渋沢平九郎の足跡を追う〜飯能〜 | 石田紗英子 オフィシャルブログ

渋沢平九郎の足跡を追う〜飯能〜

渋沢栄一のパリ渡航の際に
見立て養子となった、
渋沢平九郎(妻•千代の弟)の行く末が
気になって…戊辰戦争の一局•
飯能戦争の舞台を訪れました。



元々、尊王攘夷派であったのに、
戊辰戦争では旧幕府側に与した平九郎。
喜作こと、渋沢成一郎率いる
彰義隊〜振武軍として戦った後、
隊は散り散りに退却。
平九郎は、飯能の北側に位置する
顔振峠のお茶屋さんで、
大刀を預けお百姓さんに扮装するも、
越生に抜ける途中敵方に囲まれ、
最期を覚悟したといいます。

今回は、振武軍が本陣を敷いた能仁寺と、
飯能市博物館に立ち寄りました。




平九郎自刃の地は、
飯能市から越生町にぬける峠にあり、
Google mapにはワインディングロードが
表示されたので、日暮れ時の運転には
申し訳なく、遠慮。。



渋沢栄一は本当に強運というか、
良いタイミングでパリ随行していますよね…。
もし、一橋家家臣として動乱期を日本で
過ごしていたら、
”近代日本資本主義の父”渋沢栄一の偉業が
成し遂げられたかは定かではなく、
渋沢栄一や渋沢成一郎、尾高惇忠の運命も
大きく変わっていたことでしょう。

渋沢平九郎は、幕末のイケメンとして
写真だけが一人歩きしていましたが、
国のことを本気で想う立派な志士であったと
いうことも、
しっかり記憶に留めておきたいと思います。