教わる、もしくは自ら考え、想像し、内的に発展したからといって、演奏の質を向上させるとは限らない。

演奏は実施であり、表に出てきているその瞬間の音が全てである。自分のやりたいことが実施できている演奏はそれだけで立派に成立し、聴き手は安心してその音楽に身を任せることができる。それが不快であれば離れれば良い。

 

逆に、実施が不安定な演奏は本当に勿体無い。演奏者にとっては道の一つの地点だが、その空間は一度きりしかないのだ。当然内的充足は透けて見えるものだとしても。

 

考えることと実施の距離は正確に見る必要がある。「考えること」を過剰評価してはならない。

内的充足があればあるほど、その実施には膨大な労力を必要とするのは当然だろう。

 

 

長い道のりである。少しでも還元していきたいものだ…