長崎県にはもともと8市70町1村があったが、平成の大合併を経て13市8町に減った。

元々あった8市は、6市が市名を変えずに合併し(新設か編入かは問わない。というか覚えてない)、1市が名前を変え合併し、1市は合併しなかった。

70町は58町が合併して市の一部となり、5町が合併して新たに町となり、7町がそのまま残った。唯一の村は市の一部になった。

 

合併があると、当然ながら市郡以下の住所表記が変わる。

具体的には今回の合併で住所表記が変わったのは、平成の大合併前の8市70町1村のうち、合併で自治体名が変わった1市63町1村ということになる。

さらに言えば、市町村名以下の住所表記がどうなったか、というところであるが、全国的にざっくり以下のパターンに分かれると思う。

 

①変更なし(または、同名の町字があった場合などに適宜変更する程度)

②〇〇町××などの形で、旧自治体名を頭につける。

③元の字名の後ろに「町」をつけるなど、全域で細かな変化が加えられる。

④その他

 

今回、合併した(表記が変わっていない6市を除く)市町村のうち、合併前の住所表記が自治体名+番地だった香焼町、高島町、大島町を除いた62市町村は、以下のように分類される。大体合併後の自治体の意向に影響されるので、それごとにまとめる。

 

①変更なし(または、同名の町字があった場合などに適宜変更する程度)

福江市(五島市)、有川町・新魚目町・上五島町・奈良尾町・若松町(新上五島町)

②〇〇町××などの形で、旧自治体名を頭につける。

小佐々町・吉井町・世知原町・宇久町・江迎町・鹿町町(佐世保市)、有明町(島原市)、飯盛町・森山町・高来町・小長井町・多良見町(諫早市)、田平町・生月町・大島村(平戸市)、富江町・玉之浦町・三井楽町・岐宿町・奈留町(五島市)、鷹島町・福島町(松浦市)、厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町(対馬市)、郷ノ浦町・石田町・芦辺町・勝本町(壱岐市)、大瀬戸町・崎戸町・西海町・西彼町(西海市)、国見町・瑞穂町・吾妻町・愛野町・千々石町・小浜町・南串山町(雲仙市)・加津佐町・口之津町・南有馬町・北有馬町・西有家町・有家町・布津町・深江町(南島原市)

③元の字名の後ろに「町」をつけるなど、全域で細かな変化が加えられる。

三和町・野母崎町・外海町・琴海町(長崎市)

④その他

伊王島町(長崎市)

 

長崎の場合はほとんどが②の方式をとった。住所表記の変更は最小限であり、合併で入った地区が明確に地図に刻まれることとなった。

ただし、長崎市は逆に元々の市域と同じく、合併前の字名をもってそれぞれ単一の町とし、地図上は昭和の大合併までに入った地区と同化した。なお、前述の香焼町と高島町もそれぞれが長崎市内の単一の町として残っている。伊王島町には2つの大字があったが、旧町全域を伊王島町とし、旧大字を丁目にして残すという珍しい方式をとった。

福江市はそのまま五島市の旧市域という感じの扱いになっている(住所表記上は。合併形式はあくまで新設だが…)。た福江の名前は旧福江地区のごくごく一部に過ぎない福江町にのこるのみとなった。

唯一町としての合併だった新上五島町は、〇〇町××郷の形式にできない都合で、旧自治体名を残すことを断念した。有川・奈良尾・若松はそれぞれ中心部の郷の名前として残っているが、この合併をもって地図上から(新)魚目の名前が消えた。残念なことである。今にして思えば中心部の浦桑郷(ちなみに、こちらは浦集落と桑集落の合成であり、浦とは長崎県では漁村の中心集落によく使われる名前である)を魚目郷に改名して残しても良かったんじゃないかと感じる。

 

 

ここまで長い前振り。ここからが本題だ。平成の大合併を経て長崎県の各自治体の人口は減る一方だ。Wikipediaによれば、長崎県の市町を人口順に並べてみた。


長崎市     392,281 
佐世保市     232,761 
諫早市     131,540 
大村市     96,843 
島原市     41,404 
雲仙市     39,511 
南島原市     39,284 
長与町     39,255 
五島市     32,458 
時津町     29,130 
平戸市     27,476 
対馬市     26,469 
西海市     24,572 
壱岐市     23,195 
松浦市     19,992 
新上五島町     16,093 
波佐見町     13,885 
佐々町     13,820 
川棚町     12,771 
東彼杵町     7,383 
小値賀町     2,116

 

