戦時中の洗脳ツールとしてのレコードと紙芝居 | chopinのブログ

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前回のブログでは、ヒットラーの下で訓練された 青少年軍団(ユーゲント)を、大東亜帝国(日本)がドイツから招き入れて華々しく全国を回り、勇ましいヒットラー賞賛の戦争歌謡「万歳ヒットラー・ユーゲント」(実際の漢字は「萬歳」)が大ブームになったえー、という所までだったと思います。
 
アーサー・ビナードさんのお話によると、この戦争歌謡が発売されたのが1938年、2年後1940年には東京日本でオリンピック開催の予定だったけれど、(その頃は夏と冬のオリンピックが同じ年に開催。夏は東京、冬は札幌の予定だったそう)、1937年に始まった支那事変(日中戦争)でそれどころではなくなり、かといってオリンピックのキャンセルも国の面子が丸潰れとなるので(まるで今の日本のよう。。。えー)、国の威信を保つためにドイツの青少年兵士達ユーゲントを招き、大キャンペーンを繰り広げる事で国民の関心を(同年1938年にオリンピックキャンセル発表)こちらに向ける必要があったようです。そのような作戦で大東亜帝国のイメージはどうにか維持できたのでしょうもやもや
 
始めに書いた戦争歌謡の歌詞の信じられない内容は前回のブログに書きましたが、SPレコードをカメラマンの杉山さんが古本屋のような所で偶然手にしたそうで、それが下に貼付したものです。ビクターから出てますが、戦時は「富士音盤」という日本語の社名に変えられていたそうです。どういうわけか、レコードの盤にはVICTORとアルファベットが使われたままです(笑)  上には日本とナチスの旗がガーン。。。「萬歳ヒットラー・ユーゲント」と歌の題名が右から左に書かれています。

 

今まで軍歌・戦争歌謡のメロディーを聴いただけでも拒否感を感じていた私ですが、今回は初めて歌詞を見ながら歌を聴きました。調べたらユーチューブにありましたので、下に貼付しました。

今一度、歌詞は北原白秋ですアセアセ

The Song of Welcoming the German Youth/Doitsu seishōnen kangei no uta(独逸青少年団歓迎の歌)[ Eng translation] - Bing video   

 


次に、下に貼った写真は、「少国民の常識」という題名の、子供向けの情報本。この中には事細かに皇室から始まって、信仰・生物・医学・化学・物理など、そして今の「現代用語の基礎知識」のように時局における新しい言葉の解説まであるそうです。また、この大人版は「大東亜時局語」という本で、なんとフリーメーソンの定義・解説まで載っています。ネットで某古本屋さんにこの本があるのを見つけ、早速注文してみました。現代社会では、フリーメイソン、イルミナティ、Deep Stateなどの言葉を出したらすぐに陰謀論で片付けられてしまいますが、戦前はその定義・内容を隠すことなく明らかに公開していたのには驚きます。戦後我が国もその勢力下に置かれたために、全てのそれ関係の情報が闇に葬られてしまったそうですショボーン (これで国民は真実から遠くに置かれているわけです) 昭和19年1944年発行のこの本が届いたら、ブログにも書くもりです。

 

 

下の写真はいずれも国策紙芝居と呼ばれているものです。この頃のメディアは、ラジオとレコードの他に、人力メディアの紙芝居でした。右上の「義農作兵衛」は伊予の国松山が舞台で、その頃飢饉で5千人近くが飢え死にしているというのに、主人公の百姓は「種は重し、命は軽し」で、「大切な麦の種は来年畑に撒く分、また年貢にも収めなきゃ」と、一切 手を付けないのです。畑に植えて食することが出来たのに、代わりに命を犠牲にしますショボーン  太平洋戦争開戦1941年12月から約半年前の紙芝居です。

「ガンバレコスズメ」はお腹を空かせた雀達、兵隊である「軍鳩」、伝書鳩と、子供でも解り易いように、可愛い鳥たちが出てきます。これは1943年の作品。

「金太郎の落下傘部隊」にも子供達が親しみやすいように金太郎部隊にイノシシ隊、ウサギ一等兵ネザーランド・ドワーフに荒熊軍曹熊あたま、と可愛く描かれた動物たちですが、みな揃って戦闘意欲を見せます。これは1944年の子供向けの作品。終戦から約一年半くらい前に作られています。

という具合に、子供達は小さい頃から、国への奉公、質素・節約の勧め、兵士たちの勇ましさなどを教えられます。面白いことに、家庭での教育よりも、学校や国からの教育の方がはるかに子供達を洗脳したそう。 怖いですタラー

 

 

さてまた元に戻って、このブログの始めに書いた戦争歌謡のSPレコードについてですが、一分間に78回転するので、手動ハンドルを巻いてから(オルゴールのゼンイを巻く同じやり方)、レコードに針を落とすのですが、杉山さんは鉄の針を1回から2回の試聴で交換してました。というのは何回も使うと、レコードの溝が深く削られてしまう、音が悪くなる、という理由でした。なので、長く同じレコードを聴くと、必然的にレコード本体が痛むので、買い替える必要があったようです。(その後出た33回転のレコードは、回転数が少ないので、SPレコードほどはレコードを痛ませなかったそう) 今から見ると、とても不便なものではありますが、今のように音を切ったり貼ったりで修整されてない、まるでオリジナルの音響そのままを味わっているかのような贅沢さがあるそうです。英国製と日本製の2つの蓄音機で、戦前の歌を初めて聴くというのは、とても貴重な体験でした。

 

このイベントのテーマ、東京大空襲と沖縄戦、これはまた後日ブログに綴ろうと思います。