人々は、なんで酒なんて飲むのでしょうね。
続きです。
>君子であるのに必須とも言える資質/価値観が、貨利に恬淡。
徳有る者には位を、能有る者には事を、功有る者には禄を。
出典は忘れましたが、人格の優れた者には位を、有能な者には仕事を、功績のある者には報酬を。
日本では、全部一緒くたにするんですよね。
人格など考慮せず、能力や諂いで抜擢し、地位を与え、地位に応じて給与が上がる。
人格がゲスな者は、難しい仕事から逃げて他人にやらせ、足を引っ張り失敗させ、引きずり下ろしたり。
或いは単純に誹謗中傷したり。
そして出世すれば、派閥を作ったり無徳無能を抜擢したり。
己も無能だから、数字でしか評価できない、数字のみを評価する、だから数値目標を設定してそれを達成しろと尻を叩く。
その結果は言うまでもありませんね。
日本の大企業も、それで多くが崩壊していきました。
素晴らしい発明などをしても、開発者研究者には碌に対価を与えず、全部役員が掻っ攫っていったり。
論語 得るを見ては義を思う、
老子道徳経 罪は多欲より大なるはなし、禍は足るを知らざるより大なるはなし、咎は得るを欲するより大なるはなし。
統率も抜擢も公明正大不偏不党、部下が全力を発揮できるように差配し、ただ全体の為にのみ尽くす。
>君子が国家公務員であれば、国家の国力を最大化するため、その責任を果たそうとする。
防衛省改革会議の最終報告にある、"全体最適"。
貨利に恬淡でなければできません。
防衛省改革会議最終報告は、部隊の役には何も立っていないと思いますが、私は何度も読みました。
有位者が貨利に恬淡だからこそ、全体が富み、結果己も富む。
有徳者でなければできません。
小人は、他人から奪って己や党与を富ます。
だからこそ"徳有る者に位を"。
「小人閑居して不善を為す、至らざる所無し。君子を見てのち焉然として、その不善を覆いてその善を顕す。人の己を見ること、それ肺肝を視るが如く然り。即ち何の益かこれ有らん。」
小人が取り繕っても無駄。
人を存るは眸子より良きはなし。
目を見て言葉を聞けば、人となりは隠せない。
この逆も真で、君子にしか君子は分からない。
当たり前ですね。
磨りガラス越しに澄んだガラスを見ても、存否は分からない。
濁った目では澄んだものは見えない。
韓退之の馬説、伯楽の話。
名馬が居ないと嘆く人々。
名馬は、他の馬の何倍も走る。
もちろん他の馬の何倍も食べる。
でも、馬の良し悪しの分からない者は、名馬が居ても満足に食べさせない。
名馬が鳴いてもその意は通じない。
結果、名馬は居ても知られず世に出ない。
真に馬無きや、真に馬を知らざるや。
宋玉の対楚王問、郢客陽春を唱う。
老子道徳経、下士道を聞かば、大いに之を笑う。笑わざれば道と為すに足らず。
小人が君子の行いを見れば、「馬鹿だなぁ」と笑うもの。
仕事なんて真面目にやる必要はない、全力をだすなんて馬鹿馬鹿しい。
苦情申し立てなんて処理する必要はない、パワハラで鬱にさせて退職に追い込めばいい。
まぁこんなものです。
これを読んでいるあなたも、その周囲も、そんな人間ばかりでしょう。
それが普通なんです。
君子なんて千万人に一人居るか居ないかでしょう。
君子は異常者なんです。
どうせ無駄なのに、賛同する者など居ないのに、私欲を一顧だにせず公義に奉じる。
デンドロフィリア=樹木性愛、ネクロフィリア=死体性愛、これらの異常とされる性癖も、皆が持っていたら異常では無くなる、病気にも分類されない。
今の世では、君子は、病気=精神疾患に分類されるような嗜好です。
でも、そうでないとまともな統率者になどなれないでしょう。
何度も言及している、「上級指揮官の統率に関する若干の研究」の著者、中村悌次元海幕長。
wikipediaには、「退官後は、後輩に迷惑をかけてはいけないと考え、防衛関連企業への天下りはしなかった。」との記述が有ります。
その理由が事実か否かは本人にしか分かりませんが、事実であれば、なんと寡欲な事でしょうね。
スケールは物凄く小さくなりますが、私もジモティーで物を売るときに、実際に会った相手が人柄がまともだと、何割か割引したりします。
