「週刊文武」 相模家康

「週刊文武」 相模家康

歴史好きの中1です。
日本の歴史・城などを投稿しています。
また、このブログの執筆者は相模歳三の執筆者と同一人物です。
そして、月に1回クイズも出題しています。
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アクセスありがとうございます。




お久しぶりです。相模家康です。




桜も見頃となりました桜


今回は桜の名所・大和郡山城です!!

〈基本データ〉
築城年:1162年(平安時代後期)
築城主:郡山の人々
改修年:1580年(安土桃山時代)
改修者:筒井順慶

Wikipediaより

 城主:筒井氏、豊臣氏、水野氏、本多氏、柳沢氏
 別名:雁陣之城
 形態:平山城
 遺構:石垣、堀
文化財:郡山城(国史跡)
所在地:奈良県大和郡山市城内町(奈良県北部、JR奈良駅から南西に約5km)



《歴史ガイド》
 大和郡山城は、平安時代後期にこのあたりに住んでいた民が佐賀県の吉野ヶ里遺跡のような環濠集落を建設したのが始まりです。

吉野ヶ里遺跡の堀。右側の奥に人が住んだ。

Wikipediaより

 その後、安土桃山時代にこの地方で権力を握るのが筒井順慶です。



 順慶は元々郡山より南の筒井城を本拠地としていましたが、1565年に三好氏の家臣である松永久秀

Wikipediaより

に筒井城を攻め落とされメラメラ 筒井一族がいる奈良県中西部の布施城に本拠地を移しました。



 筒井順慶は布施城で再起の力を貯め、ついに1566年に筒井城を奪還。



 しかし、1568年に織田信長の支援を受けた松永軍に再び攻め落とされ、順慶は奈良県中東部の福住中定城とともに郡山城を拠点としました

 このときに鎌倉時代に建築された東大寺の2代目大仏殿
(現在は3代目大仏殿)

焼け落ちてしまいますドンッ



 話を戻して…

こうして筒井順慶の本拠となった郡山城は、大改築が行われます。



 1583年には天守が完成。しかし、日本は既に豊臣の天下

豊臣秀吉の命令で順慶の養子は伊賀へ移され、郡山城には秀吉の弟である豊臣秀長が入りました。

Wikipediaより

 秀長は郡山城をさらに拡大。今日とほぼ変わらないところまで建設しました。



 そんな秀長に付いた異名が「大和大納言」

権大納言という官位に任命されたためです。



 しかし秀長は52歳で死去。養子の秀保が家督を継ぎますが、4年後に亡くなってしまい、秀長の家系は途絶えてしまいました。



 やがて豊臣政権では徳川家康が台頭。1614年には豊臣軍と徳川軍が全面戦争。世に言う大坂の役です。
Wikipediaより


 郡山城で当時城に入っていたのは、徳川家康の後ろ盾がある筒井順慶の養子である(伊賀に移された養子とは異なります)筒井定慶・慶之兄弟。

豊臣方は筒井氏に援助を求めましたが、筒井氏は拒否。



 豊臣方は大野治房達の軍勢を派遣し、郡山城は豊臣方の手に落ちました

筒井兄弟は城内で自害したと言われています。



 江戸時代になると水野勝成、松平忠明、本多政勝、松平信之、本多忠平と城主が相次いで変わり、その都度改修・拡大が行われました🪓



 その後1724年に柳沢吉里が入城すると、郡山は安定した時期を迎えました。

当時の郡山城下の人口は『郡山町鑑』によれば1万3000人を超えていたといいます(当時の新潟と同じくらい)びっくり



 そのまま明治維新を迎え、現在に至っています。



【僕の攻め方】
 最寄駅は近鉄の郡山駅。城は線路の西側にありますが、東側から行くのがオススメ。
 
 線路脇の道を行くと、左側に三の丸緑地があります。現在の線路は、当時の三の丸の西の境に走っているのです電車

 桜が植えてある道を進みます。

 すると、踏切に到着。訪問したとき(2023/4/1)は第62回『お城まつり』が開催中でした。

 線路を渡ったあとしばらく道を進み、分岐を右へ。外堀に沿って歩きます。



 すると見えるのが追手向櫓追手門。(天守ではありません!)

