コウタ 2回目のコロナ感染 | おサエのブログ 4歳AML(急性骨髄性白血病)骨髄移植

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三男3才のある日、急性骨髄性白血病が発覚しました。
6ヶ月に及ぶ入院治療。6クールの抗がん剤治療をし退院するも2ヶ月で再発。
初発時には出来なかった身近な方への状況説明の為にとブログを始めました。
再発、移植、その後の歩みを書き記しています。AML-M2(8;21)

学校でも、付近の地域でも

インフルエンザやコロナが大流行していました。


コウタもついに罹患。




3日もすればすっかり元気で回復。
むしろ、初日の早退した日くらいが発熱で寝込んだだけで インフルエンザの方が重そうだなと感じるくらいでした。 
声はガラガラで、隔離してた部屋からの電話連絡が聞き取れないぐらい。
コウタも、『前にコロナになった時と同じような喉』と。喉の炎症、痛みが主症状でした。




発症の日


喉に少しの違和感があるくらいから

学校で突然の発熱 39度後半!!


保健室からの電話が11時前 


この日は、私は、大学学食の学期最終日

今から店を開けて営業始まる!という時間 


すぐにパパに連絡し、旦那側の仕事の都合を無理矢理つけてもらってお迎えに行ってもらいました。


私の仕事の〆日。

大掃除や、機械のメンテナンス、〆作業の多さも半端無い日。


いつものごとく、一緒に働いてくれてる誰もが、『学校、行ってあげてね。店はみんなで何とかするから』と言ってくれるけれど 今日はややこしい業務が。。。 


コウタの事は心配だけど

身体も大きくなって、体力もある。

大丈夫! バスケットで作った身体。


パパがお迎えに行き、

学区で開業されてる小児科(もともとコウタのお世話になった大学病院で小児血液内科のチームドクターが開業医)に連れて行き、


テスト期間で家にいた長男が、コウタを引き継ぎ

小児科の診察付き添いと処方箋薬局、スポーツドリンクや食事の世話や看病を家でしていてくれたそう。 


夕方帰宅して様子を見ても

解熱剤で熱が下がって、ケロッとしていました。


食欲も落ちることなく、隔離状態なので自室でご飯をしっかり食べて ゆっくり養生。



子どもが小さい間は、小児科に走る事だらけで

季節こどに感染症にかかったり、本当に大変だったけれど 


もう、ほとんど年間に熱を出すことも無くなっていて、発熱しても半日ほど寝れば終わるような。。。


元気になったんだなと思います。 


家族で暮らしていると、こんな時に抱える不安が10分の1くらいに感じます。




昨日 

闘病中の親をフォローしようという活動のクラウドファンディングに少しばかりの寄付をさせてもらいました。 


今の私は、コウタの事を1人で抱え込む状況じゃなく 家族がみんなで1人の不調をあれこれ助けられる。規制もかからない。 

この、当たり前?というか普通の状況でいられる精神状態!! 仕事をやりきって帰ろうと選択出来るぐらいに落ち着いている 


小児がん闘病は 世界が違う。 


こどもの衰弱具合やおかれた状況の全てが。。。


もう、これ以上 何か少しでもあったら

自分を支える糸が無くなってしまうと思うほどに

張りつめて息を止めてた。


ほんの少し

負荷をほんの少しでも減らすこと

そこに目を向けて行かないと、付き添いの親が潰れてしまう。 


温かい食事のひとつ、身体を伸ばして眠れる寝具、少しだけ緊迫の看病から身を離せる瞬間や場所、遠方から入院した子の家族が面会に来やすい費用軽減サポート 


苦しむ我が子の背中をさすり続けてる親の背中にも、誰かの手が添えられないと乗り切れない。




幸せな時間も緊迫の時間も

人が人生で経験することは、みんな、誰も同じではなくて

ある日突然にどんな事が身に起こるか分からない。


大変な人がいるから、自分の暮らしや喜びを自重していたら 一生涯 笑わずに暮らすことになる。

世界中に、いたたまれない状況のひとがゼロになる時なんて無い。 


だから


幸せな時に、大きく幸せを謳歌して

たくさんの周りの人と喜びあったり、笑いあって


自分の生活や、自分の機嫌をとって暮らして

時々に、その自分の手に沢山あるものを

そっと、どこかの大変な人の一助に添えていければ


本当に大変な時に

どこかの誰かの そっと置かれた思いやりは

必ず 大きな温もりになって届く 



人は繋がっている事を、今も、頻繁に感じます。



コウタの兄達も献血に行ってる様子 


みんな 派手な事をしなくても

ちょっと頭によぎるだけでも 人助けって始まるように思います。 



耐えて耐えて苦しんでる辛い背中を

さすってくれる手がありますように。