十念寺(長野市) | ~日常ブログ~

~日常ブログ~

りえの日常を徒然なるままに書いたブログです。


読書登録お待ちしております!

『善行寺七福神巡り』関係の神社、お寺のご由緒等の紹介も最後となりました。

最後は・・・。
 

『十念寺』
善行寺と長野駅の中央の位置に鎮座されているそうです。
境内左手には、『善行寺七福神巡り』の一か所とされている『秋葉神社』も鎮座している珍しい所です。
 
今から800年有余年前の建久年間の創建で、源頼朝公を開基とされているそうです。
ある時、頼朝公が善行寺へ参拝に向かう時、行列がこの地にさしかかると、にわかに紫の雲がたなびき、一光三尊の阿弥陀如来が影現、頼朝公に直接お念仏を10回受けたそうです。この摩訶不思議な縁に、頼朝公は、この地を聖地と定め、一宇を建立。紫雲山頼朝院十念寺と名付けられたと伝えられているそうです。
(『全国善行寺会』HPより参照)
 
『練誉上人名号碑』
十念寺第15世練誉貫道上人の揮毫といわれているそうです。
 
『徳本行者名号碑』
江戸時代後期の浄土宗の僧である徳本上人の六字名号碑といわれているそうです。丸みを帯びた独特の文字で「南無阿弥陀仏」と書かれているそうです。
 
IMG_20170514_100026518.jpg
『観音堂』
天保11年に穀物問屋久保田新兵衛苗肥により再建されたとの事です。安政3年(1856)に問御所町の川添五左衛門を施主とする百躰観音が合祀されたそうです。
 
『六地蔵』は写真撮り忘れました・・・。
 

『円盤石碑』

十念寺観音堂の床下から発見されたもので観音菩薩坐像が刻まれ、「御仏の誓ぞ高くかがやきて朝日に掛かる紫の雲」 の道歌が刻まれているそうです。宝永2年(1705)の円盤石碑との事です。

 
『正道大和上名号碑』
美作の誕生寺第22世正道大和上の揮毫と言われているそうです。
文政2年(1819)に、卓道律師が建立したと云われているそうです。割れて市内2カ所に分散していたのを住職が偶然に発見、元通りにつなぎ合わせたものだそうです。
 
IMG_20170516_162802335.jpg
『大仏堂』
お堂の中には、出世大仏が安置されています。
この大仏は善光寺地震(1847)で傷ついていたものを、現住職が数千万円かけて修復したものです。その時、大仏の胎内の「願文札」に「寛政11年(1799)6月」の建立年月と「羽州(山形県)寒河江産・正道」と願主名が墨書されていたことが分かったそうです。
普段は鍵がかかっており、開けて貰ってから観る事が出来るそうですが、この日は鍵が開いており、自由に観る事が出来ました。
 
たまたま、私と同じタイミングで七福神巡りをしている老夫婦が、観光ガイドを付けて巡っていらっしゃったのですが、その観光ガイドさんが「今日は鍵が開いているので見る事が出来ます。」と話していたのを聞き、私も中に入ってみたのですが、黄金に輝く大仏様が、かなりの大きさで鎮座されていてビックリしました(((゜゜;)
ガイドさんの話を聞いていなかったら入っていなかったかも・・・。
 
IMG_20170514_100158265.jpg
また、子ども地蔵を大切に抱く、お地蔵様もいらっしゃいました。
 
あとで知ったのですが、参拝の際、「ニ礼二拍一礼」をうたっている所が多いですが、『十念寺』の場合、「南無阿弥陀仏」と10回唱えるんだそうです=3=3
次回、伺った時、その方法で参拝したいと思います。
 
『善行寺七福神巡り』に関わる神社、お寺紹介は以上です。
 
(石碑、観音堂等の由来、『好奇心いっぱいこころ旅』参照)