平成29年5月29日。
明治神宮へ参拝してきました。
前日に三四六さんのコンサートが、初めて関東の渋谷で行われるという事で、前日、東京へ。渋谷・青山を散策し、コンサート参戦。
その日はそのまま泊まり、次の日、渋谷・原宿を散策。
その中で、明治神宮へ行ってきたのでした。
『鳥居』
『南参道』
この日は平日でありましたが、海外からの観光客やツアーの方々などもいて、かなり賑わっていました。
日向は暑くて暑くて、大変でしたが、鳥居を潜ると、とてもいい風が肌にあたり気持ち良かったです(^^)
やはり鳥居を潜るだけで、静粛した雰囲気が広がります。
私達が通った参道は『南参道』でしたが、他に『北参道』『西参道』もあります。
どの参道も、南は原宿、北は北参道駅、西は參宮橋駅と、駅から近い所に参道があるようです。
(『戴いたパンフレット』より参照)
参道途中には、趣のある石橋や街灯があります。
『明治神宮御苑』
社殿に向かう途中の南参道沿い左手にあります。
(もう一か所、ここの他に入れる所があります。)
明治神宮御苑は、江戸時代初めから、加藤清正、井伊直孝の下屋敷の庭園だったそうですが、明治初め、宮内庁所管となったことで、皇室の御料地となり、代々木御苑と称されたとの事です。
ここには菖蒲田があり、明治天皇様が皇后様のために、全国から菖蒲の優良品種をお集めになられ、お植えられになったそうです。
また、南池があり、季節になると水連の花が咲くそうです。池の近くには、明治天皇のご意向により設けられた『御釣台』があり、 皇后様も時々楽しまれたとのことです。
『御釣台』の反対側には、『隔雲亭』があります。こちらも、明治天皇様のご意向皇后様のにために建てられたそうですが、戦災により焼失してしまったそうです。現在の『隔雲亭』は、昭和33年に再建されたものだそうです。
また、『清正井戸』と云われる、きれいな水が湧き出ている所があります。いわれによると、加藤清正が掘ったと伝えられ、一年中絶えることなく水が湧き出るそうです。
(『説明板』、『東京散歩』より参照)
『奉献 清酒菰樽』
「明治神宮御苑」の入り口から数分歩いた所に、清酒の樽が納められていました。
この菰樽は、様々なご縁により長年明治神宮へ奉納をされている関東会を始め、明治神宮全国酒造敬神会委員、全国各地の酒造家より奉納されたものだそうです。
(『説明板』より参照)
私の地元、長野県のお酒の菰樽も奉納されていました。
『奉献 葡萄酒樽』
奉献 清酒菰樽の反対側には、葡萄酒樽が。
こちらの樽は、ブルゴーニュ東京事務所代表でブルゴーニュ名誉市民、またホテルのオーナーでもある佐多保彦氏の呼びかけにより、フランスのブルゴーニュ地方の醸造元各社から奉納されたものだそうです。
(『説明板』より参照)
残念ながら、写真を撮ったはずなのに手元に残っていなく・・・。
(途中でメモリーカードがいっぱいになってしまい、上手く撮影出来ていなかった写真を消去したりしていたので、もしかしたらその時、一緒に消してしまったのかも・・・。(TT))
清酒菰樽、葡萄酒樽が奉納されている場所から、更に数分歩いて行くと、北参道と合流。
その合流地点を左手に曲がると、鳥居が見えてきます。
『大鳥居』
この鳥居は、日本にある鳥居の中で、最も大きい木造りの鳥居だそうで、『明神鳥居』といわれているそうです。
現在の大鳥居は、昭和50年に建替竣功、篤志家より奉献されたものだそうです。
形式、寸法は共に、大正9年に創建された鳥居と同じサイズとの事です。
(『説明板』より参照)
今まで様々な鳥居を見てきましたが、大きさに圧倒されました!!

『明治天皇御製』
大鳥居を潜り進んで行くと、突き当りに、『明治天皇御製』が掲げられています。
ここでちょっと言葉の勉強。
「御製(ぎょせい)」
天皇・皇族方がお作りになった詩文や和歌であるそうですが、現在では、特に天皇のものに限って用いられているとの事です。(御製歌とも呼ばれるそうです。)
「践祚(せんそ)」
天皇の地位に御付きになられる事だそうです。
勉強させて頂きました。
御製の看板から右手に曲がって行くと、社殿が見えてきます。
ここから明治神宮の境内ですね。
その前に、手水舎で清めます。
手水舎の柱には、明治天皇様の御製、昭憲皇太后様の御歌が。
手水舎で身を清め、境内へ。

