人間は考える葦なのか? | 両利きになった時が真骨頂

両利きになった時が真骨頂

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たまに何もかもわからなくなりそうになる


ある本の言葉を借りるなら、

時間は常に継続してる。でも感覚は断絶してる。


ってな具合。

めまぐるしく流れる時間に自分はついていけないなと。


ついていけてるし日常はこなしてるっちゃぁ


こなしてはいるけど咀嚼しきれていない


もっとゆっくりじっくりといけないものか

感覚が取り残される


理屈ではどうにもならないことは、心で解ろうとするしかない。

光陰矢の如し

だな。世の中。


色々思考を巡らせてしまう。

夕方たまにワンコの散歩に行った時は無心になれる。

この季節は夕方といっても、もはや暗くて


リードを握る手の感覚が寒さで麻痺して


でも握り締めて、グズるワンコを引っ張って歩かせ


自分もスタスタ歩く。


フードかぶってヘッドホンつけて、周り暗くてほぼ何も見えなくて


ただただ歩く


ワンコつれてることすら忘れかける。


たまに灯りに映って、私の影の横に四つ足動物の影も映る。

その時初めて

あぁオマエもいたね


ってなる。

軽く引きずってたらごめんてね(^ω^;)(;^ω^)


悪気はないのね。

ひたすらに歩く。

それ位に無心になれることは日常になかなか無いのでそんな時間も悪くないと思う。


さっきも電車で思考を巡らせてたら、横にいたリーマンオヤジが、

いかがわしい出会い系サイトを(今時ベタすぎッ)


体を傾斜させながら夢中で見ていた。


それ見たらゲンナリしてしまった。

すごく軽蔑してしまった。

なんか考えてる自分が馬鹿らしくなって思考を止めた(υωυ)


考えても時は止められないし。

でも考える。

感覚と時間の差を少しでも埋めたいなと思う。

そしたら少しラクな気持ちになれる。


今になってミカンがめっちゃおいしく感じる。