命の日 | 佐伯紅緒オフィシャルブログ「Salon de Rouge Annex」Powered by Ameba

命の日

{D7563125-62FE-47D4-9416-5602F0EA82DA}

GW中はどこにも出かけず、だらだらと家でひたすら原稿を書いていた。

そして連休明けの今朝、父の命日であることにハタと気づき、慌てて霊園へ車を出す。

思えば5年前、震災後のバタバタの中で父は息をひきとった。

父が末期がんで亡くなるまでの数ヶ月間、私は自宅と病院と実家を車で数え切れないほど往復した。

まあそれ自体は別にさしたる苦労ではなかったんだけど、困ったのは震災直後にガソリンスタンドが長蛇の列だったこと。

車がなければ父を病院に運べず、カンベンしてくれと思ったものだ。

それでも震災で亡くなられた方々に比べたら、家族に看取られベッドの上でひっそり旅立てた父はきっと幸せだったろう。

昔は人が死んだ日のことをどうして「亡日」でも「死日」でもなく「命日」と呼ぶのか不思議だった。

しかし、父の死を体験してから、この日が別に失う日でもなんでもなく、文字通り「命の日」だからだということがわかってきた。

うまく言えないんだけど、この日はそれまで身体というカラに包まれた命がそれを破り、ヒヨコみたいに出てくる日だから「命の日」と呼ぶんじゃないかと。

そう考えると、この日ってなんとなくおめでたい。

その反対に面白いのは「誕生日」。
これ辞書引くと「誕」は「嘘」、もっというと「いつわり」「でたらめ」という意味だと書いてある。
つまり「誕生日」は「人という、しょうもないものが生まれた日」という意味だ。

どう考えてもあんまりいい意味じゃなさそうだよね。
まあ人生、ままならないことばかりだし。

そんなわけで、空模様を心配しながらどうにかお墓参りを終えました。

{F7EB960E-F85C-4EDF-A9C8-43193539B5EA}

生前は晴れ男だった父、降水確率70%の中、墓参りが終わるまでどうにかもたせてくれたらしい。

お父さん、私をこの世に送り出してくれてありがとう。
「誕」の字に恥じずしょうもない人間ですが、娘はこんなままならぬ世の中でそれなりに元気にやっております。

ちなみにうちの父は若かりし頃、新東宝ニューフェイスに選ばれたくらいイケメンだったそうです。
(十手持ちで終わったらしいですけど笑)