海を知る

 

海の聖者が魚たちに説法していた。 
「我々は海によって生かされている。その海とはなにか、知らなければならない。それを知ったときはじめて、真のよろこびを得ることができるのだ!」 
一匹の魚がそれを聞いて、海を知りたいと思った。 

海はよろこびの本源だという。それならその源泉を捜しあてて、真の幸せを手にしたい。 
魚は海を探す旅にでた。 行く先々で、海を悟った師がいると聞けば、訪れて、教えを乞うた。 
「海とはなんですか――?」 と魚がたずねる。 
師は両手の平をさしだして、 「これだ!」 と言う。 しかし、手の上にはなにもない。 
「なにもないじゃないですか?」 と魚が問う。

師は笑って、 「すべて、ここにある!」 と言う。 
魚は理解できないが、礼を言って、そこを辞す。 
別の師のところでは、こう問う。 
「海はどこにあるのですか――?」 
師は人差し指をたてて、 「ここだ!」 と言う。 

魚は混乱するばかりだ。 
こうして、彼は世界中の海を旅して、多くの師に教えを乞うた。 

ある師は「祈りなさい」と言い、別な師は「瞑想しなさい」と言った。 

問うと、いきなり棒で叩いて、「わかったか!?」と聞く師もいれば、なにを聞いても、黙って沈黙している師もあった。 
何年も、何年も、魚の探求はつづいた。 

さまざまな師を訪ね、有名な道場(アシュラム)で修行をつんだ。 

うつくしい珊瑚礁の海に遭遇して、「これが海だ!」と思ったこともあった。 

真っ暗闇の深海を探索して、「この静寂がそれだ!」とよろこんだこともあった。 しかし得たと思ったものはすべて、いつも、いつか消えてしまった。 
魚はだんだん探求に疲れてきた。 

不思議な形をした岩やうつくしい珊瑚礁、いろいろな海藻や貝類、大小の魚たち、海のなかの世界をいろいろ学んできた。

しかし、海がなにかということはわからなかった。 

何年も探しつづけたが、海は見つからなかった。 

魚は消耗し、疲れはて、悲しみ、あせり、絶望していった。

 
あるとき、魚はおいしそうな食べ物を見つけて、ひょいと口の中に入れてしまった。 

それは漁師の釣り針だった。魚は、海からぽ-んと釣り上げられた。 

生まれて初めて、海から外に出てしまったのだ。 

突然、まったく見知らぬ世界に入りこんだ。

全身を焼けつくような感覚がおそってきた。

魚は、この危機から逃れようと、船板のうえで一生懸命もがいた。 
漁師は煙草をくわえながら、魚の口から針をはずし、つぎのエサを用意していた。 

魚は、死にものぐるいで暴れた。なにもかも忘れて、そこらじゅうを蹴りまくった。

 空はぬけるような青空だった。

 ばたばた暴れていると、なにかの拍子に魚の身体はぴょ-んと舟板をけって、また海のなかにぽちゃんと落ちた。 
そのとき、魚は海を知った。 

* これは真理を探し求める旅の話である。 
生まれたときから海のなかに住んで、その外に出たことのない魚にとって、海を知ることはむずかしい。 
それは、私たちにとっての空気のようなものだ。

(続く)

 

 

ビパッサナ瞑想リトリート in  MIYAZAKI

10日間の旅
(最初の3日間だけの参加も可能です)
- 10days - 
2024年 4/27(土) - 5/6(月祝)
- 3days -
2024年 4/27(土) - 29(月祝)