天璋院篤姫 | 石田紗英子 オフィシャルブログ

天璋院篤姫



毎週欠かさず観ているNHK『歴史秘話ヒストリア』。
今週は、私の尊敬する篤姫が
取り上げられていました。

篤姫が好きな理由は、数奇な運命に逆らわず、
受け入れ、そして、しっかりと生き抜いたところです。

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篤姫は、幼名おかつと言って、薩摩藩島津家の
本家ではなく分家の娘でした。
ところが、13代将軍徳川家定の正室候補にと、
薩摩藩当主の島津斉彬が養女に迎え入れたのです。
将軍の正室に相応しい身分にするため、
さらにその後、公家の近衛家に養女になっています。

そして、ようやく13代将軍の正室へ。
渋谷にあった薩摩藩邸から江戸城に続く嫁入り行列は
相当なものだったと言われています。
その輿入れ準備を整えたのが、
島津斉彬に取り立てられた西郷吉之助。
のちの新政府軍総指揮官の西郷隆盛です。

将軍御台所となってからわずか1年半で
夫の家定は他界してしまいます。
しかし、その後もまだ幼かった14代将軍徳川家茂
(本当の息子ではなく水戸家から養子)の面倒を見て、
徳川家の人間として、しっかり役割を果たします。

その頃、薩摩と長州が同盟を結び、
世の中は倒幕ムードに。
15代将軍徳川慶喜は、天皇に政権を返上し、
250年以上続いた徳川の時代が終わります。

篤姫がすばらしいのは、まだまだそこからです。
新政府軍が江戸城総攻撃を
まもなくしかけようとしていました。
篤姫にしてみれば、実家が嫁ぎ先を攻めてくるのです。
敗戦は目に見えていました。
篤姫らは逃げるようにいわれますが、
篤姫は一歩も動かぬと、突き返したそうです。

篤姫は西郷に手紙をしたためます。
“どうか、江戸城を攻撃しないでほしい”と。
亡くなった島津斉彬もそう願っていると。

そういった、篤姫や勝海舟の働きの甲斐あって、
江戸城は奇跡の無血開城し、
江戸は戦火から逃れることができました。


考えてみてください。。
政略結婚で顔も知らない将軍に嫁ぎ、
その将軍もすでに他界。
その家がもう滅ぼされるとなった時、
実家に帰りそうなものです。
でも、篤姫は、違いました!
攻めてくる実家と戦う覚悟で
徳川家を必死で守りぬいたのです。

江戸城を明け渡すぎりぎりまで、
侍女たちの行く末を案じ、世話をして、
そしてごくわずかな人と物を携えて城を出た後は
つつましやかに生活を営んだと言われています。


大河ドラマでは、幕末~明治のハンサムウーマン、
新島八重の一生が描かれていますが、
この篤姫もまた、己の一本道を生き抜いた
ハンサムウーマンなのです。