母の入院と、父の暴れる事件 | 相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

宮城県在住だった両親の介護の記録です。
想像を超える事が多かったので、忘れないうちに記録しておこうと思いました。

神奈川県在住の56歳の主婦です。ドラックストアで登録販売者として16年勤務しています。
夫56歳、娘25歳、息子23歳、の4人家族です。

母の入院した病院には、なんと、母が若い時、看護師だった頃、同じ大学病院の同じ病棟に勤務していた、お医者様の佐藤先生(仮名)がいらっしゃいました。

私も、父から、この先生のお名前を聞いていたので、偶然に、驚きました。


母の病室はまず落ち着くまでは2人部屋でした。

母を、ベットに落ち着かせてから、

色々、説明を受けました。


月々の入院費、食費、居住費、オムツ料、パジャマやタオルなどのセット料、などなどで、

月々10万円弱、と言われました。


サ高住を、退去しないと、お金が足りません。

もしかして、元気になったら、また戻れるかも…と思い、母の退去はしないでおこうと思ったのですが、それは、無理となりました。


そして、入院なので、

介護保険の利用はなくなり、

後期高齢者保険の適用になりました。


でも、介護保険料は、払い続けなくてはいけなかったような……。確かそうです。


ひとまず、母は、病院に落ち着き、私は、父に会って神奈川に戻りました。


母が入院した前の日、10月13日、

父は、初めて、デイサービスに行ってみたそうなのですが、

ちっとも、落ち着かなかったそうです。

そして、母が、入院した10月14日、

部屋に母がいないので、何度も事務所に行き、

しまいには酔っ払い、

母を探しに行くと言って外に出て行ってしまうので、共通の出入り口に施錠をしたところ、なんと、ドアを叩き、開けろ、と騒ぎ、事務所のドアを壊してしまったそうなのです。


このことは、後から所長さんとケアマネさんから聞いたのです。


その時のスタッフさんの大変さを思うと、申し訳ないとしか、言えません。泣


それでも、なんとか、なだめて、

部屋に戻させ、眠るようにしてくださったそうなのですが……


その夜、父は、もっと大変な事をしてしまったのです。