死者29人に ムラピ山噴火 | サデオのインドネシアニュース

死者29人に ムラピ山噴火


二十六日に噴火し、高温の火山灰を噴出したムラピ山(標高二九一四メートル)は、二十七日、火口から白い煙を出し続けた。
 火山地質災害対策局は同日、二十六日午後五時の噴火で、周辺住民やオンラインニュース記者、インドネシア赤十字のスタッフなど二十九人が死亡したと明らかにした。死因は高温の火山灰によるやけどなどという。二人が行方不明、三十四人が重傷、四人が軽傷。中部ジャワ州のマゲラン県、ボヨラリ県、クラテン県やジョクジャカルタのスレマン県の住民四万人以上が避難した。
 死者の中にはムラピ山の番人と呼ばれる王宮の侍従マリジャン氏も含まれている。テレビ局記者らは火口近くのマリジャン氏宅で取材をしており、遺体は家の近くで多く発見された。
 二十七日は白い煙を出し続けたが、大きな爆発は観測されなかった。
 スロノ局長は「二十六日よりも活動は穏やかになった」と説明。「高熱の火山灰は噴出しなかった。しかし、まだ巨大なエネルギーが残っており、今後何が起こるかは分からないため、警戒は緩めてはいけない」と語った。
 しかし、避難民の中には、家畜にえさをやるなどの理由で日中、山の中腹の家まで引き返す人もいる。同局は、いつ噴火するかわからないため、避難所に留まるよう呼び掛けている。



「空が真っ暗に」 カリウランの畠山さん
 人影がない水墨画の村 別荘地の自宅に火山灰の嵐

 ムラピ山山頂から約六キロの避暑地カリウランの別荘地に十年ほど前から住んでいる旅行会社ハルナ・ウィサタ・インドネシア社代表の畠山正嗣さん(七四)は、二十六日午後六時ごろ、天空から舞ってくる大量の火山灰の嵐に見舞われた。
 午後五時、山頂から約十キロ離れたスレマンの会社事務所で仕事を終え、バイクで家に戻ると、家は鍵が閉まり、妻、登志子さんは一足先に警備隊のトラックに乗せられ、近くの避難所に収容されていた。
 「山が爆発した、危ない。退去しろ」と叫ぶ警備員。パトカーのサイレンに追われるように避難する住民たち。畠山さんはバイクで登志子さんを迎えに行き、この夜は会社事務所に一泊した。
 ジャカルタの日本総領事館から警戒の忠告を受けていたが、ムラピ山の噴煙をを眺めて住んでいる畠山さんにそれほどの危機感はない。
 畠山さんの家は、遠来の訪問客を泊める別荘風。翌朝、カリウランの自宅を訪れると広い庭は火山灰が積もり、あたりは水墨画のような灰色一色に変わっていた。毎朝、手入れしている花壇も火山灰の下敷き。
 「驚いた。降り積もった火山灰が朝露や雨水を吸いセメントのようになっていた。すべての葉に灰がくっ付いていて簡単には取れなかった」
 畠山さんによると、噴火当時、南西の風が吹いており、多くの火山灰はムラピ山の西側に降り積もった。
 二十七日、カリウランにある多くの宿泊施設や商店はシャッターを降ろし、従業員も全員避難。辺りに人影はない。
 噴火が伝えられた日の早朝、ムラピ山周辺は青く澄み渡った快晴。「こんなに晴れた日は、ゴルフをやらなきゃ」と畠山さんは、ムラピ山の高原にあるゴルフ場でハーフのプレーを楽しんだ。
 「火山がこんなに灰を吹き出すなんて」と畠山さん。二〇〇六年の噴火のときも、この別荘に住んでいたが灰はほとんど降らなかった。
 山頂から三キロしか離れていない村に何十年も住み、噴火の度に村にとどまって一度も被災しなかった王室直属の「山の番人」、マリジャンさん(八三)が犠牲になったことについて、畠山さんは「村人は彼を神格化し、災難から人々を守る神様のように信じていたようだ」と語った。