目を視て、その表情を見て、最初の一言を聞く、それだけで十分。
まぁ多くても5000円とかその程度なのですが。
>君子小人は、眼に出る。
私が子供や犬が好きなのも、目が綺麗だから。
心が歪んでいないから。
濁った目をした小人は見るのも嫌で、前に述べたように、動画サイトなどでは即チャンネルブロックしたりしています。
この社会で、何の益も無いのに君子の道を往く。
ただの異常者ですよね。
「そんな事して何が楽しいの?」
異常性癖と何も変わらない。
小人こそが、圧倒的多数派、マジョリティなのだ。
>君子小人の資質の話でした。
>生来の資質で制限を受けるのでは? という。
>他人の事は分からない。


これらの絵は、スプーというキャラクターとペンギンを、何も思い出しながら描いたもの。
スプー

ペンギンは兎も角、スプーを描いた人には、先天的な視覚の障害が有るとしか思えない。
脳の視覚野での情報処理でエラーが生じているのか、或いは視覚野からの情報の伝達時にか、本人の意識が情報を上手に処理できないのか。
これでも、スプーを描いた人は、普通に生活していて、絵を描かなければ普通の人にしか見えないのだ。
君子にも、脳内の価値の順位付けで、常人にはないエラーでも発生しているのでは無かろうか。
絶対に得られないものに向かって無駄な努力?を好き好んでしているのだ。
アホじゃなかろうか。
>これまで色々好き放題書いて、己の在り方を小人だと貶された気分になった人も居るかも知れない。
小人は圧倒的多数なので、小人と言われたところで「あなたはまともな普通の人です」と言われているに等しい。
小人であることは、誇れる事なのだ。
世に君子が僅少なのも、小人に生存競争で敗れ、淘汰されたからなのだ。
滅びゆく価値観なのだ。
…でもまぁ、寒冷地産のニンニクでも暖地で育てば暖地向きの球根を形成するように、君子向きの環境で育ったなら、君子になってしまうのかも知れませんね。
今の日本は小人だらけ、その土で君子が育つのは困難。
でもまぁ、突然変異というものも有りますし。
論語で一番繰り返されている言葉、「己に如かざる者を友とするなかれ」。
訳すまでもないですね。
この言葉は本当に何度も出てくる。
もちろん徳行についての言葉。
君子の道を往くのに、小人は近づけてはならない。
どうやっても理解される訳がない。
徳行において同レベルであって、初めて友とすることができる、語り合うことができる。
徳行が我を上回っていれば、師として仰ぐ。
孟子は、今の世に師や友を得られなければ古に求めろ、書を読めと言っています(古人を友とする=尚友)。
私は、論語などを読み、哲学を確立してからは、漢籍を読み漁りました。
文庫本で入手できないものは、遠くの大きい図書館に行って漢文新釈体系を借りて読み、良い箇所の原文と読み下し文、語訳などを書き写して。
部隊でも、資料などを読み漁っては主に精神教育系のもので同じことをしました。
今でも全て捨てられずに持っています。
四書五経、春秋戦国の諸子百家、文選・文章規範・古文真宝・唐宋八家文、貞観政要、菜根譚、その他少々、全部読んだ。
古い西洋哲学も、岩波文庫のものは全部目を通した。
矢張り論語だけはもう別格、圧倒的。
中庸と大学がそれに続いて。
韓愈の師説、原毀、馬説、獲麟解、伯夷頌、蘇東坡の刑賞忠厚之至論、欧陽脩の朋党論、宋玉の対楚王問。
孟子の言う尚友ですね。
周囲に君子が居なくても、心に友を持つことができる。
己の心中の友なのだから、幾らでも理想化できる。
それは、周囲の小人に毒されないバリアとなるのかな。
己の人生でこれらの書を読んでいなかったら、どうなっていただろう。
人生や歴史で if で比較などできないが、後天的資質の形成にかなり影響が有ったのかもしれません。
私は、人生で if での比較はできないので、己の選択でどんな結果を招こうと、後悔はしていません。
というより、若い頃に哲学を確立した事が人生で最も良かった事だと思っています。
哲学=世界観人生観、自分とは何か。
自分とは何か、これをちゃんと考えている人って、どれくらい居るのだろう。
少なくとも、喫煙者はこれをしていないと思っています。
