一方その頃後白河法皇は一通の書状を目にされていた。
西国にある平資盛からであった。
都落ちしてから数ヵ月後、資盛は後白河法皇に激しい恋情を記した書状を送っている。
これがその書状である。
後白河法皇はかつて資盛を愛した。何度も同衾して夜を重ねた。
その資盛からの書状である。

資盛はその後も密かに何度も人目を盗んで後白河法皇に書状を送っている。
法皇も人を介して返書を持たせた。
その返書には資盛に対する悪しからぬ想いに添えて平家に和議を勧める内容を記したこともある。

━━ 小松一族か・・・
資盛からの文を読んで法皇は、密かに想いをめぐらせた。

平家は一枚岩ではない。
都落ちの時、清盛の弟の頼盛は一門から離脱して都に留まった。
現在の総帥宗盛の兄重盛の子たち維盛、資盛など「小松一族」と呼ばれる人々は
都落ちの際都に留まろうとしたがそれが出来ずに仕方なしに一門に従ったという経緯がある。
小松一族は院近臣と縁を結び平家一門の中でもとりわけ後白河法皇寄りの立場を取っていた。それだけに、法皇と絶縁に追い込まれた平家一門の中には小松一族を白眼視するものもあるという。

重盛の死後傍流に追いやられた小松一族。
そして都落ちをした後は、彼等は一門の中で肩身の狭い思いをしている。
現に重盛の子清経は自殺したとも言う。それだけ一門のなかでの孤立が深刻化していたのであろう・・・

━━ 小松一族の孤立・・・そこにつけこむ余地があるやも知れぬ・・・
法皇はそのようの思し召しになれらたかも知れない。

法皇は近習を呼び寄せた。
その近習は夜の闇に溶け込みいずこかへと向かっていった・・・

一方源範頼はある人物と対面した。
その人物とは惟宗(島津)忠久。範頼の妻の異父兄である。
忠久は、南都興福寺があくまでも反平家を貫く方針であるという知らせを持ってきた。
その知らせを聞いた範頼は改めて南都勢力に鎌倉勢への援護を依頼したいと申し出た。
その趣旨を受け止めた忠久は興福寺のしかるべき人物を近くここへ呼び寄せることを主に頼むといった。
惟宗忠久は摂政近衛基通に仕えている。
興福寺は藤原氏の氏寺である。当然藤原氏長者である基通の意向は強く反映されるだろうし、基通は南都に多くの人脈を抱えている。
範頼は基通ー忠久の縁を頼りに南都へ働きかけを行なっている。
南都勢力が鎌倉勢力に味方するならば畿内の平家家人に対して牽制をかけることができる。

そしてもう一人働きかけたい相手がいる。
その為に人を紹介してもらうことを養父藤原範季に頼んでいる。
働きかけたい相手とは比叡山延暦寺にいる慈円。
比叡山全体に並々ならぬ影響力を有する僧侶である。
慈円は右大臣九条兼実の同母の弟。
範季は兼実にも仕えている。その範季であるならば慈円に連なる人物を誰かしら知っているはずである。
そして慈円に鎌倉勢への援護を依頼するのである。
無視できないほどの兵力を有し、畿内にも領地とそこに住する武士を従えている比叡山を是非味方につけておきたい。
比叡山に強い発言力をもつ慈円に繋がるものに是非とも接触したい。
比叡山も味方につけばこれもまた平家家人への牽制に繋がる。

さまざまに働きかけを行なっているその時、範頼の元に軍目付梶原景時が現れた。

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もう一つの書状は盟友安田義定からである。
義定は、平家を追討するにしてもしないにしても鎌倉方の方針に従うという意思を記している。

そして最後の書状を開く。
弟義経からのものである。
義経は入京後都の武者たちとしきりに接触を持っている。
特に義仲が都に在る間、義仲と不仲になっていた武士達との親交を深めようとしている。

その中で有力な二人の武将に義経は好感触を感じているようである。
一人は以仁王と共に滅んだ源三位頼政の孫源有綱。
摂津渡辺党を率いる摂津源氏の一員である。
摂津そして畿内に勢力を扶持している。
摂津は都と福原の間にある。
そしてもう一人、摂津でもより福原に程近い所に勢力を持つ多田行綱。
彼は摂津国筆頭の武士とも言える存在で彼の摂津国における影響力は強い。
この二人が鎌倉勢に対して好意的なのである。
上手くいけば平家攻めになった場合協力してくれる可能性が高い。
そのように義経からの書状は記している。

範頼は書状を閉じた。

平家とは和議を結ばない可能性が高い。
ならば平家攻めである。
そしてその中心となるのは当然鎌倉勢である。
その鎌倉勢を率いるのは当然自分と義経になるであろう。
戦うからには勝たなければならない。

勝つためにはいかにすべきなのか。

それを考えなくてはならない。

範頼の眠れない日々が始まった。

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一方その頃近江国にある源範頼は複数の書状に目を通していた。
最初に目を通したのは、軍目付梶原景時からのもの。
その書状には平家の優勢ぶりと、平家を追討するか和議を結ぶか朝廷の方針が定まらないことが記されている。
次に目を通したのが養父藤原範季からの書状である。
東国にいたときから範季とは度々書状のやりとりはしていた。
義仲との戦いの前はさすがに書状のやりとりはできなかったが
義仲が討ち取られた今はこうして頻繁な書簡の往復ができるようになっている。
しかし、使者は人目を避けるようにして現れる。
範季は範頼との密かな交渉を知られたくないようなのである。
都の近くにありながらこれでは都にいる養父に会うことも叶わないであろう。

その範季からの書状には、後白河法皇が「平家討つべし」という固いご意志をもっておられることが記されている。
平家との和議を唱える公卿も多いが、法皇がそのご意志をお持ちである以上平家追討の院宣が出される可能性は高いと記されている。
範季は院の近臣である。その範季からの知らせであるからこの法皇のご意志は真実であろう。

範頼は思った。
院が平家と和することはありえない、と。
かつて清盛によって院政を停止された。
そして今回義仲の上洛によって都落ちすることになった平家には同道せず、
平家が奉じている安徳天皇が正式に退位していないにも関わらず後鳥羽天皇を即位させた。
ここまできてしまっていては院と平家との和議はありえないだろう・・・

しかし、この兵力でどうやって平家と戦えというのであろうか?
範頼も自軍の兵力に不安を抱いている。

次の書状を開く。
土肥実平からである。
実平からは一条忠頼の動向が記されている。
一条忠頼は「平家攻めには参戦しない」と先日明言したという。
ただし、都の警護の為に都に残るのは構わないという。
そして、末尾に気になる一文があった。
ここのところ同じ甲斐源氏の秋山光朝(加賀美遠光の子)が忠頼の元に頻繁に出入りしているという。
光朝は平重盛の娘を妻にしている。
 
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