ということで、今回は主に町名設置回です。

 

1923年(大正12年)

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大字地域に町名が設置される。ただし、全体に町名設置がされたわけでなく、市街化が進んだ地域のみの設置となった。廃止となった大字はない。
南:綾織町、恋之坂町、剣町、茶屋町、佐仁町、小島町、稲荷町、善徳町
東:夫婦木町、桜葉町、治渕町、妙円坂町、五十嵐町、新丸町、矢羽根町
北:松宮町、左近町、北山町、蛍町、片柳町、宮副町
西:岩立町、西岡町
銭馬:船坂町、銭馬東町、銭馬西町、縁町、親善1~7番町
山王:山王川里町、山王鮫森町、山王坂上町、山王岩田町、山王浜野町、山王宿町
上山王:山王松田町、山王岡宮町、山王橋本町
鴻坂:鴻坂新町
竹若:竹若町、紅葉町
稲葉:稲葉北町、稲葉中町、稲葉南町、稲葉浦町、稲葉新町、稲葉平子町、鳳町
秋月:水谷町、秋月横瀬町、秋月本町、秋月中町、秋月上町、秋月南町
神立:岩瀬町、神立町
小笠原:小笠原下町、小笠原東町、小笠原上蘭町、小笠原号砲町、小笠原秀坂町、小笠原川瀬町、小笠原東雲町、小笠原田町、小笠原相坂町、金比羅東町、金比羅西町
下戸山:戸山東町、戸山西町、国見町、菅原町
 

1928年(昭和3年)

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埋め立てがさらに進められたため、羽衣6番町、波止3番町が設置された。

また、玉木村と深水村が合併し、昭和村となった。5つの大字はそのまま引き継がれた。

 

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とゆーわけでですね、実際に1923年に長崎市で行われた町名設置は(長崎市の場合は1913年も行われましたが)、その当時あった郷をすべて町に変えた、というものだ。全国的に見て、あまり多数派ではないらしい。他の九州の古くからある都市を見ていると、福岡市なども含め、大字地区のうち、必要に応じて栄えている所だけ町名設置をすることが一般的らしい。なので、とりあえずここはそれを再現しようとした。

…でも、それを地図で表すのは、全体を町に変えるよりもしんどかったw。

もうしばらくはこの状態で町と大字を併存させていこうと思う。

なお、今回、町名設置区域を選定するにあたり、長崎上海番地入地図を参考にした。同書に収録されている、建物が比較的多く集まった区域について町名設置を施行した。

 

現実の長崎市に対応する町名は今回割愛する。説明が長くなってもあれなので。いくつか注釈をつけときたい町だけ解説する。

補足しておくと、長崎市では結構丁目を使っているが、本案ではそれは使わず、独立した名前を与える方針とする。

たとえば、現実の長崎市片淵町1~3丁目はそれぞれ1丁目から順に高宮市宮副町・片柳町・蛍町とした。

 

五十嵐町:現実で言うところの伊良林1丁目のみ。2丁目はそもそも今回町名設置が行われていない設定。
北山町:現実の西山2丁目にあたり、1・3・4丁目は今回町名設置の対象外に。

親善1~7番町:長崎市で言うと、現在で言う宝町や幸町にあたる埋立地にあった8町。ただし、本案では宝町・井樋の口町に相当する地区を2番町としてひとまとめにしたため、7町とした。ちなみに、親善とは新銭馬を略したうえで当て字で瑞祥化したものである。
山王地区:私のこだわりで山王○○町とした。さて、くだんの地図を見て衝撃をうけたことに、なんと浜口町が書いていないのだ。そこに相当する地域にほぼ人家がないのもそうだが、岩川町と坂本町が隣接するように書かれていて、あたかも浜口町がなかったかのように描かれている。しかし、それから時が経ち戦時中には立派な町が出来上がっている様子なので、今回、そこについては見なかったことにして、浜口町に相当する「山王浜野町」を設置した。
鴻坂新町:城山市営住宅に相当する地区。今回の町名設置区域の中では唯一の飛地になる。ちなみに、現実の長崎市では特に独立した町名は与えられておらず、周囲を含めた城山1丁目の一部だったとのこと。
紅葉町:現実の長崎市では竹の久保地区は竹の久保町1町になったが、本案では現在の渕町に相当する区域を紅葉町として独立させた。名前は渕町の紅葉谷に由来。

稲葉浦町・稲葉新町:旧旭町に相当。当時の長崎市旭町は特殊な町で、1~3丁目が埋立地に新設された町となっていて、4丁目は旧船津郷からの町名設置ということになっている。今回、埋め立て地を稲葉新町(丁目は無視しまとめる)、船津郷を稲葉浦町に変更する。

鳳町:ここは平戸小屋・水の浦地先の旧大鳥町・丸尾町・外浪町に相当(現在は丸尾町1町)。高宮市としては1町にまとめさせてもらう。

神立町:長崎市においては東立神町・西立神町に分かれているが、高宮市においては1町にまとめる。(ちなみに、現実の長崎市においても自治会は立神町として1つにまとめられている)
小笠原地区:ここも小笠原○○町とした。こちらについては現実の長崎市においても大浦○○町となっていた。

 

1928年の町名設置は現実の羽衣3丁目と元船5丁目の新設をそのまま反映した。

玉木村と深水村の合併、こちら現実の長崎で言うところの土井首と深堀だが、ここを合併させたというのは完全に私のオリジナルだ。当時は以下ほどかはわからないが、現代では境界がどこにあるかわからないぐらいどうかしているし、まず規模が小さい(特に深堀)ので、高宮においては昭和戒厳から間もない頃に合併させてしまうことにした。昭和村という安直な命名についてはご勘弁。

 

ということで、次は、第2次市域拡大か、第2次町名設置か。さあどっちにしよう。