高遠城 | 「週刊文武」 相模家康

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相模家康です。




今回は高遠城!!!

基本データ
 築城主:不明
 築城年:不明
  別名:兜山城
  形態:平山城
  遺構:石垣・土塁・空堀・門
 文化財:高遠城址公園(国史跡日本100名城)
  住所:〒396-0213 長野県伊那市高遠町東高遠2296
  経路:JR飯田線伊那市駅よりバス使用合計44分




《ガイド》
  諏訪氏一門の高遠家が居城としており、その後武田晴信(信玄)が入
 城し伊那方面への進出拠点としました。




  さらに織田信長が勢力を伸ばすと高遠城は織田の城になり、天正
 壬牛の乱が勃発すると徳川家康が入城しました。




  また、江戸時代には高遠藩庁になり京極氏・鳥居氏などが守りまし
 た。




【僕の攻め方】
  南口を入り分岐点を右に行き、しばらく直進しますあし




  すると、ページ一番上の写真の門があります。
  名は問屋門。
  この門をくぐり前に進むと・・・
  高遠城の戦いの看板があります。




  高遠城の戦いとは織田信長の嫡男・信忠が高遠城を攻め落とした戦
 いです。




  見終わったらさらに少し前に進み左折し、また少し進むと、本丸
 跡の看板があります。
  「今では(省略)桜の古木が毎年美しい花を咲かせ、」とあるように周
 りは木だらけ霧
  そして、この本丸跡の交差点を右折します。




  すると、左に・・・
  太鼓櫓があります。
  時報鐘の太鼓版みたいな感じです。




  また、ここから見る眺めも綺麗です目キラキラ




◆歴史◆
 16世紀  高遠氏が居城とする
 1547年 大改築が行われる
 1581年 仁科盛信が城主となる
 1582年 高遠城の戦いで織田の手に落ちる
      天正壬牛の乱勃発。藤沢頼親が城主となるが保科正直が攻
      め落とす。
 1961年 内藤清杖が三万三千石で入封
 2006年 日本100名城第30番に選定

最後に今月のクイズの解答解説




A.豊臣秀吉




解説:甲府城は武田氏の滅亡後豊臣秀吉が甲府の地に城を築くよう命じ
  ました。

今回はここまで。




最後まで読んでいただきありがとうございました。




次回もお楽しみに!