徒歩旅行時代の幹線道路「東海道」の宿駅の一つ、「坂下(坂ノ下)」を訪れました。
東海道の53の宿駅のうち、現在の三重県(伊勢国)には7つの宿駅がありましたが、江戸から西行して京都に向かう場合、伊勢国の7番目の宿駅が坂下でした。坂下を過ぎると鈴鹿峠があり、滋賀県(近江国)に入ります。次の宿駅は「土山宿」でした。
鈴鹿峠越を目前にして、坂下宿には多くの宿泊施設がありました。江戸時代中期の時点で、本陣3、脇本陣1、(脇本陣を含めて)旅籠51軒がありました。この数は東隣の関宿や亀山宿よりも多く、宿駅の繁栄ぶりを想像するに余りあります。
現在は、すぐ近くに国道1号線が走っていますが、その喧騒から離れた閑静な旧道および集落になっていました。
本陣と脇本陣の跡地には、昭和51年3月に関町教育委員会が設けた石碑がありました。以下の4つを現認しました。
■松屋本陣跡
■大竹屋本陣跡
■梅屋本陣跡
■小竹屋脇本陣跡
写真は、小竹屋脇本陣跡から西方を写したものです。
奥の山並みは鈴鹿峠で、それを越えると近江国に達します。
[写真は、三重県亀山市関町坂本の東海道・坂下宿、小竹屋脇本陣跡]
(2022.4.6撮影)