祈りながら息引き取る
 「ムラピ山の番人」マリジャン氏

 「ムラピ山の番人」と呼ばれ、テレビCMなどを通じて「時の人」となったジョクジャカルタ王宮の侍従、マリジャン(ンガブヒ・スラクソ・ハルゴ)氏が、ムラピ山が噴火する前後から行方不明になっていたが、二十七日未明、火口から約三キロのジョクジャカルタ特別州スレマン県チャンクリンガン郡ウンブルハルジョの自宅で死亡しているのが発見された。八十三歳。遺体は自宅の台所付近でひざまずき、額を床につけたままの姿勢で見つかり、「最後までムラピ山に向かって火山活動を鎮めるための祈りを捧げていた」と地元メディアは大きく報じている。
 二十六日夜、連絡が取れなくなったマリジャン氏らの捜索に駆け付けたレスキュー隊が、火山灰に包まれ、近隣の民家が燃え上がるマリジャン氏宅から、オンラインニュース記者ら十数人の遺体を発見。一時は「奇跡的生存」も報じられたマリジャン氏の遺体は二十七日未明、白い灰とがれきの中から見つかった。

「忠誠と勇敢の象徴」

 マリジャン氏は二〇〇六年、ムラピ山の火山活動が活発化した当時に一躍注目を集めた。現在も依然としてスルタンに仕える侍従でありながら、避難勧告が出された後も避難するのを拒否。火口付近で連日祈りを捧げていることが報じられ、番人としての献身的な姿勢がたたえられた。ジョクジャカルタ市民の間では「父の九世には従順だったが、息子の十世には批判的」とのうわさもささやかれた。
 「時の人」に企業も殺到し、通信会社などが「イメージキャラクターになってほしい」とプロポーズ。「人前に出るのは好きではない」と断っていたマリジャン氏も、最終的に大手ジャムー(伝統薬)会社のシド・ムンチュル社の健康飲料「クク・ビマ・エネルギー」のテレビCMへの出演を承諾。ボクシングのフェザー級世界チャンピオンのクリスジョン氏と共演して話題になった。今でもジャカルタでは、車体に大きくマリジャン氏が描かれた市内バスが走っている。
 〇七年には、ジョクジャカルタで開かれたゴルカル党大会に招待され、ユスフ・カラ副大統領(当時)ら党幹部の前で演説、火山にまつわる体験談を語ったこともあった。
 シド・ムンチュル社のイルワン・ヒダヤット社長は二十七日、マリジャン氏の遺体が収容されたジョクジャカルタのサルジト病院を訪れ、追悼の意を表明。「故人は忠誠と勇敢さの象徴だ。遺志を継ぐために、今後も広告にマリジャン氏を使わせてほしい」と遺族に求めた。
 ハメンクブウォノ十世は「マリジャン氏は、ムラピ山の番人として最後までとどまるつもりだったようだが、夕方の礼拝後、避難すると承諾していた。しかし、礼拝中に噴火して埋もれてしまった」と話した。



「熱さで進めなくなった」 火山撮影のアンドレ氏

 「火山灰で目の前は真っ白、熱さで前に進めなくなった」
 ムラピ山が噴火した二十六日、ジョクジャカルタの映像制作会社のアンドレさん(三五)は、ビデオカメラを抱えてオートバイに乗り、火口付近のジョクジャカルタ特別州スレマン県カリアデムで撮影を行っていた。
 ここ数日、火山活動が活発化し、早朝から昼過ぎまで撮影するのが日課になっていたが、この日は避難勧告が発令され、サイレンも鳴らされた。付近は火山灰に覆われ、数メートル先も見えない。高熱が一帯を覆い始めた。「危険を感じて下山したが、後で自分が通った道で、オートバイに乗ったままの遺体が発見されたことを知った」
 二十七日も火口付近まで行こうとしたが、前日夜に多数の死者が出た「ムラピ山の番人」マリジャン氏の自宅手前で引き返してきた。救助隊以外は立ち入り禁止。火砕流に襲われ、集落も山道もすでになくなっていた。
 「噴火の規模は二〇〇六年より、はるかに大きい。当時、ボランティア二人が死亡した避難壕があり、観光客が多数訪れていたカリアデムも、ほとんど埋もれたようだ」。観光客相手に、ムラピ山の映像を収録したDVDを売ってもらっていた友人たちはすでに退避し、安否も確認したという。