リダが結婚するという報告を受けてから1週間。
最初にオンラインで聞いた時に感じた違和感と言うかモヤモヤはなんなんだろう?
それを考えてた1週間だった気がする。
最初は結婚する事にショックを受けたのかと思ったけど、自分の気持ちに向き合ってみたら、どうもそうじゃない。
では、発表の時期だったのか。
聞いた直後はそれが1番の原因だと思ったけど、それもしっくりこず。
あれこれ考えて辿り着いた着地点。
オフライン、オンラインで開いたギフトコンサート「하고 싶은 말」
オンライン配信したけど、目の前の韓国ペンに向けて話しているようにしか感じなかった…私はね。
有観客で無料コンサートを開いて、そこで発表するなら、たとえ人数が限定数であったとして、誰もが申し込みを出来る時期を待つべきだったなと。
力不足で招待出来なかっと言うけれど、時期さえ違えば出来たはず。
それが出来ないなら有観客ではなく、全てのペンが同じ条件で報告が聞けるようにオンラインのみにすれば良かったと。先行きが見えない状況だから待てなかったのか、待てない状況があったのか。
このコロナ禍の状況で発表するなら、何を一番に優先すべきか、それは報告を受けるファンの気持ちだと思うけど…
韓国ペンに直接伝えることが出来たらそれで良かったのかな?
そんな気持ちさえ生まれてしまった。
どのカメラで撮られているか分からなかったと言うけれど、どのカメラであってもしっかりと視線を向けて語りかけてくれたら良かったのに。
結婚の報告はリダの口から聞いたし、報告することに対してどれだけ悩んでどれだけ辛かったかも聞いた。
でも結婚するに至った気持ちは何も聞けなかった。
相手は一般の方であり、あくまでもプライベートな事だから、言う必要がないと思ったのかな。
それとも、報告を受けた韓国ペンの様子を見て、複雑な言葉は必要ないと感じたのかな。
でも、それは韓国語を話し韓国語を母国語としている韓国ペンとの関係だから通じるものであって、大多数の海外ペンはニュアンスで受け止め、後に出るニュース記事で知る事になる現実をどう思ったのかな。
オンラインに翻訳はつかず、アーカイブも残らず、リダの人生における大きな決断に関して、リダの言葉は分からずじまい。コンサートで話した全ての言葉の翻訳を目にしたけれど、誰もがその記事に辿り着けるはずもなく。
やはり、リダの言葉を全て理解出来なかった事に一番のモヤモヤがあるようだ。
こうして文字にすると自分の気持ちが見えてくる。
ペンは平等…ではないよね。
日本のファンは特別だと言ってくれるけど、何をもって特別なのか、今になっては分からなくなってる。現実的な事を言えばビジネスとして欠かせない場所…こんな発想を文字にする自分に驚く。
結婚を受け入れているし、祝福もしてる。
幸せになってほしいとこ心から願ってる。
将来、子どもを授かり仲睦まじく暮らして欲しいと思ってる。
でも、どうしても感じてしまってその感覚が消えないんだよね。
「疎外感」
モヤモヤの素はこれだと思う。
このモヤモヤがいつか解消されて、リダにこれまでのように向き合える日が来るかな。
こればかりは神のみぞ知る。
あと、ひとつ。
これは結婚すると言う気持ちになったリダだから変化したのかどうか分からないけど、これからリダが奏でようとする音楽の方向性。
プリズムで披露された楽曲の感じがメインになるなら、オフラインコンサートであっても、これまでのように楽しめないかもしれない。
だから敢えて今は言わない。
「これまでと変わらず同じように応援するよ」
「私はHENECIAだから、家族だから、何も変わらないよ」
そう言える日が訪れたら、ひょっこり休眠から起きて顔を出そうと思う。
결혼 축하해요.
오래오래 행복하세요.