というわけで、平成に入り、第二次住居表示となり、ここからは急速に住居表示が進んでいきます。平成の大合併までの15年間を、3分割で5年ずつお送りします。


1989年(平成元年)

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葉桜町・岩武町・熊若1~3丁目で住居表示実施。熊若は町名変更はなく住居表示が追加された。

また、ごくわずかに残された名知町も整理され、葉桜町の一部を編入したうえで一部が名知葵町となった。

ほか、葉桜町は町名が以下の通り分割された。

名知葵町、葉桜1~2丁目、葉桜リーフヒル

 

1990年(平成2年)

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新珠・宮川で住居表示が行われ、以下の新しい町名が生まれた。

宮川北牧町、宮川地蔵迫町、宮川新町、新珠藤が瀬町、新珠正山町、新珠水町、新珠乳井町(水町・乳井町は住居表示未実施)。

木本神篭石町・新珠小井戸町・新珠高橋町・宮川小泉町・宮川赤波江町、宮川2丁目も住居表示実施地区が追加された。

 

越路町で住居表示が実施され、越路1~3丁目に分かれた。3丁目は未実施。

 

郊外の魁地区でも住宅団地・さきがけおれんじが丘に住居表示が実施された。

魁町おれんじが丘1~4丁目

 

1991年(平成3年)

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美之和町に住居表示が実施され、美の和1~3丁目になった。一部美之和町も残された。

また、猪鹿倉町周辺の一部で住居表示が実施された。

シャインヒル1~4丁目、猪鹿倉新町(猪鹿倉町・美之和町)

 

昭和町昭和台で住居表示が実施された。また、新たに大字平谷にある平谷団地でも住居表示が実施された。昭和台に対して、また平成改元を記念して町名は平成台と名付けられた。
昭和町昭和台1~2丁目
昭和町平成台1~2丁目
 

1992年(平成4年)

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高岡町から西岡町にかけ住居表示が実施された。

山王坂上町は既住居表示実施区域も含め南部が山王鳥居町、北部が山王坂上町とされた。

このほか、新たに以下の町名が生じた。(浜坂町は消滅)

山王平和台、浜坂1~2丁目、ひまわり台町

 

ほか、下記の町名は変更なく住居表示のみ行われた。

山王蝦根町・山王天本町・高岡町・銭馬東町・銭馬西町・西岡町

 

1993年(平成5年)

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中心部で以前住居表示が取りやめになった玉調地区で住居表示が実施された。

玉調1~3丁目、津町

結局、代官坂町の住居表示実施への合意が得られなかったため、「玉調」のつく町のうち、東中玉調町の南半分が住居表示未実施のまま残された。

津町はほとんどそのままの町域で住居表示を実施した。この住居表示に伴い下玉調町・西中玉調町・西上玉調町・東上玉調町・西新上玉調町・東新上玉調町、それにごく一部の町域のみ残されていた本神戸町・浜神戸町が消滅した。


新森崎町の大部分が森崎町として住居表示実施。

岩立町も住居表示実施。下記の町に分かれた。
岩立1~4丁目、岩立光盈町

 

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どんどん黄色の部分が増えてきたでしょ。

今回、市街地の一部で住居表示実施しましたが、それでも未実施地区が多いです。高宮市は長崎市よりも旧町名を残す機運が高かったという設定です。

その反面、住宅団地はおれんじが丘とかシャインヒルとかそう言う名前が多いんですが、まあ、わかりやすい町名とは、市民に知られている団地名なら遠慮なく使っていいのではないか?という私の思想が込められています。まあ、住居表示にあたり、元の地名でも団地名でもない新しい名前をつけるのは好きではないんですが、平成台の場合は元の平谷集落の上の方に「平谷団地」として造成されたため、むしろ平谷として扱わない方がいいと言う判断でそうしてます。場合によって臨機応変に対応しましょうという話ですね。

大合併までの住居表示ラッシュはあと10年続きます。