば、まさに「骨身にしみる」だろう。

戦後71年間。
日本は戦争をしないで済んできた。
これは稀有なことである。
もちろんアメリカ合衆国の戦力の笠に守られて、という部分はあるにせよ。
平和ボケと言われようが、金さえ出せばいいと思っているのかなどと揶揄されようが、これはすごいことなのだ。

平和ボケ上等!

集団的自衛権の行使に関しては昨年秋、参院で可決され法として成立した。
僕はこの法律は日本の自衛に使われるのではなく、「アメリカさん、戦争の下請けしますよ。」と言っている、と解釈しています。ゆえに反対であります。

法で決まったものは絶対、ではない。
法の改正・改訂はできるもの。
まずはそういう議員を選ばなきゃな。
次の国政選挙は急な解散などなければ、今年の12月の衆議院選挙だ。

まずは投票行こうな。
この投票権を手に入れるためにだって、相当な量の血が流れているのだからさ。