これができなければ、知者にはなれないでしょう。
これについては、また機会があれば書くかもしれません。
>自衛隊に於ける表彰。
>「この人に賞を貰った、それが本当に誇らしい」
先に挙げた、蘇東坡の刑賞忠厚之至論。
名文なので一読すると良いです。
「俺はただの小隊長だから、部下に賞を与えるなんて無理」なんて言えなくなります…まともな人間なら。
科挙で課題を与えられて即興で書いたとはとても思えない。
賞罰を与えることの本質が分かります。
部下は心で動くんですよ。
幹部自衛官どもは、統御を軽視…というより舐めていませんかね。
クズな自分の上司同僚を見るんじゃない、手本が居なかったら尚友を作れば良い。
己に如かざる者を友とするなかれ。
出世したいなら、その反対をすれば良い。
今の世、君子の道は、出世とは正反対にしか敷かれていません。
承認欲求。
羽虫やミミズに自分を誇る人など居ないでしょう。
インスタ映えとか、知り合いの旦那が自分の旦那より収入良くて羨ましい!とか、アホかと思います。
自分が賞を与えた相手にそれを誇ってもらうには、どうすればよいのでしょうね。
>○級賞詞だ○級賞状だ、と。
>こういうのはね、「何を貰ったか」じゃないんですよ。
>大事なのは、「誰に評価されたか」。
君子は、小人がどう思おうが一顧だにしません。
人の己を知らざるを憂えず。
これも論語で頻出する言葉。
部下に君子が居たとして、君子を賞して喜ばせたかったら…?
邦に道有るに貧く且つ賎しきは恥なり、邦に道無きに富み且つ貴きは恥なり。
これも論語。
そういえば、日本人に多い「言葉は誰が言ったかで価値が決まる」。
本当に、日本人は無哲学が多い、小人だらけだと実感させられる言葉。
言葉の価値は、発言者じゃねえよ、その言葉がどういう意味を持つかだけで決まるに決まってんだろ、アホなのか? 馬鹿なのか? と思います。
すごい人が「うんこうめえ!」と言えばその言葉が大事な言葉になるのか?
こんな事もわからないんですよ、あの馬鹿連中は。
本当にどうかしている。
論語には、「人を以て言を挙げず、人を以て言を廃せず」とあります。
まぁ論語を引くまでもありませんよね、この程度のことは。
私だって、論語を読んでその中の言葉を鵜呑みにしたりはしません。
例えば、有名な「三十にして立つ」。
"立つ"の意味は、全く分かりません。
そもそも、論語なんて自分の確立した哲学、自分の目的追求方針に合致してるかどうかで読んでいます。
正直、心中では孔子を尚友としています。
以前も述べたかな? 自分の心中では自分のレベルが上限になる。
孔子と雖も、私の心中では私以上になれない。
「昔、孔子という私と同レベルの人が居たんだ、嬉しいなぁ」。
この程度の思いです。
現実に会ったら、多分平伏して師事を乞うのでしょうね。
賞は、誰が賞するか。
恐喝や強姦ばかりしている人間に賞されて嬉しいのか?
言葉は、何を意味するか。
便所の壁に書かれていようと、孔子が言おうと、同じ言葉ならその価値は同じ。
違う価値だと感じるのは、言葉の意味が理解できないから。
以前も書いた…戦藻録でしたっけ? いや、違うような…。
旧海軍の士官教育機関で、「教範を金科玉条にするな」だかなんだか。
今の自衛隊関連法規では、制約が多すぎて有事に自衛隊の目的を果たせないかも知れませんね。
彼は、以前「正義」に反対していましたが、有事、いざその時は平然と法を犯す覚悟をしていたそうです。
これは退職した後だから言える事でしょうけど。
死ぬ覚悟、死の受容も済ませていたとも…以前書きましたっけ、コレ。
今の自衛官で、死の受容を済ませている人はどれだけ居るのでしょうか。
君子は貨利に恬淡。
貨利よりも大事なものが有る。
それって、ひょっとして命よりも大事なのでしょうか。
子のためなら死を選ぶ、という親は少なくないでしょう。
職務の為に死ねる、という自衛官は、どれくらい居るのでしょうね。
彼は、「戦闘で死んでも、納税者への責任を果たすためなら仕方ない」程度の考えしか持っていなかったそうですが。
とりあえず38の補足が終わりました。
多分暫くお休みです。