「安智羅神社」の次に、「山家神社」内にある『真田神社』へ行きました。

『真田神社』
明治21年10月15日建立。
真田氏は旧真田村より出て領主となるや善政を敷き、領民を大切にしたそうです。その徳を敬い慕い、その神霊を慰めようと長村内外の有志が集まり真田神社の建設を図るべく、明治18年3月30日出願、翌19年に許可を得て県下はもとより真田氏に縁故の深い大阪などからも建設資金を仰ぎ工事を進めましたが、明治20年4月の大火で類焼してしまったとの事。
その後明治21年10月15日本殿祝詞殿を再建、28年には拝殿が再建されたそうですが、その後は社頭は荒れるにまかせたまま放置されていたそうです。
これを嘆き大正8年に現今の場所にご遷座。
昭和24年本殿建設の議がおこり、昭和25年11月2日本殿遷座祭を行い次いで当日長村内の戦没者の英霊を合祀されたそうです。
社宝は明治25年の創立時には、古文書、刀剣類など数十点の宝物があったそうですが散逸してしまいました。ただ、昌幸文書一通が真田町教育委員会に保存されているそうです。
御祭神:真田幸隆、真田昌幸、真田信之、真田幸村
西南・日清・日露戦争・満州・支那事変・太平洋戦争等国家公共に尽した長村内149柱の英霊
西南・日清・日露戦争・満州・支那事変・太平洋戦争等国家公共に尽した長村内149柱の英霊
(『長野県神社庁』HPより参照)

『のぼり四つ梯子』
真田昌幸公が武功をたて、武田信玄公より拝領したと云われる甲冑に描かれた縁起物。
さらなる活躍を期待されたものだそうです。
真田氏にあやかり梯子に触れ出世を願う事が出来ると云われているそうです。
(ご由緒書きより参照)



『慰霊碑』
「真田神社」の左手側に建立されています。
大東亜戦争にて、多くの尊い命が失われ、「真田神社」が鎮座している長地区からも149名の尊い命が失われたそうです。鎮魂と、世界平和を願い慰霊碑をたてたそうです。
(ご由緒書きより参照)


『白山寺跡』
「真田神社」の右手に『白山寺跡』があります。
ここには、山家神社の神宮寺として、白山寺があったそうです。
創建年代は分かっていないそうですが、鎌倉時代以前とみられているそうです。
明治維新以前は、「山家神社」と同敷地内にあったそうですが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃寺となり、白山寺の本尊の十一面観音像は実相院、仁王像は鹿教湯温泉にある文殊堂、石燈籠は山家神社に移されたそうです。
(ご由緒書きより参照)