過半数の市が本来の市制の基準である5万人に満たない。正直なところ、田舎あるあるだ。

 

詳しい内訳を言うと、5万人以上の市が4つ、平成の大合併での市制基準だった3万人以上で5万人未満の市も4つ、3万人未満の市が5つで、しかも松浦市は2万人も切っていた。なんてこったい。
平成の大合併最盛期から20年近く。このスピードだと、今3万人未満の市は特にそう遠くない将来、さらに合併してるかもね。
壱岐対馬は離島なので行き場がなさすぎるのだが、陸続きの西海市と平戸市、松浦市は覚悟したほうがいいだろうね。
 
もっとやばいのは郡部だ。長与町と時津町は別として、それ以外の6町がワースト6を占めている。新上五島町は、合併の結果、これだ。当時は2.7万人ぐらいいて、小値賀町と合併したら市になれたのにネ、と言われていたのが、今や小値賀を編入しても2万人いかない。
その小値賀町と、東彼杵町もかなりの人口減だ。この辺も合併待ったなしだろう。
佐々、波佐見、川棚なんかも、将来は単独町制をたもてるのかな、と言う心配は正直ある。
 
実際、数十年後の予想人口というのは発表されているというわけで、今からおよそ30年後、2050年の長崎県はどうなっているかというところまで調べた。以下の通りだ。
 
長崎市    280,138
佐世保市    165,944
諫早市    93,988
大村市    85,005
長与町    27,295
島原市    27,091
雲仙市    23,609
時津町    21,524
南島原市    20,627
五島市    17,632
平戸市    14,473
対馬市    13,326
壱岐市    13,199
西海市    12,827
佐々町    11,017
松浦市    10,888
波佐見町    9,942
川棚町    8,232
新上五島町    7,024
東彼杵町    4,073
小値賀町    963
 
なるほど。これはもう、この30年のどっかのタイミングで「令和の大合併」が行われていておかしくない。
まあ、私の理想とする「令和の大合併」とは、郡制なのだが、まあ、そんな絵空事は今は忘れておこう。
実際には、平成の大合併でツッパって独立を続けたところとか、小規模合併で行かざるを得なかったところが再編されるんであろう。それは前述の郡制の意義の一つでもあるところだが、私の意見と最も違うところとしては、結局、全国の殆どが市になってしまうのであろうというところだろう。でも、まあ、現実を見るなら、そうせざるを得ないんだろうな、と思う。
 
ということで、今回、将来、長崎県の市町が、またその町字がどうなっていくか、妄想していこうと思う。
言っておくがこれは特に私の理想ではない。現実に起こりうるよねという懸念が半分、そしてただのネタというのがもう半分だ。特に苦情は受け付けませんが、早速いきましょう。
 
まず、長崎市だ。最近、宮崎市に人口を抜かれたとかで話題になったが、以後も、宮崎を抜き返すどころか、大きく水を空けられむしろ那覇や久留米が迫ってくるというありさまだ。そうやって、2023年以降守り抜いた九州第7位の都市の座が陥落寸前というのが、予測されている2050年の姿なのだと。
もし、令和に合併特措法ができたら、長崎市も必死かもしれない。となると、長与時津もほしいだろう。
いずれも、その頃には夢に見た単独市制の道も今よりも遠のき、さらに言えば工業地帯による税収がある程度期待できる時津ならいざ知らず、住宅しかない長与はかなり財政が行き詰っているだろう。ひょっとしたら、この時が長崎市への入り時なのかもしれない。この2町での市制が死んでも期待できない以上(この2町は非常に仲が悪い)、せめて揃って長崎市への編入ぐらいしかないんじゃなかろうか。
 
次は佐世保市でもしておくか。佐世保都市圏とみなされる佐々町・川棚町・波佐見町は長与町・時津町が長崎市になるような世の中なら、絶対に入ってくるだろう。そして、ついに人口1000人を割ることが予想される小値賀町も、あの頃の宇久町と同じように佐世保市に入るんだろう。合併先は上五島じゃないんだというツッコミは置いておく。実際、この2島は佐世保との結びつきが強いのだから(それを言うなら上五島そのものもそうだが)。
さらに言えば、佐世保の10%通勤圏にこそ入っていないながらもつながりは深く、人口が現代の空知地方ばりに減りまくっている西海市ももう佐世保になっちゃうんじゃないだろうか。
東彼杵郡は川棚・波佐見は佐世保になったが、東彼杵町はというと、それについては大村市なのだろう。
 
