紀伊田辺、鬪雞神社にて熊野三山の代理参拝 | Saeのお得ライフ ~カフェ・旅行・株主優待に恋しています~

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紀伊田辺の朝、

鬪雞神社に行きました


紀伊田辺の駅から5分くらいです


世界遺産が紀伊田辺に?と思いましたが、なるほど

こちらは、熊野三山の別宮的存在でしたか( ・∀・)





それは有難いし、助かる( *´艸`)

白浜までのサイコロ切符だったから、新宮までいけないし、熊野大社に行きたいけど今回は無理だなぁと思っていたから

鬪雞神社に祈願して三山参詣に替えたという伝承もあり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました。


 ↑を読み、三山参詣に替えてもらおうと朝食後にいそいそ向かった私

朝の参拝は気持ちいい

時計は見ずに行ったのだけど、本殿前に8時についたらしく、太鼓や祝詞が聞こえてきた





こちらにこれた感謝と、熊野の神様にお取り次ぎをお願いする

また、熊野三山にいけますように


↓は、弁慶と熊野別当だった父の像

壇ノ浦の合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が残る闘鶏神社。

社名の「闘鶏(とうけい)」は、合戦の際に
源平両軍から援軍を求められた熊野別当湛増(弁慶の父といわれる人物)が
どちらを支援するか占うため境内で紅白の鶏を闘わせたとされる話に由来。



↓末社に弁慶が祀られています


熊野別当が源氏につくか、平家につくか

それは、熊野水軍が、どちらの側につき、天下をとるかに繋がる

時代の分かれ目を闘鶏で占った地なのです

今、この変化ある時代の、七夕におまいり

何かしら意味があるといいなぁ

また、熊野大社にも行きたいな

水害で流される前の熊野本宮もこんな感じだったかもね




↑宮が並んでいます
↓社務所にある模型


おみくじ、大吉だった♪




御神木の下は涼しい


少し離れた場所にある若宮
このあたりから
鳥居前まで、昔は馬場があり、流鏑馬をしていたそう

紀伊田辺→弁慶→弁慶の父→熊野弁当→熊野水軍って流れになりましたし

駅にもどり、白浜の三段壁に向かいます

熊野水軍が船を隠していたという洞窟です

あ、そうそう

ここから、海側に向かうと扇ケ浜です



時事ネタに↓いきます、X

同時に色々くるね

中国、江西銀行倒産


本当はもう終わってる