平成の大合併がここから始まります。高宮市は3回に分けて11町を編入しました。それが、2003年までの時点で、地図上で橙字で示されていた町です。

今回、3回の合併のうち、2回目の合併である2006年までをお送りしましょう。

さて、合併での住所表記ですが、まず、以前からの市域でも○○町××の形式を採用していたほどなので、合併後の区域もすべて○○町××の形式をとることになりました。

しかし、最初に合併した春若町と白富町からは、大字よりもなじみの深い行政区名を住所に使用してほしいという要望があり協議、結果として合併後は大字を引き継がず、町名設置という形で地名を細かく分けることとなった。これは、両町が、一部の地区で住居表示が実施されていた都合で、それ以外の住民でも細かい地名での表記を望んだからと言われている。特に、春若町は、久世地区を除き全域が「春若」だった時期が長いため、その要望が強かったとされる。

そして、2006年以後の合併においても、この形式が引き継がれることとなった。


2004年(平成16年)

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3月1日、高宮郡春若町・白富町を編入した。以下は合併時の変更である。

 

・春若町:全域が高宮市春若町となる。既に町名設置済みの地区は、元々の町名に春若町を冠する形でそのまま引き継がれた。

大字上春若・下春若は下記の町名に再編された。

松丘、岩田、角竹、荒木田、帰去来、水木、内折、南谷、鳥羽、大門、浦壁、三橋、台、佐敷、前浜、岡田、塩浦、城が崎
大字久世は「大字」のみを削除し、そのまま町名としての久世になった。

 

・白富町:まず、合併直前の1月に、住居表示により下記の町名が設置された。

まりなの丘、豊海が丘1丁目、エンジェルヒル

そして、3月に合併し、全域が高宮市白富町となる。既に町名設置済みの地区は、元々の町名に春若町を冠する形でそのまま引き継がれた。

大字は以下の町名に再編された。

富好:長瀬、迎、日置、松谷、佐伯、富好、柏原、田村

平:平、沖網、日向、遠田

白羽と平の各一部から豊海が丘2丁目が設置された。それを除く白羽は春若町久世同様、そのまま町名となった。

 

また、旧高宮市においても住居表示が実施され、以下の町名が設置された。

綱島1~4丁目(綱島町中心部が住居表示実施)

湊が丘1~2丁目(榊地区各町と福岡町大字福岡の一部をもって発足。住宅団地地区)

魁町やまとが丘1~2丁目(こちらも魁町の住宅団地で、大字田之浜・真宮の一部から発足した)

 

2005年(平成17年)

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春若町松ヶ丘学園1丁目が、高宮大学の用地に合わせて町域を拡大した。具体的には森の木町・越路3丁目・春若町久世の一部を編入した。同時に住居表示も実施した。

 

また、市街地ではウォーターフロント地区の再開発が行われた。海の森という開発名称で行われ、海の森公園・高宮うみのもり美術館・高宮市立病院改め高宮海の森医療センターなどの施設が生まれた。先に開発されていたたかみやポートプラザと合わせて、海の森町となった。

また、1999年の高宮自動車道全線開通に伴い、唐人町を二分する形で、高宮中央ICが開通していた。唐人町の西側の町名整理も行われた。唐人町の西側は海の森医療センターの大半と、清心女子大学のキャンパスの一部からなっていたため、清心側は住所上のキャンパス所在地にあたる小笠原蘭町に編入した。

この唐人町の医療センター部分と、医療センターの残り部分、公園、美術館、他ホテル1棟からなっていた小笠原浜町の全域、そしてポートプラザがある咲島町の国道より西の部分が合併して海の森町となった。

 

2006年(平成18年)

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7町を編入し、一気に拡大した。ただし、南部5町すべて合わせても丸和町より狭いため、実は、意外と増えた市域は大きいわけではないという。

 

・羽二重町:高宮市羽二重町に。元々大字はなかったが、細かい町名を新設した。以下の通り。

浦島、堀、浜田、本町、小野、丹波、えりか台、海老山、栗田

 

・登扇宜町:高宮市登扇宜町に。以下の通り。

東島:東町、込山

西島:西町、明時

 

・床島町:高宮市床島町に。床島本島は大字がなかったが、羽二重町同様町名設置を行った。以下の通り。

本町、光町、百貫

大字船島は「大字」のみを削除し、そのまま町名としての船島に。

 

・秋葉町:高宮市秋葉町に。観海が丘・椿台はそのまま。ただし観海が丘は萱場の一部を編入した。

大字については、為永・布目の各一部が新上となり、布目・為永のそれ以外と藤田は全域が1町となった。他2大字は以下の通り。

萱場:萱場、竹路

川原:川原、長崎、徳井、池木場

 

・南町:高宮市南町に。

まず、宮ヶ浜・名母里の各一部が入口となった。名母里の残り、鰻はそのまま1町となった。

宮ヶ浜の残りと美咲は以下の通り。

宮ヶ浜:北浜・碇・野々花・山藤・宮ヶ浜・古里・越

岬:岬、井上、山下、御子柴

 

・黒神町:高宮市黒神町に。石島はそのまま1町となった。他3大字は以下の通り。

黒瀬:長岡・下黒瀬・上黒瀬・河上

室津:室津浜・室津里・高原・上牧・青首

神森江:大山・夏川・神森江・中尾・扇・説示・福田

 

