もし、もしも「愛」という

抽象的な概念を

ヒトガタにしたとしたら

 

彼になるのではないかと思う。

 

 

 

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今日も彼の話をします。

 

 

 

ご訪問ありがとうございます

菱田紗絵子です。

 

 

今日はただ、藤井風くんの

名曲揃いのデビューアルバムの中でも

「神曲」と呼び声が高い、

 

聴くだけで涙があふれる

圧倒的なセラピーナンバーについて

語る、という

 

 

 

そういうブログなので、

 

「あ、そういうの良いです」真顔

 

という方は、また明日お会いしましょう♡

 

 

 

 

では、行きます!!

 

 

 

▽「帰ろう」が好きすぎる

 

 

今日はアルバムに収められた

最後の曲、

 

 

「帰ろう」について。

 

 

いや、この曲は本当にもう、

圧倒的です。

 

 

とりあえず、いきなり歌詞を

全文載せます。

 

 

 

「帰ろう」 

藤井風

 

 

 

あなたは夕日に溶けて 

わたしは夜明に消えて

もう二度と 交わらないのなら 

それが運命だね 

 

あなたは灯ともして 

わたしは光もとめて

怖くはない 失うものなどない

最初から何も持ってない 

 

 

それじゃ それじゃ またね

少年の瞳は汚れ 

5時の鐘は鳴り響けど もう聞こえない

それじゃ それじゃ まるで

全部 終わったみたいだね

大間違い 先は長い 忘れないから 

 

 

ああ 全て忘れて帰ろう

ああ 全て流して帰ろう

あの傷は疼けど

この渇き癒えねど

もうどうでもいいの 吹き飛ばそう 

 

さわやかな風と帰ろう

やさしく降る雨と帰ろう 

憎みあいの果てに何が生まれるの 

わたし、わたしが先に 忘れよう 

 

 

あなたは弱音を吐いて 

わたしは未練こぼして 

最後くらい 神様でいさせて 

だって これじゃ人間だ 

 

わたしのいない世界を 

上から眺めていても 

何一つ 変わらず回るから 

少し背中が軽くなった 

 

 

それじゃ それじゃ またね 

国道沿い前で別れ 

続く町の喧騒 後目に一人行く 

ください ください ばっかで

何も あげられなかったね

生きてきた 意味なんか 分からないまま

 

 

ああ 全て与えて帰ろう 

ああ 何も持たずに帰ろう 

与えられるものこそ 与えられたもの 

ありがとう、って胸をはろう 

 

待ってるからさ、もう帰ろう 

幸せ絶えぬ場所、帰ろう 

去り際の時に 何が持っていけるの 

一つ一つ 荷物 手放そう 

 

憎み合いの果てに何が生まれるの 

わたし、わたしが先に 忘れよう 

 

 

あぁ今日からどう生きてこう

 

 

 

 

もう、日本語の使い方が好きすぎる。

 

 

 

歌詞を読んだら

 

それでは、どうぞ。

 

 

目を閉じて、味わって

できれば静かなところでお聴きください。

 

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

 

 

この曲、最初の出だしは

「すれ違ってしまったカップル」

みたいな話なのかな、って

思うんですね。

 

 

でもこの曲はお気づきだと思いますが、

 

 

そう、「」をテーマにした歌です。

 

 

「わたし」が死ぬときの歌。

 

 

それが、この「帰ろう」という曲。

 

 

あぁこれは遺言に書いておこう。

わたしのお葬式で、この曲を流して欲しいと。

 

 

 

 

▽こうやって死んでゆきたい

 

最後くらい 神様でいさせて 

だって これじゃ人間だ 

 

ここの歌詞が、強烈に好きです。

 

「最後くらい、神様でいさせて。」

 

 

「神様」というのは、

いわゆるわたしたちの霊性、

スピリットということを指すのだと

思うのです。

 

 

もともと誰もがそうで、

「死」というのは、そこに

帰っていくだけ

 

 

「幸せ絶えぬ場所」なんですね。

 

いわゆる聖書的にいえば

「Heven」ですね、天国。

 

 

 

そこに帰っていくとき、

わたしはどうだろう。

 

やっぱり未練をこぼしてしまうかもしれない

 

 

きっと、やりかけの「何か」が

あるだろうから。

 

 

 

でも、わたしもそのとき、

「わたしらしく」ありたい。

 

 

ください ください ばっかで

何も あげられなかったね

 

 

そうやって悔やむのかもれない、でも

 

ああ 全て与えて帰ろう 

ああ 何も持たずに帰ろう 

与えられるものこそ 与えられたもの 

ありがとう、って胸をはろう 

 

 

そうやって、思えたなら

どんなにか幸せだろう。

 

 

この曲を聴きながら、

涙があふれました。

 

 

そして、

 

「与えられるものこそ 与えられたもの」

 

 

この言葉には、ハッとしますね。

 

今与えられるものは、

かつて与えられたもの。

 

 

本当にそうだと思います。

 

 

とても良い意味で

自分がいかにちっぽけな存在なんだと

いうことを思い知らされるし、

 

そしてそれでも「与える」ことに

意味があるのだと思える。

 

 

 

わたしを生きるということは

どれだけのものを

与えられるか、なのかもしれない。

 

 

▽生きているときから、心がけたいこと

 

憎み合いの果てに何が生まれるの 

わたし、わたしが先に 忘れよう 

 

 

ここもとても好き。

 

人生において

憎み合う、ということは

あまりしたことがありませんが

(なんせ憎むということが不得手なのです)

 

 

それでもやっぱり

これまでもいろいろなことがあったし

憎まれたこともあったかもしれません。

 

 

意見が合わず、離れた人もいるし

否定されて悲しい思いをしたこともある。

 

 

くっそーーー!

