
このところ音楽に入れ込んでるのは、あらためてやり甲斐を感じてのことなのだが、まぁそれだけ意気込みというか、何事にも一生懸命になればなるほど、ひとはどうして柔らか頭でいられないものなのかとつくづく思い知らされることがある。
僕の場合、何事も感覚的に捉え、ひとや音楽に縁してその感覚の反応の加減を情熱や力に変えているように思う。感覚がよろしく反応している時はいいにしても、いざ変な反応をするとどうにも思い通りにいかない感覚に囚われがちになり、どうしていいのか判らなくなる時がある。
どうしていいのか判らないというのは少し違うかな....。
はっきり言って嫌になるというのが正直は気持。
前からよく書いているけど、これが僕のなかの自分勝手なところというヤツである。
もちろんこの感覚のままには行動はしないのだけれど、あれやこれや頭をこらすこと、その時には相手とのコミュニケーションをいかに上手く運べばいいのかと自分の中での闘いとなることが多い。
もうひとつ、然るべき相手とのコミュニケーションでは、より善く考える、理解したいと思う気持を大前提にしたいと思っているので、その言葉は否定はせずに聞くようにしている。
そういうことがあるせいか、それは決して貸しではなく、これもまた自分勝手に...、
どうにも、貸した分を返せ的な心持ちになると始末が悪い。
要は、僕は聞いた、だから彼方も聞くべきだ、みたいなことである。
まさに始末が悪い感情である。
これが入れ込んでいない状態だとスパっと切り替えることが出来るのだが、、
頑張るぞー!などと拳を上げてる状態だとなかなか上手く気持を切り替えられないことがある。
熱くてもかつ冷静に、あるべき事柄を成就させるためになんとかサラッと切り替えたいものだのだが...、
まったくもってスマートじゃなくそうはならないことが多い。
書いていて、たぶんこれは今年の課題にもなり得そうな感じだなと思い出してきた(^-^;)
話すと気が晴れるということがあるけど、、
面白いもので、ひとは書いていても気持が明確になることもある。
昨年から再び入れ込み始めた音楽、前にもいくつか予言的に、「これからが大変だ」と書いていたのだけれど、まさにこのことである。
僕自身の勝手な入れ込み具合を、みずからがどうより善くもっていくか。
そして情熱のままにかつ冷静にいながら、うまく切り替えて弛まず率先して進んでいくのかということ。
僕の創る暗い曲のように(¬¬)、うつ向いて始まり、やがて顔を上げた時には笑顔になってる的な感じが、こうして書いている時にも心を巡る。。
さ~て、どんな感じになるのか、兎にも角にもやるしかないなと思えたこと。
この記事を書いてよかったと思っている。
あんじょう頑張ろ~っと(^^)