台湾、日本でひさびさに質の高い宿にたくさん泊まり、思うところがあったので記します。よい宿が特に日本には本当にたくさんあって、今回泊まった京都2軒、神戸、直島、高山の宿は全てすばらしい宿でした。個人的に日本の宿のレベルは世界一だと思っているのですが、特にどんな点を評価しているか、自己分析してみました。あくまで個人的な視点、意見ですが、宿に対する評価は同行のポルトガル人もほぼ同意見だったので、世界各国からの旅人、バックパッカーも大なり小なり同じような視点を持っているのではないかと思います。


1. 寝室の快適さ

この項目については、具体例をいくつか挙げて説明します。

「よいマットレス、枕を使っている」
やはり宿は「寝るところ」なので、寝具の質は大切です。気候にあった清潔な寝具は快適な滞在の大前提でしょう。

「ベッド周りが充実」
コンセント、小物置き、メガネ入れ、タオルかけなど、小さなことですが、滞在の快適さが大きく違ってきます。特に上段ベッドは設備によって昇り降りの回数が変わることもあります。

「窓があり日が入る」
(日本ではないですが、)特にリオは窓のない(もしくは小さい)部屋に泊まるのを嫌がっていました。やはり朝陽とともに目覚めるのは気持ちいいものです。

「清潔」
基本中の基本ですが、寝室が清潔でない宿は他がどれだけ優れていても「最高の宿」とは呼べないと思います。


2. 場としての機能

これは1. が本来の宿としての機能であるのに対し、快適な滞在に必須ではないのですが、充実することで滞在がより思い出深いものになり、ゲストのファン化につながるものです。バックパッカーが同価格帯であってもビジネスホテルよりゲストハウス、ホステルを選ぶ理由も、おそらくこの「場としての機能」に期待してのことだと思います。

具体的には、「宿内の共有スペースを利用してのパーティー、イベント」などがこれにあたります。これらは「宿泊者限定のイベント」と「外部との交流イベント」に分類でき、さらに「宿主催のイベント」と、地域のボランティア、事業者、個人など「外部との共催イベント」があります。宿泊者限定のイベントは主に大都市の外国人宿泊者比率の高い宿に見られ、宿泊者同士の交流を主な目的としています。一方、外部との交流イベントには、外国人向けのボランティア活動をされている方や、国際交流に興味のある個人の方が参加される場合が多いです。

僕が個人的に評価しているのは、宿内で完結するイベントではなく、外部との交流イベントです。英語を話す人口が少ないことや、独自の文化、ルールが多いことで、残念ながら日本は外国人にとって旅しやすい国とは言いがたいですが、その分日本に来る外国人はかなり日本にコミットして来てくれている人が多いです。そうした人たちにとって、日本文化を学び、日本人の友人を作る機会は大きな魅力のはずです。宿のスタッフというのは旅や外国人との交流に慣れていることが多く、良くも悪くも「一般的な日本人」でない場合が多いです。地域の方と交流することで、より自然でリアルな日本を知ってもらうことができるのではないでしょうか。


3. オーナー、スタッフ

これは書くのが難しいのですが、宿にはオーナー、スタッフの人柄とリンクした「宿柄」ともいうべきものがあると思っています。複数店舗を運営するような宿になると、会社のカラーが強くなってきたりするのですが、それでもマネジャーやスタッフが一人変わるだけで宿柄はかなり変わります。誤解のないように言っておきたいのは、宿柄は優劣ではなく、「マッチング」で判断すべきということです。誰かにとって最高の宿柄が、他の人にとっても同じであるとは限りません。これは宿泊ゲストにとってもそうですし、すでにある程度の宿柄ができている宿で働くスタッフにも言えることです。マッチングの問題なので、自分が落ち着ける宿に泊まり、自分を活かせる宿で働くことが大事です。おそらく、宿のオーナーやマネジャーがスタッフを採用するときも、その辺りのことを考えているのではないでしょうか。


4. 宿のデスティネーション化

上記の3点を十分に満たしていると旅人が判断したとき、「宿のデスティネーション化」が起こると考えています。聞きなれない言葉かもしれませんが、「その宿に泊まることが旅の目的になる」といった意味です。通常は行き先を決めてから宿を決めるので、逆ですね。デスティネーション化は一度宿泊したゲストがファン化してリピーターになる場合もあれば、Webや口コミの評判から起こる場合もあります。デスティネーション化は宿の究極の理想であり、宿を目がけて人が集まることで地域振興の有効な方法になると考えています。大げさに言えば、日本のインバウンドは地方から変わり、地方を変える中心はデスティネーション化した宿ではないかと思っています。


以上。冒頭で書いた通り、ここに書いた評価基準は自分が個人的に自覚しているもので、人によっては別の評価軸があったり、また自分自身でも無意識に気にしているポイントがあるかもしれません。お気づきの点があれば、fbやtwitter (@samistoke84)でメッセージいただけるとうれしいです。



どこで買っても同じようなものやサービスを選ぶときにやっていること。

値段ではなく人で判断する。

話したときの印象(特に第一印象)で、「その人のことが好きか」わかる。

そういう人から買うといい。

値段で選ぶと、もっと安いところを見つけたとき後悔する。

それに経験上、「この人」と思って買ったものは適正価格なことが多い。

「あの人に払った」と思えば、多少高くてもまあいいかと思える。

ぼられていたと後でわかったとしても、自分に見る目がなかっただけ。

信用できる人を見分けられるようになるための勉強代と思えばいい。

・・・

特に宿やツアーは少しでも「あれ?」と思ったらやめておいた方がいい。

そういうときの勘はだいたい当たるんだなあ。



バリのクタで人物に出会った。

「スクーターはいらんかね」と道で声をかけられ、連れていかれた先の宿屋の主人。

約束の時間にスクーターを引き取りにいったのだけど、整備が終わっていなくて待ちぼうけ。

申し訳なく思ったのか、忙しそうな仕事の合間をぬって話し相手をしてくれる。

「日本語で数字の数え方を教えてほしい」

言われたとおり教えると、律儀にメモを取る彼。(メモ紙は紙ナプキンだけど。)

ひと通り教え終わると、今後は逆にインドネシア語での数え方を教えてくれる。

「こうやってお互いに学ぶのが一番いいんだ。教えてくれてありがとう」

・・・

彼がすばらしいと思ったのはそのあとだった。

我々の前に、ヒンドゥーのサドゥのような格好をした欧米人が現れた。

インド世界に傾倒しすぎ、すこし具合がおかしいのが見てわかる。

周りの客、従業員など居合わせた人たちの間に妙な雰囲気が漂う。

恥ずかしながら、自分も「関わっては大変」とばかりに目線を逸らしていた。

主人は違った。

自分と話すのとすこしも変わりなく白人のサドゥと話し始める。

ヒンドゥー的世界の解釈、風習について、サドゥが知見を述べると、

「それは興味深い」

と、先ほどと同じようにメモをとる。

「教えてくれてありがとう」

生粋のヒンドゥー教徒であろう彼が、素直に外国人から学ぶ姿に驚いた。

彼は無知であるためになんでも喜んで学んでいるのではない。

その証拠に、これに先立って彼は流暢な英語と豊富な語彙で彼のヒンドゥー世界の解釈を講義してくれている。

全ての他人を師とみなし、等しく謙虚な態度で接する。

こんなことができる人はなかなかいないのではないだろうか。

そんな彼が手配してくれたスクーターは、古いが手入れの行きとどいたいい物だった。

納品を待っているうちに腹が減り、注文したサンドイッチも美味かった。

「一事が万事」だなと思う。