9回出撃した特攻兵〜レキジョの歴探〜 | 石田紗英子 オフィシャルブログ

9回出撃した特攻兵〜レキジョの歴探〜

太平洋戦争後半、飛行機に乗ったまま

米艦に体当たり攻撃を求められた特攻隊。

 

一度滑走路を飛び立ったら、

もう戻ることはない。

そんな宿命を負った特攻隊員に、

9回出撃した人がいたことを

ご存知でしょうか。

 

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鴻上尚史さんの「不死身の特攻兵」を

読ませていただいて、

その存在を知りました。

佐々木友次さんという方で、

2016年までご存命だったそうです。

 

佐々木さんは、陸軍の第1回特攻隊に選ばれ、

操縦と爆撃の名手でした。

 

優秀なパイロットは、

わざわざ体当たりせずとも、爆弾を落として

帰還できることを主張していました。

 

実際、船の甲板に飛行機がぶつかるのは、

コンクリートに卵をぶつけるようなもので

さほど衝撃がなく、

撃沈させるには、石を池に投げて

ピョンピョン飛び跳ねさせるように、

銃弾を横から跳ねさせて

船中で爆発させる必要があったそうです。

 

佐々木さんは、天候不良などで

攻撃が難しいと感じたら、

基地に引き返しました。

島に不時着したこともありました。

戦果もあげました。

それでも、基地に戻るたび、

「それほど命が惜しいのか。

今度帰ったら承知せん。」と、

罵声を浴びせられたそうです。

当時の日本軍は、

ただ精神論で戦っていたのです。

 

知覧や鹿屋の資料館、靖国神社の遊就館には

出発前に書き残した遺書が展示されていますが、

検閲があったために、

本心などはとても書けなかったんだと思います。

 

本当にそこにあったのは、

恐怖、国に対しての不甲斐なさ、

そして、未来の日本にわずかな希望を

託したのではないでしょうか。

 

Go toキャンペーンを機に

先日久しぶりに訪れた、

鹿児島県南九州市の知覧飛行場。

陸軍の特攻隊基地があった場所です。

 

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飛行場があった一帯は、

今や日本一を誇る知覧茶のお茶畑に

なっていますが、

滑走路の出発点の碑や、

隊員たちが最後の数日を

過ごした三角兵舎(復元)、

海から引き揚げられた零戦、

特攻隊員が通った富屋食堂(復元)など、

見学することができます。

 

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遠い昔のようですが、たかだか2代前の話。

祖父や祖母が去っていくなかで、

次世代へ語り継いでいくべき真実です。

同調圧力が強いともささやかれる我が国で、

どんな時も自分軸を失うことなく生きたいものです。