「突然ですが、面接の時間となりました」の巻 | ユッキのブログ 社会がわたしに不適合!だからムダさえない日常

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メガネ茶髪ジーニストの陽気な陰キャ、ユッキです。
常々なんで?と思うこと、体験談など楽しくおかしく書いております。
ごゆっくりどうぞ☕︎

皆さま、こんにちはコアラ






今日は長くなるよぉ‼️







もう数ヶ月前の話。
応募したアルバイトの面接に
行ってまいりました。






そこの採用御担当者の方とお話して、
御質問をいただき、
自分が答えていくのですが。






仕事内容の具体的な御説明はなし。
就労時間、週の出勤日数、休憩時間、
福利厚生についてのお話も一切ない。
なんなら、応募者の質問時間さえなかった。

あ、これ消化試合なんだな、
もう誰か決まっていて噛ませ犬か?
と察したおねーちゅまん。






ショートコント「面接」を披露いたします。




履歴書って、書くのは楽しいけれど、
それが何?みたいな記入欄ばかりだよね。
採用担当者の皆さまは、
この情報から何を見て、
どうやって人を選んで決めているのか
教えてほしいくらい。






応募した業種がご本の関係だったから
私は趣味欄に
「読書(アドラー心理学など)」
と記入したのね。

そしたら、1ヶ月何冊くらい読みますか?
と聞かれて、冊数を答えたら、
趣味が読書の割には少ないですね、
みたいなことをおっしゃったんですね。






え、冊数?







最近読まれたご本で印象に残ったものは?
とか
アドラー心理学のどういう部分に
ご興味をお持ちですか?
とか
そういう御質問がくるかもしれないと
思っていたから
吉本新喜劇ばりに
ズッコケそうになったのは
言うまでもない。







読書って、
本をたくさん読む人しか
言っちゃいけない趣味なのかぇ?
○○が好きなら××すべきの価値観、
ここで持っちゃっているんですか?
大丈夫ですか?(←失礼ww)
と聞き返せばよかったかな。






その時は
「そうですか」としか言えなかったけれど。











多分、この御担当者の方の
身近な人達のなかにはいないような
経歴を持っていたのだろうね。
そっち方面の御質問はとにかく多かった。




どうして高校をおやめにやったのですか?
とか




ここに住もうと思った決め手は何ですか?
とか




まぁ、そうだろうね。
あんまりいないかもしれない。





高校を1日でやめちゃうとか、
○にたくて○にたくて、
でも何もできない不甲斐ない自分を
毎日、目標もなく生きる感覚とか、
医者に診せたわけじゃないから
断言できないものの、
鬱のような症状が時々出てきたとか。

イベントのお仕事をしていたと思えば
倉庫作業して、行政機関で事務もやって、
東京の西の田舎から
突然、神奈川は海のほうにやって来た。
それも仕事の都合なんかじゃなく、
単にここが良かったから、なんて。






そして先方が驚かれたのは、
そんなふうに明るくハキハキ話されるから
精神的に病んでいた時期があったとは
思えない、と。






うーん、20年以上経っているしなぁ。







最近、思い出したことでいえば
自傷も小学生からしていたもんなぁ。





時は常に流れている。






ニンゲンは働いたり、
他の人と関わって
貢献とやらをしなきゃいけないらしく、
(私は自分が何かに貢献したかどうか、は
後世の人々にしか言われたくないなぁ)

最初は工場を半日で飛んで、
次は居酒屋のホールを3日で辞め、
ちょっとずつ、アレコレ試しながら
続けられる日数が増えていって
やっと出会えたのが月に4日間だけの
仕分けのアルバイトだった。

この現場は作業中にBGMを流してくれて、
それがSMAPの色々なCDアルバムだったから
いつも気分良く働くことができた。
友だちもできたし、既婚者のお姉さんや
親くらいのお年頃の女性にも
自分の子のように可愛がっていただけた。





毎月、行くのが楽しみだった。





その後も、
クリニックの受付は3ヶ月で辞めて、
広告代理店のお仕事が決まるまでは
無職なのに児童館でボランティア社会参加。
ちょうど「ニート」って言葉が出てきた頃で
自分がニートに当てはまるのかどうか
定義が曖昧な頃。

