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あや工房

人生100年時代を生きるための
健康・習慣・お金・人間関係の知恵を
YouTubeとブログで発信しています。

 

先週の評点:
「ミライ・ハビタット 2050年の生活圏を構想する 単行本(ソフトカバー)」(〇):東京大学サステイナブル未来社会創造プラットフォーム研究会 (編集), 浅見 泰司 (編集, 著)、「楽しまなきゃ損だよ人生は 単行本」(〇):弘兼憲史 (著)、「宇宙にヒトは住めるのか (ちくまプリマー新書 512) 新書」(〇):林 公代 (著)。

 

「ミライ・・」は真剣に未来を描いている姿勢に好感が持てる。果たして、このように政策が進むかどうかは別物ではあるが。「楽しま・・」は肩から力が抜けた終活本である。「宇宙・・」は具体的に宇宙生活を研究しているチームが存在していることに驚き。優先順位は正しいのだろうか?つい、考えてしまう。

 

https://note.com/saekiworld/n/nf337b0acca44

 

 

 

 

羅針盤 2025 第四巻

本書は、2025年の一年間に書かれた思考の記録を、新たな視点で再編集したものである。
老い、身体、不安、お金、社会、国家、共生、宗教、死。

これらは本来、切り分けて考えられるものではない。
生活の中では、常に絡み合いながら現れる。

当初は「生命」「健康」「億り人」といった分かりやすい分類で整理してきたが、書き進めるうちに、それだけでは収まりきらない

主題がはっきりしてきた。
そこで本書では、

文章そのものを書き換えるのではなく、
読み取るための枠組みを改めて与えるという方法を選んだ。

本書は、答えを与える本ではない。むしろ、老いの中で人が何を考え、

どこで立ち止まり、どこへ向かおうとしているのかを辿る記録である。

最初から順に読む必要はない。関心のある章から拾い読みしてほしい。

これは完成された思想書ではなく、一人の生活者が世界と折り合いをつけ直していく過程をそのまま残した一冊である。

『社会と国家』                     

副題:ゆるやかに距離をとるという知恵                    

社会は、いつも正しい顔をしている。
国家は、いつも必要であるかのように振る舞う。
しかし、その内側にあるものは、必ずしも透明でも、公正でもない。

本巻に収めたエッセーは、
犯罪、国家、家族、経済といった、
私たちが日々関わりながらも、深く考えることを避けがちな領域に触れている。
重要なのは、否定することではない。
盲信することでもない。

少しだけ距離をとり、
少しだけ疑い、
それでもなお関わり続けること。
そのための、小さな視点の揺らぎをここに記す。

 

第Ⅱ章 国家と時代の揺らぎ

まえがき

国家は、大きな物語である。
そして、その物語はしばしば正義の名を借りる。

だが歴史を振り返れば、
正義は常に一つではなかった。

国家を信じることと、
国家に委ねすぎないこと。

その微妙な均衡の中で、私たちは生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、書評をベースとしたエッセーを中心に、生態系との共生社会はどうあるべきかをSF小説として考案中である。その中で、小説要素として共通する「共生(微生物・ファージ)」「境界(ドーム・コクーン)」「媒介(魔女・言語菌・AI)」を備えた作品を見出したので、先んじて紹介しておきたい。
 『摂氏千度、五万気圧』(関元聡 著)を読んでいる。
 主題から内容を連想できる人は稀だと思うが、読み始めればすぐにその意味は理解できるので安心してほしい。

 

https://note.com/saekiworld/n/n566b50794f5b

 

 

 

 

 

古い羅針盤 2025 第四巻

 

本書は、2025年の一年間に書かれた思考の記録を、新たな視点で再編集したものである。

 

老い、身体、不安、お金、社会、国家、共生、宗教、死。

これらは本来、切り分けて考えられるものではない。

生活の中では、常に絡み合いながら現れる。

当初は「生命」「健康」「億り人」といった分かりやすい分類で整理してきたが、

書き進めるうちに、それだけでは収まりきらない

主題がはっきりしてきた。

そこで本書では、

文章そのものを書き換えるのではなく、

読み取るための枠組みを改めて与えるという方法を選んだ。

本書は、答えを与える本ではない。

むしろ、老いの中で人が何を考え、

どこで立ち止まり、

どこへ向かおうとしているのかを辿る記録である。

最初から順に読む必要はない。

関心のある章から拾い読みしてほしい。

これは完成された思想書ではなく、

一人の生活者が世界と折り合いをつけ直していく過程を

そのまま残した一冊である。

 

『社会と国家』                     

副題:ゆるやかに距離をとるという知恵                    

 

