年が明けたら行く、逃げる、去る、なんて言いますけれど、
今年の4月はあっという間だったなぁ。
お母さんの底力向上と家族の自立をサポート。
がんばらなくても上手くいく、「チーム家族の作り方」をお伝えします。
大阪上本町のライフバランスオーガナイザー、さえたんです。
4月の15日。
東京に住んでいた兄が急逝しました。
金曜日のお昼、珍しく義姉から電話があり、突然の訃報を知らされました。
信じられないと思いながらもとりあえず両親に連絡し、母と二人、東京へ向かいました。
自宅でオンライン会議の途中に倒れ、気づいてくださった同僚の方がすぐに連絡をとったりしてくださったそうですが、救急が到着した時には心肺停止だったそうです。脳内出血でした。
解剖された法医学の先生がおっしゃるには、出血量が多く、例え本当にすぐ搬送したとしても、蘇生は難しい状態だったとのことでした。
きっと兄は自分の命が尽きたことに、気づいてないんじゃないかな、なんて思います。
それが分かったのも翌日の土曜日のこと。やっと対面できたのはその後でした。
10年以上前から東京にいたので、最後に会ったのは2年前のお正月に大阪に来てくれたとき、
子どもたちと一緒に会ったとき。
すでに納棺された姿での対面でしたが、母も私もやっと悲しむことが出来た時間だったと思います。
そして火葬が出来るのがまさかの木曜日が最短ということで、1週間兄のいない兄の家に泊まり、葬儀を待つ事に。
その間ただ悲しんでいるだけ、ではなく、大量の遺品整理に向き合うことになりました。
兄は昔から凝り性なので、物量がかなり多く、しかも義姉と甥っ子には必要ないのないものばかり。
私の10年のオーガナイザーの知識と経験を総動員して、朝から晩まで母と片づけました。
現実として、甥っ子は4年生になったばかり。義姉は私よりも年下で、働いてはいますが兄が事務所としても使っていた3LDKのマンションを維持していくのは難しく、すぐにでもダウンサイジングが必要なのです。
詳細は控えますが、本当に兄を叩き起こしてやりたいくらい大変。
私と母は東京に親戚がいるわけでもない、残された2人の為に出来ることに意識が集中していました。
救いだったのは、義姉がとても現実的で、遺品整理の判断がとてもあっさりしていたこと。
私達がいた1週間弱で、かなり整理できました。
いやあ、動いた😅
義姉が毎日作ってくれたヘルシーなお食事のおかげもあって、2人ともちょっとスマートになって帰って来ましたもの。
葬儀は参列出来るのが私達だけだったので、本当に小さな小さなお別れとなりました。
こんなにもあっけないのか、とも思っています。
とはいえ、私が一番泣いてたけど。
母と義姉と甥っ子の姿を見るのがつらくて。
急なことで、あれこれ放り出していたのですが、仕事の仲間には本当に助けてもらい、全てお任せさせてもらいました。
田中家はいつも以上のチームワークを発揮してくれ、毎朝6時にボンから今日のお弁当の写真が届きました。彼は最後のお別れも出来なかった父を労わりに、週末実家に泊まってくれました。
どちらも最高のチームです。
本当にありがとう。
帰阪する日、パパが手作り😳のスイートポテトを作って待っていてくれました。
家に帰り、家族がワイワイと話すその音と景色にものすごく落ち着きました。
当たり前の毎日は、奇跡の連続なんだと改めて思います。
それからあっという間に1週間が経ってしまい、また日常に埋もれていますが、この悲しい経験から、自分の暮らしも本当に見直す必要があることにも気付きましたし、ますます生きること、暮らすことを考えています。
またそんなことも記していこうと思います。
もし、会いたいけど会えてない人がいるなら、いつかではなく、会う約束をしてね。
実例と根拠を合わせて学べる、きえちゃんとのコラボ講座!録画をご覧いただけます。
自分にフォーカスする My Life Organize
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