 

 

という気持はもちろん

健全に燃やせばエネルギーに

なるかもれない。

 

 

でも、やっぱりわたしは

「憎み合う」のではなく

赦しあい、認め合う。

 

 

そんな関係をたくさんの人と

築いていきたいと思うのです。

 

 

それは理想なのかもしれないけれど、

でも理想だからこそ追い求める

意味があるよね。

 

 

 

自分とは違う人にこそ

尊敬の眼差しを向ける。

 

 

そんなわたしになりたいと

いつも思っています。

 

 

これはもう、

 

今際の際に気がつくのではなく

「憎しみ」はできるだけ、持たずに生きていきたい。

 

 

それはもう、

 

今、この瞬間から。

 

 

▽忘れないために

 
 

全部 終わったみたいだね

大間違い 先は長い 忘れないから 

 

 

死ぬということは、

全部終わる、わけじゃない。

 

 

本当はもっと長い長い旅路の

ほんの途中、みたいな感じなのだと

わたしは思っています。

(ちょっと意味わかんないかもですが)

 

 

残念ながらわたしたちは

いろんなことを忘れて生まれてきて

 

そして謎解きをしながら

自分で設計したブループリントを

歩んで生きているけれど。

(この考え方がわたしは好き)

 

 

でも本当の根っこでは忘れていない

 

 

だから、「初めて会った気がしない」とか

「出逢った瞬間にピンとくる」とか

そんなことが起きると思っています。

 

ほら、日本語でもいいますよね。

 

 

袖すり合うも多生の縁。

 

「たしょう」は多生である、多少ではない。

 

 

 

誤解されている方もいるかもしれませんが、

「袖がふれあうくらいの人とは

ちょっとだけご縁があるんだよね」

 

みたいな意味ではありません。

 

 

だから、妙な道にそれぬよう

(まぁそれもそれで楽しいかもしれないけれど)

 

 

 

自分の心の声を聴く、とか

 

直感を生かして生きる、とか

 

 

そういうことが大事になるのだと

思います。

 

 

 

▽最後の歌詞の解釈は?

 

この曲のラストは、こんな歌詞で

締めくくられています。

 

 

あぁ今日からどう生きてこう

 

 

え、「わたし」が死にゆく場面の

歌じゃなかったわけ?

 

 

 

と、一瞬混乱する方もいるかも。

 

 

ここの歌詞の解釈は何通りかの

考え方が出来ると思いますが

 

 

わたしのなかではひとつ、

お気に入りの解釈があるのですが・・・

 

 

 

それは、ここでは語らないことにします。

 

 

もったいぶっているわけじゃなくて

 

もうちょっと反芻しながら

自分でも解釈を深めたい。

 

 

そんな感じです。

 

ぜひ、直接交流出来る方は

あなたの解釈を聴かせてください♡

 

 

 

 

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とまぁ、好きなことを好きなように

書かせていただいた今日のブログ。

 

 

いかがだったでしょうか。

 

 

藤井風くんの歌詞は

優しい言葉なのに奥深く

 

そしてこの、語感の良さよ。

(「歌詞」だから当たり前なのかもですが)

 

 

歌も顔も素晴らしいけれど

やっぱりこの風ワールドとも言える

独特の世界観に

わたしは「殺られた」のだと思います。

 

 

 

本当にどの曲も素晴らしいです。

聴けば聴くほど、味わい深い曲ばかり。

 

 

 

わたしが彼を知るきっかけをくれた

先輩には昨日コメントしたのですが

 

 

 

決して誇張するでなく、

 

 

 

わたしは彼のことを

 

現代に生まれ落ちたキリスト」だと

思っています。

 

 

彼の曲は、イエスがあの丘で

配ったパンと魚。

 

 

たくさんの人たちが今、

無意識的に感じているところに

入っていって

 

飢えや渇きを満たしてくれる。

 

 

そんな曲。

 

 

 

彼の曲を聴くだけで

「わたし」に戻れる。

 

そんな方もきっと多いはず。

 

 

 

まだ聴いていないよ、という方は

是非是非聴いてみてください♡

 

 

 

というわけで、

今日は最初から最後まで

 

ただの一ファンとして、

推し曲を推しまくる、というブログでした。

 

 

 

そんな日があっても良いでしょ?

 

 

本当はアルバム全曲で

こんなことができそうですが

 

キリがないから、そろそろ辞めておきます。

 

 

 

そうだな、じゃあ最後は

この曲でお別れしましょう♡

 

 

 

それでは聴いてください。

 

 

 

藤井風で、

 

 

「キリがないから」

 

 

 

 

それでは、また明日。

(明日は普通の記事かくと思います、たぶん。)

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました♡

 

 

ではでは♪