社会は、いつも正しい顔をしている。
国家は、いつも必要であるかのように振る舞う。

しかし、その内側にあるものは、必ずしも透明でも、公正でもない。

本巻に収めたエッセーは、
犯罪、国家、家族、経済といった、
私たちが日々関わりながらも、深く考えることを避けがちな領域に触れている。

重要なのは、否定することではない。
盲信することでもない。

少しだけ距離をとり、
少しだけ疑い、
それでもなお関わり続けること。

そのための、小さな視点の揺らぎをここに記す。

 

第Ⅰ章 社会の裏側をのぞく

まえがき

 

社会の表層は、穏やかに整えられている。
だが、その裏側では、常に別の論理が働いている。

犯罪とは、特異な出来事ではない。
むしろ、社会の歪みが可視化された瞬間にすぎない。

見えないものを見ようとすること。
それが、不安を減らす唯一の方法なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、いよいよAIと正面から向き合う最終章である。「ぶつかる」「なじむ」「とけこむ」という三段階を経てきた本ブログも、ついに「とけこむ」という最終段階の議論へと至った。

 第3部の主題は「AIと人間の未来」であり、1)情報健康を支援する社会システムに向けて、2)AI時代の人はどうなるか、3)バディAIがいる世界へ、4)「生命革命」再考、の四章で構成されている。なお、栗原氏は第三章を担当し、それ以外は各専門分野の執筆者によるものである。

 

https://note.com/saekiworld/n/n09bc4c877a47

 

 

 

 前半では、「言語菌」という新たな、人間とAI(機械・システム)をつなぐファンクションの導入が印象的であった。

 『AIの倫理 人間との信頼関係を創れるか』(栗原聡 著)を引き続き読んでいる。01で取り上げきれなかった、3)生成AIのトリセツ(開発と利用の思わぬ落とし穴)、4)偽情報が認知戦で果たす役割とプラットフォームの責任、について触れていきたい。

 

https://note.com/saekiworld/n/n3606437019dd

 

古い羅針盤 2025 第三巻
 

 

 

本書は、2025年の一年間に書かれた思考の記録を、新たな視点で再編集したものである。
 老い、身体、不安、お金、社会、国家、共生、宗教、死。
これらは本来、切り分けて考えられるものではない。
生活の中では、常に絡み合いながら現れる。
当初は「生命」「健康」「億り人」といった分かりやすい分類で整理してきたが、
書き進めるうちに、それだけでは収まりきらない
主題がはっきりしてきた。
 そこで本書では、
文章そのものを書き換えるのではなく、
読み取るための枠組みを改めて与えるという方法を選んだ。
 本書は、答えを与える本ではない。
むしろ、老いの中で人が何を考え、
どこで立ち止まり、
どこへ向かおうとしているのかを辿る記録である。
 最初から順に読む必要はない。
関心のある章から拾い読みしてほしい。
 これは完成された思想書ではなく、
一人の生活者が世界と折り合いをつけ直していく過程を
そのまま残した一冊である。

『生存としての金』
副題:成功より、撤退の技術
金は「夢」ではなく「不安の代替物」である
経済は個人を救わない
それでも人は、金に意味を与えようとする
この巻は「第二巻(心と不安)」の延長線上に書きました。
不安が内面なら、金はその外側の処方箋という位置づけです。

まえがき
金は、不安の翻訳である
人はなぜ、これほどまでに金の話をするのだろう。
老いよりも、死よりも、国家よりも、
私たちは日常的に「金」に触れている。
それは通貨という物体ではない。
安心の約束であり、未来の担保であり、
ときに自尊心の証明でもある。
だが、金は本当に安心を与えているのだろうか。
第一巻では「身体」を扱った。
第二巻では「不安」を扱った。
本巻は、その延長線上にある。
不安が内面の揺れだとすれば、
金はその揺れを外部に固定しようとする試みである。
投資、成功、億り人、自己責任。
これらの言葉は、いつのまにか
倫理や思想よりも強い現実味を帯びている。
しかし、その語りの奥には
「失敗への恐怖」
「取り残される不安」
「価値を測られることへの怯え」
が、静かに潜んでいる。
本書は金儲けの本ではない。
経済指南でもない。
むしろ逆である。
成功を語るよりも、
撤退をどう考えるか。
増やすことよりも、
失わないという態度。
金を目的にしないという選択。
それらを通して、
現代人の「生存」の輪郭を描こうとする試みである。
金は安心を約束しない。
だが、私たちはそれでも金を必要とする。
その矛盾の中で、人はどう生きるのか。
本巻は、その問いのためにある。

 

