あまり形にせず、徒然に…

 

きっかけは結局「不要不急」である。

それまでも、演奏とは何なのか私はわかっていないのではないか、という漠然とした不安はあったが、この言葉で、はっきりとした疑問と、解決すべき問題となった。演奏会は不要不急であると言われてしまうと、何のために弾いているのか、いたのか、分からなくなった。音楽家がいなくても世は回る。

教えることも増えつつあったが、それも別に自分でなくて構わない。何を自分の核として生きるのか、それを見つけねばならなかった。

 

コロナきっかけに社会はオンライン依存へ傾斜し、その後AIの発展と普及が大きく進んだ。人間とAIの関わりはどうなるのか。演奏は人がすべきものなのか、ますます分からない。

AIは何でも弾けてしまうからつまらないなあと思うが、じゃあ「弾けない可能性もある人間」が苦労している姿を私は見たいのだろうか。いや、きっと奇跡は人間にしか起こせないだろう。奇跡に夢を見たい、芸術はそんなものだと思う。

 

 

弾くからには「良い」ものを求めたいと考えていたが、根本的に自分が良いと感じる音楽は世間に大して評価されないという諦めがあった。だから冒頭のような疑問も生まれたのだろう。ただ自分が評価されないからというケチな発想では断じてなかった。

ようやく、自分が「良い」と思っていたらそれで良いのだと腹に落ちてきたのは最近のこと。本当に長い時間を要したなあ…思えば、大学に入学した頃から完全に失われていたのだろう。

「良い」ということは何か、と考えることは強い助けとなった。哲学的な思索を見よう見まねでしてみたり、本を読み漁ったり、遠回りを楽しめるようになったのも良い変化だった。

 

もう遅いかな、と思う自分を叱咤して、求め続けようじゃないか。