演奏会の始まりと終わりはどこなのか。

 

実際の音楽、音としては、音の振動が始まり、収まった瞬間が始点と終点になる。しかし、その音をどのように認知するのか、が演奏会を聴くことの本質だとすると少し様相が変わるように思う。

聴き手にとって、演奏会の会場、そこまでの道のりはもちろん、経験や環境、生全てがそれに影響するのであれば、生まれた瞬間から、そのある瞬間の音楽への道は始まっているとも言える。

(まあさらに言えば、その音楽自体が世に現れた瞬間はいつなのか、という思索も必要になるのだが、それは演奏会というよりも演奏という行為への吟味になる。)

 

さて、実際に演奏会に対して演奏家が関与できる部分だが、実はかなり広範である。

音が出ている時間はもちろんだが、どのようなお辞儀をするのか、どのタイミングで扉から出ていくのか、歩くスピードは…など舞台上だけでも枚挙にいとまがない。その瞬間から聴き手は常に舞台に意識を向けているのだから、その立ち居振る舞いによって、音楽がどう聞こえるか、も当然変わる。

チラシのデザインもそうだ。見た瞬間にその演奏会への思惑が始まる。

会場に関してはまあ厳密に言えば演奏家のみが決められることではないが、その選択も演奏会の一部であろう。

 

こうして考えていくと、そもそも演奏家の在り方自体が演奏会に大きく関わっていることに気付かされる。演奏会に関わること全ての選択が演奏会という場に影響を及ぼすのであれば、それは演奏会の場が演奏家の在り方の顕現と言えるだろう。

演奏会の始まりはこうして見えなくなっていき、人の在り方が変化していく以上、終わりもまたないのだろう。