次は、最初に簡単な離島から。いくら人口が減ろうが、もう壱岐対馬は仕方ない。そのままでいくしかなかろう。五島については、もう1万人を切りまくる新上五島町を五島市にくっつけるしかない気がする。元々の五島支庁管内という関係もあるわけだし。
 
あと残っている中では、島原半島が分かりやすいだろう。令和の大合併の特措法ができたとしたら、今度こそ半島統一とか実現できるんじゃないだろうか。2050年には全部合わせて7万人まで減る場所なのだ。それぐらいはありそう。
 
最後に、平戸と松浦も合併待ったなしだろう。それでも人口3万人いかないぐらいなのだ。ここについては対等合併なので、さしづめ北松浦市とかになるんだろうな。
 
ということで、長崎県は9市に再編された。…もうここまできたら県もそのうち合併しているんじゃなかろうかと思うのは私だけなのかな。一応、それらの人口も示しておく。
 
長崎市      328,957
佐世保市      208,925
諫早市      93,988
大村市      89,078
島原市      71,327
平戸市      25,361
五島市      24,656
対馬市      13,326
壱岐市      13,199
 
ということで、個人的にはここからがほんとの本題なのだが、そうなったら、合併後の町名はどうなるだろうかというシミュレーションをしてみよう。
ただし、(これは私にとってはあまり面白くない話だが)今後30年にわたり、長崎県においては町名設置や住居表示が行われないと言う仮定のもとに、それが合併でどうなるかということを示す。
ということで、本案においてそもそも合併していない諫早市・壱岐市・対馬市は今回の話の対象外だ。(諫早市に粘り強く残る「名」2か所はいいかげん廃止したら、とは思うのだが)
 
ということで、長崎市、島原市、大村市、佐世保市、北松浦市、五島市について、合併後の町名を考える。
 
まずは手っ取り早いところで島原市から。
◎現・島原市
・旧島原市:平成の間に全域で町名設置が済み、全域で島原市××町(丁目)の状態。ただし、新建・浦の川は町も丁目もつかない。また、雲仙岳の国有林の地区は直接番地となっている。(とはいえ、唯一建物がある9002番地は、事実上、新山二丁目の一部として扱われている様子)
・有明町:有明町××となっている。
◎南島原市
・全域が○○町××。
◎雲仙市
・全域が○○町××。
ということで、既に旧島原市以外は全域○○町××のフォーマットが完成している。
ところで、島原半島の旧郡部は甲乙を使うところとちゃんとした地名を使うところ(表記の有無はともかく「名」を使う)が混在している。これについては、名が甲乙になることも、甲乙が名に変わることもないんじゃないかと思っている。ただ、あるとすれば吾妻町にのみ残る「名」が県内の他地域の流れに従い削除されるかもな、というところである。
ということで、島原半島3市の町字は吾妻町の「名」の削除のみとする。
 
次は北松浦市だ。唯一、合併により新しくできた市ということになる。
◎松浦市
・旧松浦市:長崎県で唯一、昭和の大合併以前の市で唯一、○○町××のフォーマットを用いる。字名にはかねてより用いられている「免」がつくため、実質的には市内全域が○○町××免の住所表記となる。ちなみに、志佐・御厨・星鹿・調川・今福の5町である。松浦市は志佐町・新御厨町・調川町・今福町の4町合併だが(厳密には今福町のみ1か月遅れ)、合併時に新御厨町のみ合併前の御厨町・星鹿町に分割された(ただし、これらは新御厨町になる前は村だった)。
・鷹島町・福島町:そんな松浦市に合併したため、当たり前のように○○町××免となり、旧市に溶け込んだ。
◎平戸市
・旧平戸市:大してこちらは昔からの市らしく、全域が××町となっている。ただ、五島市のようにそのまま全域を北松浦市××町にするのは正直個人的に嫌だ。平戸市には平戸がつく町名がないので、このままだと住所から「平戸」が消滅してしまう。五島市を例示したが、福江の轍を踏みたくはない(ま、前述の通り福江町はかろうじて残っているが)。かといって、旧平戸市全域を平戸××町にするつもりもない。北松浦市177町の1/3以上に当たる67町が平戸じゃ、逆にうっとうしい。ということで、今回、市制前、平戸町n番地だった9町(新町・職人町・魚の棚町・紺屋町・木引田町・築地町・宮の町・浦の町・崎方町)と平戸町大字平戸だった8町(明の川内町・岩の上町・大久保町・大野町・鏡川町・木引町・田助町・戸石川町)に限り、頭に「平戸」を頂くことにした。
・田平町・生月町:全域が○○町××。
・大島村:こちらは合併後も大島村××と、「村」を維持した。なんか、そこまでして守りたかったのかな、という感じがある。とはいえ、松浦市の各町を含め、他は合併前「町」だったことを考えると、現実的には平戸市じゃなくなっても「北松浦市大島村」として引き継がれるのかなあ…という感じだ。なんか納得いかないけど。
 