『山門』
先月でしたが、たまたまTVで、とある場所の山門の屋根を支える「組み木」について放送をしていました。
「組み木」は、釘を一切使わず、様々なパーツを木で造り、それを組み合わせていき、屋根を支える役割を果たしています。
一番多いのは3段~4段だそうですが、屋根が重ければ重い程、組み木も何段も重ねてられるそうですが、ある場所では十数段組まれていると解説がありました。
(かなり複雑に組まれているんだそうです。)
そのTVを見てから、組み木部分を見るのも楽しみの一つに♪
明治神宮の山門は3~4段ですかね。
(部分的に白くなっている部分が、「組み木」の先端です。)
『山門の扉』
これは菊紋ですかね・・・!?
天皇家の御紋は菊紋なのですが、ちょっとデザインが違うのではっきりとは言えないのですが・・・。(正式な菊紋は天皇家以外は使えないので、ちょっとデザインを変えた!?わからないですが=3)
それにしても、立派な扉です。
『社殿』
残念ながら、現在、工事中の為、写真をプリントされた布で覆われていました。
『明治神宮』は、明治45年7月30日、明治天皇様が崩御されると、ご聖徳を慕う国民の間から、ご神霊をお祀りする神社を創建したいと熱望する声が沸き上がったそうです。
その後、大正3年に昭憲皇太様が崩御され、そのご神霊も御一緒にお祀りする『明治神宮』が代々木の地に造営されることとなったそうです。
(『戴いたパンフレット』より参照)
境内の造成にあたっては、全国各地から延べ11万人にも上る青年たちが、真心こもる勤労奉仕が行われ、全国から10万本の樹木が奉献されたそうです。
そして、大正9年11月1日に明治神宮は鎮座されました。
(『戴いたパンフレット』より参照)
そういえば、今年の一月、稀勢の里関が横綱に昇進し、奉納土俵入りをしたのもここの場所ですよね!!
その地に行けたと思うと感無量です(*^^*)
また、パワースポットとしても有名なんだとか!?
明治神宮は2020年に100周年を迎えるそうですが、植樹は相当早いペースで緑が生い茂ったそうで、100年を待たずに完全な自然の森になったそうです。
それもそのはず、富士山から皇居へ向かう龍脈が合流する土地にあり強力な龍穴パワースポット(大地の気がみなぎる場所)にあたるんだそうです。
それもそのはず、富士山から皇居へ向かう龍脈が合流する土地にあり強力な龍穴パワースポット(大地の気がみなぎる場所)にあたるんだそうです。
縁結びで有名なパワースポット神社は、東京にいくつもあるようですが、良縁パワーだけでなく、龍穴の協力な自然のエネルギー、広大な鎮守の杜の癒しのパワー、泉の浄化・再生和パワー、全てが揃うのは、都内では明治神宮だけなんだそうです。
良縁や人間関係を良くしたい方に、おすすめ神社だそうです。
行く前に知っておけば良かった・・・。
大正9年に明治神宮が鎮座した当時に献木され、それ以来、御神木とされているそうです。
両樹木は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び・夫婦円満・家内安全の象徴となっているそうです。
(『説明板』より参照)
参拝をした後、後ろを振り返ってみると、結婚式をあげる新郎新婦が、境内を通り、社殿に向かい場面に遭遇!!
とても素敵でした(*^^*)
『神楽殿』
社殿から向かって右手にあります。(右手にある『山門』を出てた左手にあります。)

御朱印をいただいた帰り道。
南参道にある鳥居に向かって右手に掟となる看板が。
『明治神宮』が鎮座した大正9年から、この掟はあるようです。


『神宮橋』
原宿へ向かう際、ここを通りました。
この橋も大正9年に、明治神宮の造営時に、山手線を跨いで架けられた橋だそうで、当時としては珍しく鉄筋を使用したコンクリートの橋桁であったそうです。
橋の装飾は最も苦心したそうで、御影石の高欄部分には黒松を植樹し、橋を渡る人々に下を走る列車を気付かせないように配所すると共に、橋詰には石燈籠を現代化した親柱を建てたそうです。
しかしながら、この橋も寄る年波には勝てず、60有余年間でその使命を果たし、新しい橋に架け替えられたとの事です。
新しい橋は、古い橋の姿をできるだけ損なわれないように、高欄は御影石を使用し再現、親柱は当時の物を補修しそのままの形に復元したそうです。また、舗装部分の装飾には御影石を組み合わせて、その中に渋谷区の木「けやき」をデザインして配置し、新しい原宿の町にふさわしく明るい感じとしたものとの事です。