毎日毎日、とにかくやることが湧いて出てくる。
それは大人なら誰しも同じことだと思う。
僕の場合は、何が嫌って、自分のことではなく、親のことでの雑務が次から次から湧いて出てくる。
母親は脳梗塞になって、右手の少しを動かせるだけで、倒れてから病院施設に入所して、もう2年以上になる。
父親は認知症で、これまた施設に入ってお世話になっている。認知症に認定されたのは今年に入ってからだ。
二人の書類は、あり得ないほどよく届く。
両親がそのような状態だから、全ての手続きを行わなければならない。
本当にうんざりするほどの書類の山。
支払い。支払い。税金。税金。
岸田になって増える増える。
税金がグイグイ上がるのは、自分毎よりも親で実感することが多い。
「払うものは減らして、取れるだけ取るぜ!」の岸田様は、本当に実感が出来た。
毎月の介護料が上がるものだから、とうとう身銭を切っている。
本当に、自民党に殺されるを実感する。
キャパオーバーした分は、若い世代が身銭を切らないと駄目なのに、更に税金がのしかかる。
だからこそ、イライラする時間は増える。
そうなると、自分にとって至福の時間を増やすしかない。
では、そんな贅沢な時間とは一体何か?
最近は自分の好きな時間をタスクシュートという手法を使って管理しているが、色々自分の好きな時間を細切れに記録していく中で、最も贅沢な時間は、瞑想だということに気づいた。
そもそも瞑想をやるきっかけは、脳の海馬の容量が、瞑想によって増えるという本を読んだからだ。
1日45分以上瞑想をするのが推奨されているが、そこまでまとまって取るのは難しいので、細切れで確保している。
この瞑想の時間が、本当に贅沢だと感じる。
今、この瞬間に集中して、ほかを切り捨てるという行為が、ここまで贅沢だと知るには、やはり年齢を重ねる必要があったのかもしれない。
毎日の時間に些細な贅沢を見つけると、その一日は充実したものに変わるものだ。