第Ⅳ章|判断を誤る瞬間

まえがき

市場は冷静だが、
人間は冷静ではない。

焦り、嫉妬、期待、見栄。
判断はいつも感情に揺らぐ。

誤りは、能力の問題ではない。
構造の問題である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世の中には本当に賢明な人がいる。そうした人々と出会うために本を読み重ねている、と言った方がよいのかもしれない。私の異常なまでの読書熱も、そうでも考えなければ説明がつかない。

 『AIの倫理 人間との信頼関係を創れるか』(栗原聡 著)を読んでいる。AIは人間が創ったものなのに、今さら信頼関係など議論の余地があるのか、と副題に突っ込みたくもなる。しかし、人間は自ら創造した虚構の中で、自ら溺れそうになるほど愚かな存在でもある。そう考えれば、むしろ当然の論点なのかもしれない。

 

https://note.com/saekiworld/n/nf6d086805c2f

 

古い羅針盤 2025 第三巻
 
本書は、2025年の一年間に書かれた思考の記録を、新たな視点で再編集したものである。
 老い、身体、不安、お金、社会、国家、共生、宗教、死。
これらは本来、切り分けて考えられるものではない。
生活の中では、常に絡み合いながら現れる。
当初は「生命」「健康」「億り人」といった分かりやすい分類で整理してきたが、
書き進めるうちに、それだけでは収まりきらない
主題がはっきりしてきた。
 そこで本書では、
文章そのものを書き換えるのではなく、
読み取るための枠組みを改めて与えるという方法を選んだ。
 本書は、答えを与える本ではない。
むしろ、老いの中で人が何を考え、
どこで立ち止まり、
どこへ向かおうとしているのかを辿る記録である。
 最初から順に読む必要はない。
関心のある章から拾い読みしてほしい。
 これは完成された思想書ではなく、
一人の生活者が世界と折り合いをつけ直していく過程を
そのまま残した一冊である。

『生存としての金』
副題:成功より、撤退の技術
金は「夢」ではなく「不安の代替物」である
経済は個人を救わない
それでも人は、金に意味を与えようとする
この巻は「第二巻(心と不安)」の延長線上に書きました。
不安が内面なら、金はその外側の処方箋という位置づけです。

まえがき
金は、不安の翻訳である
人はなぜ、これほどまでに金の話をするのだろう。
老いよりも、死よりも、国家よりも、
私たちは日常的に「金」に触れている。
それは通貨という物体ではない。
安心の約束であり、未来の担保であり、
ときに自尊心の証明でもある。
だが、金は本当に安心を与えているのだろうか。
第一巻では「身体」を扱った。
第二巻では「不安」を扱った。
本巻は、その延長線上にある。
不安が内面の揺れだとすれば、
金はその揺れを外部に固定しようとする試みである。
投資、成功、億り人、自己責任。
これらの言葉は、いつのまにか
倫理や思想よりも強い現実味を帯びている。
しかし、その語りの奥には
「失敗への恐怖」
「取り残される不安」
「価値を測られることへの怯え」
が、静かに潜んでいる。
本書は金儲けの本ではない。
経済指南でもない。
むしろ逆である。
成功を語るよりも、
撤退をどう考えるか。
増やすことよりも、
失わないという態度。
金を目的にしないという選択。
それらを通して、
現代人の「生存」の輪郭を描こうとする試みである。
金は安心を約束しない。
だが、私たちはそれでも金を必要とする。
その矛盾の中で、人はどう生きるのか。
本巻は、その問いのためにある。

 

第Ⅲ章|働くという現実

まえがき

努力は報われるのか。

この問いは、
時代ごとに姿を変えながら繰り返されてきた。

昭和的成功神話と、
現代の流動的な評価社会。

働くという行為の意味は、
本当に変わったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある程度の歳を重ねてきた読者であれば、先鋭的かつ独創的な企業として名を馳せたソニーの、経営の迷走ぶりを知っているはずだ。日本企業の幾つか(私の勤めていたブラック企業もその一つ)が愚かにも繰り返したのは、海外から経営者を招き入れ、組織を大改革する手法である。既存の組織に阿ることなく、短期利益を追求し、容赦なく合理化に突き進み、過大な報酬を要求する者たち。彼らの強欲さに圧倒され、的確な抵抗や反撃もしないままに、会社自体をメタメタにされた歴史は、日本の経営陣が犯した誤りとして忘れてはならないだろう。そんな逆風の中で必死に立ち上がり、結果的にはひっそりと姿を消していったAIBO。ひとつの文化としてさえ認知されなかったのは、なぜか。

『ぼくらがAIBOをつくった:ソニー・ロボティクスの挑戦』(黒川文雄 著)を引き続き読んでいる。

 

https://note.com/saekiworld/n/n22cca677e4cd