古い羅針盤 2025 第二巻
本書は、2025年の一年間に綴った思索の記録を、あらためて再構成したものである。
老い、身体、不安、金銭、社会、国家、共生、宗教、死。
これらは本来、分断できる主題ではない。生活の中で、常に絡み合いながら立ち現れる。
当初は「生命」「健康」「億り人」といった分類で整理していた。しかし書き進めるうちに、それらを横断する一本の軸が見えてきた。
本書では文章を書き換えるのではなく、読み解くための枠組みを与え直すという方法を選んだ。
これは答えを示す書ではない。
老いの只中で、人が何を考え、どこで立ち止まり、どこへ向かおうとするのかを記録した思考の軌跡である。
順番に読む必要はない。関心のある箇所から手に取っていただきたい。
これは完成した思想書ではなく、
一人の生活者が世界との折り合いをつけ直す過程そのものである。
-心と不安-
副題:不安は消さなくていい
まえがき
不安は、弱さではない。
それは、環境の変化や身体の揺らぎに対して、人が備えてきた自然な反応である。
本カラムに収めた文章は、心を強くする方法や、不安を消す技術を語るものではない。
むしろ、不安が生まれる背景や、心と身体がどのように連動しているのかを、生活の実感から辿った記録である。
現代では、不安は個人の内面の問題として扱われがちだ。
だが実際には、情報過多、将来不安、社会構造の不安定さと深く結びついている。
心だけを切り離して整えようとしても、うまくいかない理由がそこにある。
呼吸、注意の向け方、身体感覚。
ここで触れているのは、精神論ではなく、日常の中で自分を見失わないための最小限の技術だ。
不安をなくすことを目的にしない。
不安と共に生きながら、判断を誤らないための羅針盤として、このカラムを置いた。
1)不安はどこから来るのか
まえがき
不安は弱さではない。
それは未来を想像できる能力の裏側である。
しかし現代社会は、
不安を「克服すべき欠陥」として扱う。
心の痛み 01
一年ぶりの再会を果たそうと、連絡を取った三女の体調が悪いとか。心配である。こちらの勝手な想像だが、心痛ではないかと。女性管理職、おまけに、子育て中。さらに夫は転職の途上にある。悩みが尽きないのも無理はない。常に読者にも連呼している、睡眠・食事・運動とマインドフルネスが健康の基本と諭したが、果たして役立ったのかどうか。クリスティーナ・フェルドマン, ウィレム・カイケン他:『仏教と心の科学の出合い マインドフルネス』を読んでいる。検索すると、この手の書籍は多数、膨大である。但し、本書は初期から仏教にその教えを説くという手法である。東洋思考から西洋へと展開するには、最初に語学の壁を越える必要がある。だが、それだけ既存の西洋宗教には、マインドフルネスの教えは少ないのかも。ユダヤ、キリスト、イスラム教それぞれに違いはあれ、現世主義である。確かに寄附という概念はあるが、懺悔に近いものかと。その点、仏教のスタートは悟りで始まる。但し、愚かな民にはそれが叶わないので、浄土成仏をひたすら祈るのだ。章は1)マインドフルネスを紐解く、2)心の地図(注意、知覚、評価的な心)、3)心の地図(在る事と知る事)、4)仏教心理学の地図、5)悩みと苦しみの統合された地図、が前半部分に当る。中々、この言葉に馴染まない読者は、1章が参考になると思う。メタファーを使った理解。氏は激流を進むカヌーの漕ぎ手をマインドフルネスに例える。上手に川を繰る様を、早い段階でのうつのサインに気が付くこと、気づきをしっかり定め、うつを予防し、回復とウェルベーイングを支える仕方で対応することを比喩させるのだ。逆にマインドフルネスでない事には、リラクゼーションやリラックスするために行うものではないのだと。家人も私もマッサージソファの愛用者であるが、あれは肉体の凝りを解すもので、心までは解してくれない。但し、睡眠への誘いには最高のツールである。更に、氏は心を空っぽにしたり、何も考えなかったり、体験に背を向けたりすることでもないと断言する。又、かの賢者ハラリ氏が好む瞑想とは同一でないとも。ある意味、瞑想は注意を鍛錬する手段に過ぎず、マインドフルネスの訓練は、心をよりよく理解し、苦しみを軽減し、より大きな喜びと安らぎとともに生きることに役立てるために心を鍛えることだと。そして、冒頭で以下6点に絞った定義を述べているので、紹介して本ブログを閉じることにする。マインドフルネスは、①自然で鍛錬することの出来る人間的な能力、②注意と気づきをすべての体験にもたらすことを助ける、③与えられた瞬間に在るありゆることに等しく開かれている、④好奇心、親密さ、思いやりの態度をもたらす、⑤苦しみを軽減し、よりよりウェルベーイングを享受し、意味深くやりがいのある人生をおくるためにある。