引き合いに出したので次は五島市だ。
◎五島市
・福江市:前述の通り、福江市時代からそのまま××町になった。したがって、市内にあった福江町のみがかろうじて住所として残っている。その福江町も大半が住居表示で別の町名となったため、残された福江町自体もかなり減っている。まあ、先に北松浦市ができたとしたら、福江の街に住む人たちが「平戸に続け」という機運を高めるかもしれないが、今回はそこまでは考えないでおく。
・旧郡部5町:○○町××。特筆すべきは、合併前は××郷だったのが、合併時に「郷」を削除した。また、一部は合併直前~同時に分割を行い、「郷(相当の区域)」が新設された。
◎新上五島町
前述の通り、こちらは旧自治体名が住所に残らず、そのまま××郷として残された。ちなみに、神ノ浦郷が有川と若松の2か所にあるもので、東と西をつけて対応というのもあった。
新上五島町が五島市に合併するとはいえ、いくらなんでも新上五島町××郷をそっくりそのまんま五島市新上五島町××にするのはあんまりだろう。
ここは、「新御厨」方式で、有川町・新魚目町・上五島町・奈良尾町・若松町の5町に分割することにしよう。ついでに、神ノ浦の東西も削除する。
 
ということで、今回の私案で最も大きな合併となった佐世保市だ。
◎佐世保市
・佐世保市:こちらも全域で佐世保市××町(丁目)の状態。
・旧郡部6町:○○町××。こちらについても合併前は××免(宇久町のみ郷)だったのが、合併に伴い「免」「郷」を削除した。
◎佐々町
××免。これは上記の例に倣い、「免」を削除し、佐々町××とする。
◎小値賀町・川棚町・波佐見町
××郷。こちらも「郷」を削除し○○町××とする。川棚町のみその下部に城山町と栄町がある。これについては…そのままにしとくか。
◎西海市
・西海町・西彼町:○○町××郷。こちらも「郷」を削除し○○町××とする。
・崎戸町:崎戸町××。蛎浦郷・本郷・江島・平島がある。蛎浦郷から郷を削除するぐらいか。
・大瀬戸町:大瀬戸町△△××郷。△△とは合併前の町村名である瀬戸・雪浦・多以良・松島の4地区(事実上の大字)だ。…これも、さらに市がかわっても引き継がれるのかなあ…。長いんだから、諫早の森山町みたく整理したらいいのに。ということで、県名まで入れると県下随一の「5段階地名」にメスを入れる。
 瀬戸:「大瀬戸町」の中に瀬戸も入ってることだし、そのまま削除でいいか。
 雪浦:これも原則削除でいいが、下郷・上郷については下雪浦・上雪浦とする。
 多以良:内郷・外郷それぞれ多以良東・多以良西とする。
 松島:内郷・外郷それぞれ松島北・松島南とする。
・大島町:ここも前述の通り、郷がなく、大島町の次に番地が来る。ただ、香焼町と高島町との違いは、「でかい」ことだ。だから、いつの間にか郵便番号も地区別になった。というのも、今使われていないだけで、元々は本郷・間瀬郷・寺島郷・徳万郷・蛤郷・中戸郷・太田尾郷・塔尾郷・塩田郷・大島郷の10郷があったらしい。なので、他の町と同じになるように分けておきたい。ということで、本郷は黒瀬とし、(本郷とは黒瀬村の本郷なのだ)、それ以外は郷を削除する。…あとは馬込と田浦ぐらいは入れておくか。

