長谷寺(上田市真田町)① | ~日常ブログ~

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なかなか、御朱印巡りの話が更新出来ずにいてすみません・・・。m(_ _)m

季節はすっかり秋ですが、夏に8月に行って来た御朱印巡りの話です=3

 
平成29年8月6日。
 

 
 
『長谷寺』へ行って来ました。
長谷寺と書いて「ちょうこくじ」と読みます。
 
 
ここは真田一族にとっては大切な寺。
武田軍随一の謀将・真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺です。
 
長谷寺は昔、種月庵と呼ばれていましたが、天文16年(1547年)真田幸隆が晃運和尚を開山として迎え、真田山長谷寺を創建、菩提寺としました。昌幸の代を経て元和8年(1622年)信之が松代へ移封となり、同地へ長国寺を建立したので、現在はその末寺となり今日に及んでいるそうです。
この長谷寺は何度も災難に見舞われ、現在の建物は昭和から平成の間に再建されたものだそうです。
(『御由緒書き』より参照)
 
 
 
『長谷寺枡形』
宗洞宗や臨済宗などの禅宗の寺の入口は、直角に曲がって参道に続いているのが一般的であり、「枡形」といわれているそうです。
ここは寺との境界を示す場所で、修行の妨げになるものや、行為を厳しく制限し、気持ちを改める場所とされているそうです。
 
「長谷寺枡形」は、以前は岩井堂側に沿った街道から続いていたそうですが、昭和初めに、北側に直線道路ができてからは、あまり使われなくなっているそうです。
(『御由緒書き』より参照)
 
写真がなんか変になっている・・・Σ(°°;;
申し訳ございません・・・。m(_ _;)m
 
 
『満霊塔』
この世に生あるものすべての霊を供養するための塔との事。
寛政5年(1793年)の年号があるそうです。
(『御由緒書き』より参照)
 
 
『禁くん酒』の石碑
「くん」とは、にらや、にんにく、など匂いの強いものをいうそうです。
(『御由緒書き』より参照)
 
 
『南無阿弥陀仏』の石碑
明治維新の神仏分離で廃寺となった「白山寺」から移動された「名号塔」との事。
(『御由緒書き』より参照)
 
 
また、枡形の東側には「筆塚」(と読んでいいのでしょうか?)の石碑もあります。
 
 
「枡形」を通り過ぎ、参道へ向かいます。
 
 
 
 
 
参道には、六地蔵や祠などがあります。
 
 
『山門』
珍しい形の山門です。
創建当時からあるものと云われ、1つの岩を切り出したとも云われているそうです。
 
 
 
『境内』
境内には枝垂れ桜の木があちこちに見られます。
桜の名所の一つとされています。
実は今回初めて伺ったので、次回は桜の時期に来てみよう思います。
 
 
『鐘楼』
平成20年に再建されたものだそうです。
(『御由緒書き』より参照)
 
 
 
 
『本堂』
昭和53年に再建されたそうです。
(『御由緒書き』より参照)
 
 
本堂入口の扉には六文銭。
 
 
本堂前には、藁で作られた馬が祀られています。
ここには、沢山の絵馬がつるされていました。
(絵馬をつるす場所もちゃんとあるのですが、ここにつるす事で、更なる御利益があるのでしょうか?)
 
 
大堂建立記念として設置されたそうです。
 
 
 
 
 
更に境内には、境内図や年表、石碑や石燈籠などもあります。
 
 
 
また、境内に蓮も咲いていました。
 
続く・・・。