息子には、テストの結果の中で、順位表や偏差値表を、あえて見せないようにしています。
見せるのは、自分の点数のみ。
 
 
受験では、自分の実力が相対的にどのくらいの位置にいるのか?はとても重要な情報です。
 
 
中学受験塾は当然、それを偏差値という形で生徒に示し、生徒同士を切磋琢磨させたいという意図があるでしょう。
 
 
おそらく、それを息子に示して、「偏差値40だから、次は50目指そう!」などと言って、やる気にさせるのは簡単だと思います。
 
 
でもそれって、本当の勉強とは何かが違う。
 
 
勉強って、わからないことがわかるようになること自体が面白いのであって、競争に勝つことを面白がるものでは、本来ないはずです。
 
 
与えられた枠組みの中で、答えがある問題に対して、最速で正確な解を導く競争。
 
 
そんな競争に勝つための訓練、それを勉強だと勘違いしてほしくないのです。
 
 
答えのない問題に対して、手元にある武器だけを使って試行錯誤し、多くの人が納得できるような妥当解を導く。もしくは誰も到達し得なかった新たな解を導く。
 
 
そんな力をつけるための訓練を、答えがある問題を題材にして行う。それが初等中等教育における勉強だと思うのです。
 
 
おそらく偏差値を知ってしまうと、よりその数字を引き上げようと努力を始めるでしょう。
 
 
単純な解法暗記競争、表面的な理解に基づく点取り競争に陥ってしまうかもしれません。
 
 
わからないことに対する純粋な興味関心、それを知ろうと試行錯誤する心を打ち壊してしまうほどの破壊力が、偏差値にはあると思います。
 
 
息子と娘には折に触れて、より本質的な勉強観を説いていますが、とはいえいずれはどこかで受験はやってくる。偏差値の魔力からは逃れられないでしょう。
 
 
偏差値の概念と功罪をうまく伝えるタイミングを見計らわなければならないと考えています。