左衛門記【 其の七・前1958~1993 】1975 | 風の音が心に響いて...

風の音が心に響いて...

日々心地よくありたいと願う気持を込めて..、
感じたままを書き綴ってみました

左衛門記【 其の初・前1958~1993 】1970 ・ 左衛門記【 其の二・前1958~1993 】1970
左衛門記【 其の参・後1994~2007 】1994 ・ 左衛門記【 其の四・前1958~1993 】1970
左衛門記【 其の五・前1958~1993 】1972 ・ 左衛門記【 其の六・前1958~1993 】1974

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音楽を聴き、バンドで演ること以外僕にはまったく趣味がなかった。
というかまったくそれ以外のことに興味が無かったといってもいい高校生の頃。
行ってた高校は男子校、だから女の子との接点もまったく...とにかく2年生までは中学で出会った音楽が僕の恋人だった気がする。

いまでもそうなのだが、僕は誰かに何かを教わるということが無くなんでもやってきたように思う。
ギターもまったくの独学というか、教則本なんてろくなものが無かったし、ギターの理論、音楽の理論などという知識はいまでも皆無に等しい。
よく教えてと言われたりしたこともあって、なにか教室でもしたらと言われたことがあるけど、実体験を話しみずからこなして積み上げていってこその感性、一緒に山を登るようなことは教えられても、弾き方や、覚えておいてください的なことは何も教えられないからとよく断っていた。
たぶんこの世でいちばんいい加減な先生にはなれたと思うけど、いつも心象的な話しや、感性をどう高めていくような話しばかりして、ギターのことと言えば、「楽しく弾きましょう!」くらいしか言えなかったのではと思う。実際僕のプレースタイルがそれなわけで、技術的なものは何もないと豪語出来るほどである。だから、ひたすらビートルズやスタンダードのロックンロールナンバーを演奏して唄っていた。

こまかくは覚えていないけど、なにかコンテスト的なライブにも定期的に出ていたように思う。
覚えていないのはあまり良い思い出が無く、演奏してはどっぷり落ち込んだ記憶だけが残っている。その記憶に、人前で演っている最中、いままさにライブをしている最中に「こんなんじゃダメやなぁ...」などと、 MCもろくに出来ない自分を恥じたり、到底プロになんてなれそうにないなぁなどと、そんなことを思いながらステージに立っていたことが今でも切ない記憶である。

極度に緊張して吐き気さえもようしていた記憶。
まさに、演れば演るほど自分の不甲斐なさ、言い換えれば才能の無さを実感していたように思う。
それでも何故かヤメようとは思わなかったことだけは、いまも演っていることに繋がる何かがそこにあった、見出していたのかも知れないけど、本当にひとにこうやって言えるものなんて何もなかったそのころだった。

ひたすら練習をしていたその頃、学校が夏休みなると、部室教室に入り浸って朝から晩までカップヌードルを食べながら、もちろんタバコも吸いたい放題で普通に練習しまくった。
そんな中で少しずつオリジナルを創り自分たちのスタイルが固まって行ったように思う。
いわゆるロックンロールバンド、とにかくノリの良い楽曲が多く、そしてビートルズさながら、甘ったるい歌詞のついたものが多かった。

その頃歌詞を書いていた僕は、誰かを初めて好きになった自分の気持そのままを歌詞にしていた。
男兄弟の長男として育った僕は、とにかく女性というものが苦手だった。
なにか別の生き物のような、そんな恐れにも似た感情を持っていたのかも知れないと思うほど、話すことも満足に出来ないヤツだったと思う。

そんな僕にも初めて彼女という人ができたのが、ちょうどこの頃だったように思う。
メンバーの幼馴染みで隣に住んでいた女の子に初めて告白して半年、はじめ友人からとフラれた感じだった彼女に逆告白された時には舞い上がったものだった。たしか17歳の冬だったと思う。

音楽、バンド以外のその頃のことはまた別の機会に書くとして、その頃から僕たちのバンドの取り巻きにも女の子が増えだしたし、活動もいろんな紹介を受けて広がっていったように思う。
そんな中で、ひとりの友人の女の子にある人を紹介してもらう話しが舞い込んだ。
とあるバンドのマネージャーをしているというひとで、なんで紹介してもらうことになったのかは記憶に無いが、とにかくなんでも今の活動が拡がる可能性があればとふたつ返事で飛びついた。

人生は実に不思議なもの、このひととの出会いが、また新たにこれからの僕の人生を今に導く大きな役割となっていくことになろうとは...。

そして、僕の人生にとって、音楽のこと人生のことすべてにおいて、最も信頼したひととなるアキラという人に出会うことに繋がる出会いでもあったのだ。

--------続く。