それこそ、行政のおばさん達に
「仕事は決まったの?
仕事があって自分の生活ができる
それが大前提で
ボランティアをするものなのよ」
と言われては
自分は働いていないからダメだ、
他のボランティアの子達は大学に行って
バイトまでしているのに、
私はそれができないからダメなんだ、
でもこうしかできない、と苦しんだ。
やってはいけないことだと言い聞かせて
自分を責めるために気にする日々だった。




私の場合は逆だったんだよね。





社会に出ていくために、
ボランティアでも無給でも
とにかく何かに参加して、
自信をつけたかった。
むしろお金が発生しないほうが
責任もプレッシャーも感じずに取り組めたし
そうして社会に出ていきたいと思ったのだ。

おばさん達も
意地悪で言っていたわけじゃないからね。
心配してのはずが、受け取る側の私には
ちょっと思いが強かっただけかもしれない。





私の場合は
自責癖で硬直していく自分、
内気でマイナス思考になってしまった自分を
荒療治で接客業に入れて、
そこで取り戻していったというか。

人と関わること、
人と何かを共有するおもしろさを
働きながら見つけていけただけで。
もともとは歌も踊りも大好きな
賑やかな子だったんだと思う。

そうこうしているうちに、
度胸とかいうものも
後ろからついてきてくれるようになったし、
人前で何かをするのも、笑われるのも
注目されていることには変わりないと
うすうす気づいていたみたい。




小学生の頃、母が入院して
私の自傷どころじゃなくなったおかげ?で
医者に診せる機会がなかったから
ここにいられているだけで。
たとえば、母と同じ病院に入って
あまりに毎日自傷をするからと
もしかしたら、両手にミトンをされて、
拘束具をつけられた私もいたかもしれない。





もちろんそれが悪いことだとは思わない。






周りの人の安全のため、
ひいては私の命を守るためではある
と思うから。
ただ、私はそれだったら…















↑バイトを半日で飛んだことくらいから
この辺りまでは面接ではお話ししていないことです。


面接をとおして
自分とは違う価値観を知れたこと。
自分ではそれが当たり前になっていたから、
それが当たり前じゃないと気付けたこと。
新しい風を感じていただけたこと。
その風は私の心にも触れて
新鮮な気持ちになれる。






ありがたいことですね。







相手もすごいし、自分もすごい。
自分も、相手も
たいしたことない部分はある。
それでいいんだってこと。
人にやさしくなれるなら。





そして何より、まさかの
面接という大事な時間を使って
本来なら自分で自分を掘り下げていく
内観が、
他者を介してできたことも
とてもラッキー♪






不採用と結果はわかっていながらも
思いがけず、
この出来事に感謝する自分がいました。







自分がこれまでしてきたことが
なんでなのか、
どうしてそうなったのか。
自分では理解しているつもりではいても、
もちろん
全てを理解しているわけではなくて。






自分じゃない誰かに
理屈というか、理論的に
御説明を申し上げる機会が到来して。







まず、どんな気持ちで
毎日を生きてきたのかから、
こういう気持ちになり、
こういうことをしてしまった、と。
でも、なんやかんやあって
社会に出て、
それなりにやってまいりました、と。






話していくうちに、
自分がとんでもないバカに思えてきたり、
あぁ、そう思っていたのか、と
また自分を知ることができる。







だから、他所の方との関わりも
必要なのかもしれない。
発見があり、シェアできる。






ときに失礼なことを言われたり、
不快に思ったとしても。
それは私も同じように
いつか誰かにしちゃっているから。
どうしてもなら、不快ですとお伝えするまで。






でも、本当に伝えなきゃいけないのは
誰かな。
何かな。



自分自身のそれを言われて疼いた部分に
どうしたの?
と聞いて、どうして疼くのか
一緒に原因を探してあげることが
いちばんの特効薬なんじゃないのかな。







明るい人が前向きとは限らない。
明るいと賑やかは違う。
明るく振る舞うのは、
真っ暗な影を少しでも隠すため
かもしれない。







私は、そうだもん!
といいたいところだけど
どうなんだろう?
うーん





幼稚園の記録や
先生からのおたより手帳によると
元は賑やかな子だったみたいだからなぁ。







やっぱり
周りの顔色を見ちゃっているかもなぁ。





それが嫌なんだけどね。





せめて私の世界では、
私が世界中心の女王でいたいのに。






大丈夫。
主人公は自分だよ。
自分自身に帰ってこなきゃいけないらしい。






私は女王よおとめ座







オーホッホッホ(笑)







何を言われても、
結局、自分は
自分のようにしか生きられないウインク
かーらーのー投稿