定年塾ロケ | 石田紗英子 オフィシャルブログ

定年塾ロケ


きのうは、定年塾のロケで、
赤穂浪士に縁のある場所を巡りました。


ときは1701年、5代将軍綱吉のころ、
江戸城松の廊下で起こった刃傷事件。
浅野内匠頭が吉良上野介に刀をぬいたのです。

浅野内匠頭は、即日切腹の刑
(今の新橋4丁目にあった田村家にて)、
そして、当主だった赤穂藩は
お家とりつぶしとなります。

通常、喧嘩両成敗のところですが、
吉良上野介には特におとがめが
ありませんでした。

そこで、君主の仇を取ろうと、
赤穂藩の家臣たちが決起します。

吉良家の屋敷図を手に入れ、
綿密に計画を練った、47人の志士たち。
大石内蔵助率いるその集団には、
大石主税など(内蔵助の子)、10代20代の若者も多くいました。

翌年12月14日明朝、火消しにみえる黒装束で
吉良家に(今の両国あたり)討ち入りします。

吉良上野介の首をとった四十七士は、
そこから、浅野内匠頭が眠る泉岳寺(高輪)へと、
討ち入り成功の報告に向かいます。

ちなみに、その道中、沿道に町人が群がり、
ヒーローを迎えるようだったといいます。
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でも、それはやはり、大名を殺害した罪。
四十七士たちはその後、
細川家、松平家、毛利家、水野家にわかれ、
幕府の判決を待ちます。

捕らわれの身でしたが、各藩邸で丁寧に扱われたそうです。


そして、2カ月後の2月4日、
彼らはそれぞれ4つの屋敷にて切腹。

遺体は、泉岳寺にて埋葬されました。




それから、300年あまり…
訪れた四十七士の墓地は、すがたかたちを変えずに
そのまま、たたずんでいました。


墓石に刻み込まれた戒名には、
全員に 刄○○○…剣○○…と、
ついています。

その意味は、刄の上を渡り歩くことはとうていできない。
そんな難しいことを成し遂げた人だと、
いうことだそうです。



収録後、メイクのみっちーと、
もう一度お参りしました。

泉岳寺の和尚、三田さん案内のもと、
義士資料館も見学させていただきました。




泉岳寺…前から行きたいと思っていたんですが、
きょうお参りして、想像以上にさまざまなものを感じました。

わたしたちの先祖が、かつてもっていた忠誠心。
人と人との絆を大事にするところ。

そして、大切なひとのために
自らの命も惜しまない勇気。


今の平和な時代に生まれた私たちには、
とうてい真似できません。
誰かのために死ぬなんて…できれば、
共に生きたいと願います。


時代が違うと、こうも生き方が変わりますが、
彼らが懸命に生きたというのは、たしか。
その証が、今も訪れる人をたたない泉岳寺。

彼らのまっすぐな心に打たれ、
手をあわさずにいられないのだと思いました。

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泉岳寺へのアクセスは、
都営浅草線、京急『泉岳寺』駅からすぐです。