
ある日、平和記念公園を歩いていると
向こうからものすごい数の観光客。
中国からの観光客でした。
一行はそのまま慰霊碑の前に行き、
それぞれのやりかたで祈りを捧げていました。

丁寧に静かに祈るその姿は、原爆犠牲者への
哀悼の意を表すのに十分なもので、
私は感動すら覚えました。
と、そこまでは良かったのですが、
私のすぐ横を通り過ぎる日本の若者が
話す内容に愕然といたしました。
「原爆はさっさとポツダム宣言を受諾しないから
落とされたんだろ」
「まあそういうことだ。よかったんじゃないの、
犠牲者が最小限で済んだんだし。」
「それもそうだな」
おそらく大学生ではないかと思いますが、
彼らは自分たちが立っている場所を知らないようです。
こういう言葉を公衆の面前で吐ける子供を作り出した
教育に気分が悪くなりました。
悲しいやら情けないやら。
不幸にしてなくなられた人たちの気持ちに
ほんの少しでも寄り添う気持ちがあれば
こういう言葉は出ないはずです。
もしかしたら特攻攻撃で亡くなられた英霊に対しても
「犬死に」とでも言うのかもしれません。
なんと薄っぺらで安っぽい思考なんだろう。

ここは一瞬で町が消えてしまった場所です。
反核平和運動がどうこう、それはそれとして、
自分たちの立っている場所で、日本人が無差別に殺された
という事実をこのように淡々と口にできる人間に
とんでもない恐怖を覚えました。
私は教育のことについて、もっと学び、実践したい
と思っています。こういう言葉がサラリと出てくる
子供たちを大量生産してしまう教育が果たして
まともなのか。これでいいのか日本の教育。