さて、ここで長崎市に入るとしよう。
 
◎長崎市
・長崎市:こちらも全域で長崎市××町(丁目)の状態。
・香焼町:元々番地のみだったので全域で長崎市香焼町。
・高島町:元々番地のみだったので全域で長崎市高島町。(ほんとは端島とかいろいろあるけど無人なので今回は無視)
・伊王島町:全域で長崎市伊王島町。ただし、大字伊王島が1丁目、大字沖之島が2丁目となった。
・三和町:三和町××が長崎市××町となった。
・野母崎町:同じく、野母崎町××が長崎市××町となった。ただし、樺島については市内中心部の樺島町と重複するため野母崎樺島町となった。
・外海町:大字黒崎に関しては、外海町大字黒崎××郷が長崎市××町となった。ただし、牧野郷については式見の巻の町と重複するため新牧野町となった。大字神浦に関しては外海町大字神浦××郷が長崎市神浦××町となった。ただし、上下大野郷・池島郷には「神浦」はつかず。
・琴海町:元々琴海町××郷だったが、郷ごとに長崎市××町とするか長崎市琴海××町とするか対応が分かれたため、琴海つきの町と琴海なしの町が混在することに。具体的には西海・長浦に琴海がつかない。個人的には長崎県下の合併自治体で一番のクズ対応だと思っている。
まあ、神浦ならいざしらず、昭和の大合併でできた琴海などと言う名前は後生大事に持っておく名前でもなく(ちったあ外海を見習え)、せめて琴海を守りたいのなら8郷足並みを揃えなさいよと言いたい。個人的には、どさくさに紛れて琴海を削除したいところだが、趣旨が変わってくるため慎むことにする。
◎時津町
まあ、私の私案である以上、同じ轍は踏まないゾの精神で行きたい。
ということで、こちらは時津町××郷をそのまま長崎市××町にする方針にしたい。ただし、中心部の浦郷のみ「長崎市時津町」とする。
◎長与町
基本的に長与町××郷であり、そこから独立したまなび野1~3丁目と北陽台1~2丁目がある。ホントはたくさん町名設置させたい町があるが、趣旨が変わるのでそれについてはこの記事に譲る。まあ、既に町名設置済みの町はそのまま長崎市の町名に引き継ぐ。でもって、9郷もそのまま引き継ぎたいのだが…。それでは長与の名前が消えかねないのだ。
…まあ、岡郷が平和公園近くの岡町とかぶるので、それについては長与岡町とするのが現実的な話なのであろうが、長与町の中心を「長与」として残したいな、という思いもある。
というわけで今回、町の中心部である嬉里郷を「長崎市長与町」にしたい。しかし、嬉里の名前も消すにはあまりにももったいない。ということで、真の「嬉里」である、嬉里谷とその西側にある三彩地区を嬉里町として、定林・皆前・嬉里中央(こんな名前だが、定林・皆前から見て長与川の対岸にある集落の寄せ集めである)をもって長与町とする。要するに嬉里郷を長与町と嬉里町に分割するわけである。
 
ということで、大村市が残された。個人的にはここがメインエヴェントだ。
◎大村市
こちらも全域で大村市××町(丁目)の状態。
◎東彼杵町
長崎県において史実の平成の大合併でも私案の令和の大合併でも最も採用された方式を踏襲するなら、東彼杵町××郷をもって、「大村市東彼杵町××」とするべきなんだろう。しかし、たった1町の合併である上に、この東彼杵町というネーミングも、長い、難しい、昭和の大合併でできた、という3拍子揃った「残さなくてもいい名前」なんじゃないかという気がしてきた。ということで、今回、東彼杵町については、基本的には東彼杵町××郷を大村市××町に改める方針とする。東彼杵町には23郷あるが、うち17郷についてはその方針だ。
残る6郷の処遇についてお示しする。
 ・千綿宿郷:ここは千綿地区の中心として、というかまあ、別に他に千綿××郷があるわけじゃあるまいし、単純に「千綿町」でよいだろう。
 ・中岳郷:ここは絶対に改名が必要だ。なぜなら萱瀬地区に中岳町があるからだ。今回、ここについては「鹿の丸町」とする。
 ・木場郷・里郷:ということで、木場郷も市内に木場1~2丁目がある以上改名が必要だろう。適切な名前を探しているうちに、木場・里・一ッ石の3郷で元来、江ノ串村と称したことを知った。まあ、別に木場郷だけで江の串町になっても悪くなかったのかもしれないが、それなら、里郷も江の串を名乗った方がいいのではないか考えたのだ(長崎県において「里」という地名は、前述の「浦」と並び、村の中心部であることを示すことが多い)。なので、今回、里郷と木場郷を各々、下江の串町、上江の串町とすることにする。
 ・彼杵宿郷・蔵本郷:別に単純に彼杵町と蔵本町にしてもよかったのだが、通称・彼杵本町が蔵本郷にあったり、市街地が蔵本郷にはみ出していることを考慮し、蔵本郷の一部を含めたうえで、図のように彼杵1~3丁目に分けることにした。彼杵港交差点から西側は蔵本町だ。
 
ということで、「令和の大合併後の長崎県」が完成した。最後にその町字名一覧を示して終わる。