今日は8月27日に行って来た御朱印巡りについて触れたいと思います。
前日、三四六さんのライブがあったので、東京に来るのなら泊りがけにして、二日目は御朱印巡りをしようと思い計画をしました。

この日、まず行ったのは『明治神宮』です。




9時前に到着し散策。人はまだまばらでした。
偶然にも朝のお勤めをされていたので、一緒に参拝いたしました。
御由緒書きについては、以前書かせて頂いているので省略したします。
(過去のエントリーはこちらからご覧ください。
今回は、前回、行かなかった『明治神宮御苑』も散策してきました。
『明治神宮御苑』
この御苑は御祭神、明治天皇・昭憲皇太后におゆかりの深い由緒のある名延との事です。
江戸時代(1603~1867年)のはじめは熊本藩主加藤家下屋敷の定演で、その後、彦根藩主井伊家にうつり、三代将軍徳川家光も訪れたといわれています。
明治維新(1868年)後、皇室の御料地となり、代々、木御苑と称されたそうです。
明治天皇は静謐(せいひつ)なこの地をいたくお喜びになり、
「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」
と、お読みになられたそうです。
広さは約83,000㎡あり、小径が熊笹の間を縫い、武蔵野の里山の面影をとどめているそうです。
苑内には、隔雲亭(かくうんてい)、南池(なんち)、御釣台(おつりだい)、四阿(あずまや)、花菖蒲田、清正井(きよまさのいど)などがあり、また、ヤマブキ、ツツジ、サツキ、フジ、ハナジョウブ、スイレン、ハギ、ツバキが季節を彩り、春の新緑や秋の紅葉、冬の雪景色など、四季を通じて楽しめるとの事。
(参照:明治神宮御苑パンフレットより)
明治神宮自体は無料で参拝出来ますが、「明治神宮御苑」は入場料がかかります。
入場料を支払って敷地に入ると、見渡す限り、自然で覆われていました。
時に朝だったので、清々しさを感じました。
『隔雲亭』
数寄屋造り(茶室風)の木造家屋は、昭憲皇太后の御休憩所として明治天皇が思し召しになったものとの事です。
南池までっ続くなだらかな斜面は芝で覆われ、ツツジは配植され、曲線を描く逍遥(しょうよう)の小径が巡らされています。
前にはからの眺めは語御苑の中心と言え、緑の芝を通じて静かな南池を見下ろし、池畔の老松、対岸の鬱青とした森が四季を演出。
皇后様は行啓の折にいつもこの亭に御休息になられたそうです。
残念ながら、戦火により焼失。昭和33年に篤志家により建て替えられたとの事です。
(参照:明治神宮御苑パンフレットより)
隔雲亭側から見た、園庭と南池。


『南池』
隔雲亭から見降ろす大地は南池(広さ8,300㎡)と称される、自然の古池で井伊家時代から「お泉水」といわれていたそうです。
清正井から花菖蒲田を潤した清水を漫々と湛え、周りの樹影を移しだし、夏にはスイレンやコウホネの花が咲くそうです。
明治天皇の昭憲皇太后への優しいお心遣いで放たれたコイやフナ、メダカが世代をつなぎ泳ぐ静かな池です。
カワセミやサギが魚影を求めて訪れ、冬期はカモやオシドリが羽を休めるそうです。時々、オオタカやルリビタキも見られる事です。
(参照:明治神宮御苑パンフレットより)
御釣台から撮影しました。
その後も散策を続けますと・・・。



『清正井』
この井戸は、江戸初期、加藤家の庭園だったことから、加藤清正が掘ったと言い伝えられているそうで、古くから江戸名井の一つに挙げられていたそうです。
滾々と湧き出る清水は、井戸水特有の冬暖かく、夏冷たく、年間15度前後と言われているとの事。
清水は花菖蒲田を潤し、南池で淀んだ後、池の水門から流れ下り、南山門に架かる神橋をくぐりふけ、渋谷川の源流となるとの事。
最近までは茶の湯に使われていたそうです。
(参照:明治神宮御苑パンフレットより)
実際、触る事が出来るので触ってきましたが、とても冷たく感じました。
この井戸は、パワースポットとされており、「家内安全」「恋愛成就」「社運降昌」「商売繁盛」の御利益を受けられるといわれています。
また、携帯の待ち受けにすると、運気を呼び込みやすくともいわれています。
但し、陰の気も吸ってしまう事もある為、参拝時間、礼儀作法には注意した方がいいそうです。
(参拝時間は午前中がいいとの事です。)
更に、清水が濁っている時は、悪いエネルギーが溜まっているそうで、撮影はしない方がいいそうです。
「明治神宮御苑」の散策はとても気持ち良かったです(^^)
最後に・・・。