 道を直角に曲げることで敵の勢いを抑え、そこに十字砲火を加えられる枡形虎口です。


🔺門にある豊臣の紋



 門をくぐると天守台が見えます
が、まずは端っこからじっくり見ていきましょう。



 門をくぐったあとの坂を登り180度回転するとあるのが、この特徴的な建物。 
🔺右に見えるのが追手門



 これは明治時代に建てられた昔の奈良県立図書館。付近はちょっとした広場になっていて、屋台もたくさんありたした。
🔺奈良の苺『アスカルビー』 



 見終わったら引き返して天守台へ向かいます。

 この橋を渡れば本丸です。

 本丸にはかつての城主・柳沢吉保を祀る柳沢神社があります。



 参拝したらついに天守台へ。



 天守台からは西ノ京の町並みを一望できます。


今回はここまで。



最後までご覧いただきありがとうございました。



次回もお楽しみに!

アクセスありがとうございます。




相模家康です。




皆様、遅れ馳せながら、

明けまして

おめでとうございます




僕は京都で年越したり、帰郷すればすぐ部活があったりと何かと忙しい年末年始となってしまいました。




現地では浄土宗(後日相模歳三で取り上げる予定です)の総本山である知恩院で除夜の鐘を聞いたり耳


🔺三門



浄土真宗の総本山である本願寺に参拝したり、、、



龍安寺の石庭を見たりしました目



ちなみに、京都での年越しは北海道より寒いと聞いていましたが、そこまで寒くはなかったです雪の結晶(もちろん寒いことは寒いですが…)



本願寺はなかなか良く、三日間で四回も行ってしまいました🚕



また、昨年11月には歴史能力検定もあり、僕は日本史3級を受験し、無事合格いたしました。



これからも忙しい日々に追われつつも、できる限り本ブログを更新し続けたいと思っておりますので、本年もどうぞよろしくお願いします🙇

《COLUMN》
京都に行った際、本能寺を通りました。

現在の本能寺は本能寺の変当時とは位置が違うそうです。

現在の本能寺は豊臣秀吉によって再建されたものだそうてす。
 
それにしても距離が離れていて、本能寺跡と本能寺の間は約1.4km。

こんなに離れたところが良かったのかは知りませんが、以上は余談として。

現在の本能寺には織田信長のお墓(御廟)があります。

しかし、信長の遺体は行方不明になったとよく言われています。だとしたら中に何が入っているのでしょうか?

真実を知りたいです。

今回はここまで。 



最後までご覧いただきありがとうございました。



次回もお楽しみに!

アクセスありがとうございます。



お久しぶりです。相模家康です。



さて、やっと期末試験も無事終わり、CMなどを見ると「もうそんな季節か」と思います。



そんな中、毎年恒例のお城EXPO2022が今年も開催されます!

(お城EXPO2022ホームページより)

今年も横浜のパシフィコ横浜ノースでの開催です!



キャッチコピーからして愛城が溢れています🏯飛び出すハート



17日から18日まで開催されているお城EXPO。


講演では、来年の大河ドラマ「どうする家康」や前々作「麒麟がくる」などで時代考証を担当した小和田哲男先生や、
(お城EXPO2022ホームページより)

テレビでお馴染みの千田嘉博先生
(お城EXPO2022ホームページより)

など、錚々たる顔ぶれびっくり


常設展示もいつも通り盛んです。


僕は二日目の参戦。どんなものが楽しみですよだれ


お城EXPOは当日券もあるので、急に行っても🆗。


講演も当日券があります。


最近はコロナだテストだで城に行けない日々が続いていますが、
年末年始の遠征で再び攻略していきたいと思います(`・ω・´)ゞ



今回はここまで。


最後までご覧いただきありがとうございました。


皆さんも、よかったら是非お城EXPOに行ってみてください。


次回もお楽しみに!