・丸和町:高宮市丸和町に。

琴根乙・徳和瀬・片岡の山間部が赤岡として独立した。これら大字の残りを含め、このほかの分割は以下の通り。

梵天丸:梵天丸、東、中川、松坂、九十九、桂、鉄数、ニュータウン

村正:村正、石浦、風間

琴根甲:上琴根、中琴根、鴻池、楠、奈良

琴根乙:下琴根、井戸浦

徳和瀬:徳和瀬、手倉

片岡:片岡、醍醐、阿江、朝日台

乙形:浦江、播磨、忽那、乙形

香藤木浦はそのまま1町となったが、「浦」を削除し香藤木(コウジキ)に改称した。

 

最後に、旧市域の住居表示について。

まず、蓼木町に町名設置が行われた。蓼木一本松町・蓼木本町・蓼木葛篭町に分かれたが、住居表示を実施したのは一本松町のみである。また、一部のみ残されていた妙円坂町を本町・葛篭町に編入した。

このほか、

恋の坂4丁目・恋の坂弥生が丘・白拍子八百兼町が住居表示を追加した。

また、恋の坂4・八百兼町を跨ぐ形で白拍子ヒルズを新設した。

 

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合併後の町名については、「大字よりも生活実態に即した行政区名を」という私の理想をねじ込んでます。まあ、高宮の大字は、全国標準的な大字の規模に合わせて作っているので、実際の長崎の郷より範囲が広いですしね。

春若町は、現実で言うといまだ単独町制を貫いてる長与町にあたる場所なのに、高宮市としてはいち早く合併してます。逆に白富町は現実だととっくの昔に長崎市になっているはずの三重村にあたります。

春若町は現実にはない大学の本学キャンパスを置いてるわけで、早期に合併が決まった理由として、大学(春若)と魚市場(白富)があるため、という理由付けがなされてたりします。まあ、現実の三重も新長崎漁港がありますからね。

2006年の7町合併は、現実の長崎市の合併とほぼ同じです。2005年と2006年に分けたか、一気にやったかぐらいの違いです。

この辺はそんなに言うこともないんじゃないかな。

 

あとは、合併以外の町名設置についてですか。

まず、2004年の住居表示、湊が丘とやまとが丘については現実の長崎市で同年に住居表示が実施されたみなと坂と高城台です。長崎市の場合、同じ年に豊洋台も住居表示を実施しましたが、これは白富町の豊海が丘ですね。こちらも高宮市としても、2004年に住居表示実施しています。ちなみに、2丁目の住居表示が見送られてるのも何気に現実の長崎市に合わせてあります(町名だけ先に作られた)。

で、綱島ですね。何気にやらかしちゃってます。単一町名である綱島町に住居表示を実施したんでそのまま綱島にしちゃったんですけど、単一町名なのは大字がなかったからなだけであって、他の郊外地区に合わせるのであれば、魁町や隣の福岡町に合わせて綱島町××n丁目にすべきだったんです。けど、当局も、元々単一町名だった綱島町の「後ろに付け足す」形はそれはそれで微妙と判断したんでしょうか、そうしちゃったようです。

 

2005年は住居表示お休みの年と考えていいぐらい少ないです。特殊な立場である松が丘学園・海の森だけ行われました。

高宮市は、ほとんどの地形や町並み、建物や人口といったものを長崎市と同一にしてますが、ハルうたの舞台という都合上、春若だけはちょっと手を加えていて、シーボルト大を中心とする地域を高宮大学の本学キャンパスにしちゃったんです。そして、本学にあるまじき狭さという、長大・文教キャンパスに相当する高宮大・旧伊右衛門キャンパスから移転すべく(ちなみに、現実の長大にも移転計画があったがポシャった)、宮川と春若の間の丘陵地帯をめちゃくちゃ再開発したわけである。で、まあ、地方大学としてそれなりの用地を確保して、今の松が丘キャンパスになったわけだ。そのキャンパスは旧高宮市にまたがっていたため、大学本部周辺のみを松が丘学園1丁目として町名設置し、合併後にキャンパス全体に住居表示を実施したというわけ。

松が丘学園の町名設置時点で高宮市への合併計画はまだなかったため、別に将来の町域拡大を見越して住居表示を保留にしていたわけではないが(単に大学施設しかなかったため)、たまたまそういう風にうまくいったという話である。

海の森は、長崎に詳しい方ならぴんと来ているかもしれないが、現実の長崎市で言うところの水辺の森である。海の森町としては、みなとメディカルセンターとか出島ワーフに相当する区域も含めて全部一つの町にした。小笠原浜町は長崎市で言うところの常盤町に相当するが、市民に常盤町と言ってもほとんど通じないほどになってきているので、これは私の遊び心として町名そのものを変えてしまった。

あと、高宮中央ICってのは出島道路のことね。あれで新地町がぶった切られてるのが気になるので、再編したというわけですね。

 

06年の住居表示は、愛宕4丁目とか八つ尾町の話ですね。現実でもこの頃に住居表示が実施されてました。ただ、セラーリオコート(元々2町にまたがっていた)が八つ尾町にしか面してないのに愛宕4丁目なのが納得いかなかったので、独立させちゃいました。これが白拍子ヒルズですね。田手原町も六本松だけは住居表示できそうなので、一本松町としてしちゃいました。残りも町名変更は行ってます。

以後、こういう感じで、住居表示ができそうにない町も、なるべく細かい町名に分けて以降、という作業に入っていきます。

合併はあと2町残っていますが、これからも町名設置はめちゃくちゃ続きます。

地図がピンクに染まってきました。これからもっとピンクに染めて、さらに黄色くしていきます。お楽しみに。

次は、最後の合併が行われた2010年まで。