走馬灯 | 迷子の舞子の夕忌さん私のお家は…

迷子の舞子の夕忌さん私のお家は…

「exカーニバル」

元V系バンドマン。

ギターを弾く人でしたが解散により終了。

現在はゲーム実況者。

ブログはお絵描きを中心にふざけてます。
読んだあなたがほくそ笑んでくれることが目標です。


年が明けた、



と思ったらもう年末である。






年齢を重ねると共に時の流れが加速している、ように感じる。






だからたまに振り返ってみる。




一一一





小学生の頃はその足、その短い歩幅でウンコを踏みながら歩くように、時間も1日1日が濃く長いものだった。


小学校は“ねりけし”工場だ。全員で一日中ねりけしを生産する。 


その生産数は世界一を誇る。



細かく難しい技術を要するこの作業こそ、多くの職人を排出するための基盤になる。



良いねりけしを作ることがトヨタ自動車入社への第一歩だ。



流石ものづくりの国ニッポンである。






中にはこの頃から驚異のテクノロジーを持つ猛者もいた。

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彼が後の、ジョブスである。






そんな好奇心に溢れる幼い僕等には、明日明後日さえ眩く遠い未来だったのだ。














時は経ち、中高生あたりはどうだっただろう。


まだまだ刺激的な毎日を送っていたように思う。


自転車で通学路を駆け抜けたあの頃は
4〜5年前の小学生時代など遠い昔のことだった。





良いねりけしを作れなかった者達が、この14〜15歳あたりからグレ始める。


そんな彼らは自転車のハンドルを鬼のような角度に曲げた。

俗にいう鬼ハンである。


細かい手先の技術に対する、発達し始めた筋肉にモノを言わせる力任せの反抗なのだ。



極めて鬼度が高い者は、曲げすぎて上でハンドルがくっ付き、両手で持てなくなっていた。

片手運転の始まりである。


ここまで鬼ハンを極めると、反乱分子の中で“魔王”もしくは“信長”と呼ばれ、中学ヒエラルキーの頂点に立った。









その一方で、時の流れの早さや、自分達が人生の重要な分岐点にいることに気付く者達もいた。




彼等は人生の修正を図り、タイムリープによって過去の修正を試みた。


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その者達は所構わず突然助走をつけて走り出し、飛び跳ねるという奇行を始めた。


いつしか我も我もと集まったタイムリープ組は、突然奇声を発しては街中を駆け回り、時と場所を選ばず飛び跳ねる集団、という収拾のつかない社会現象を巻き起こした。


もちろん過去に戻るなど出来るはずもなく、もれなく全員が転げ回り、血だるまと化す凄惨な光景だった。


これが世に言う、“キレる若者”である。















更に数年後、






18歳、大学生になる。

この頃皆、子供から大人への節目を迎える。

様々な規制が解除され、行動範囲も広がった。

それ故、体感時間にも変化が生じる。

1日があっという間に感じるようになった。





20歳になり法律上大人を迎えた僕等は

まだ童心を抱える心と、大人になろうとする意識が葛藤する。

その二つが混濁してしまった一部の者達は

「ウェーイ」という鳴声を発し仲間を寄せ集める。

そして合コン等に特化した生物に進化。

彼等は民族を形成した。





これが、“マサイ族”である。





春先の繁華街や夏の海は活性化し、良く鳴いている。
「ウェーイ」は季節を感じる風物詩であり、彼等は平和の象徴、別名“鳩”とも言われる。














そして



法律上も世間的にも完全な大人になった、22〜23歳頃。

ここから体感時間が加速していく。

朝日が昇ると、瞬くあいだに夕日に変わった。


社会人になった僕等は週5で働き、土曜日がくると1週間が一瞬で終わったように感じる。


この時、月曜〜金曜のことはほとんど覚えていない。


日曜の夕方、サザエさんから先の記憶を無くすことでストレスを感覚的に排除しているのだ。


しかし全ての人が自己をコントロールできるわけではない。






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例えば教職についた彼は、極度のストレスを抱えた結果

生徒の自宅の壁をブチ抜くという凶行におよんでしまった。


14〜15歳の少年少女の時間感覚についていこうとすれば、20歳過ぎの精神には亀裂が生じるのだ。













現在、29歳

三十路を目前にした今、1年が一瞬で過ぎるようになっている。


25歳頃からだろうか、4〜5年という期間が秒針の如く流れた。



小中学生の頃の、1日1日、一瞬一瞬を鮮明に記憶して、年という単位が無限のような気がしていた自分が嘘のようである。



確実に加速度を増している。



怖いのだ。





次の瞬きが、この僕を10年前にしてしまう





そんな考えがベッドの中で渦巻いたとき、恐怖と不安から、眠れなくなるのだ。











それより、どちらかというと上の階に住んでる東南アジア人がうるさくて眠れない。



今日も僕は天井に目覚まし時計をぶん投げた。