ぷらり信濃路 | 石田紗英子 オフィシャルブログ

ぷらり信濃路


本日のぷらり旅は信濃路。
善光寺ー川中島古戦場ー松代城跡を
廻りました。
日本一住民の幸福度が高いと言われる
長野県ですが、豊かな緑と寺社仏閣のせいか、 
訪れる度本当に心穏やかになります。

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善光寺は“遠くても一生に一度は善光寺参り”と
いわれた名刹。
奈良時代から、宗派にこだわらず
全ての人を受け入れようという体制は、
長い参道がバリアフリーであることに
今も表れているのかもしれません。
車椅子のお婆様や赤ちゃん初参りの
ご家族の姿もあり、皆、幸せに導かれようと
笑顔が溢れていました。

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続いて、真田幸村教徒(笑)の私にとっては
外せない松代城趾。
言わずもがな、兄上・信之が初代藩主となり
礎を築いた松代藩の中心地です。
感動したのは、大河ドラマにも登場していた
矢澤三十郎や小山田茂誠の末裔のお宅が
実在したこと!お城の門を出てすぐの所に…
代々家老として明治期まで
真田家を支えたそうです。

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松代に行く途中、川中島古戦場跡を見つけて
思わず下車。川中島の戦いでは、
真田信之・幸村兄弟の祖父である真田一徳斎が
武田24将として参戦しています。
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その後、真田一族が仕えていた武田家は滅び、
信長-秀吉-家康と天下バトンタッチのさなか
真田はお家存続のため敵味方に二分。
西についた昌幸・幸村の悲運は
皆様ご存知の通り。
長いものに巻かれず、忠誠心を貫いた
幸村サマは私も大ファンです!
…判官贔屓かな。。(おっと、脱線脱線。)
しかし、東についた信之が、
父・昌幸の所領を引き継ぎ、
武田信玄が川中島の戦いの際に築いた
海津城(のちの松代城)主になったと
いうことは、真田家が親方様(武田信玄)の
所領を近代まで守ったということか。
なんとも感慨深い。
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夏草や兵どもが夢の跡…
奥州平泉の地で感じた記憶が蘇ります。
天下統一、和平を夢見て戦った古人たち。
愛するもののため守りたいという気持ちは、
いつの時代も変わらないのではなかろうか。
皆がにこやかに善光寺参りできる世が、
この先もずっと続きますように。合掌。